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ダイエット記録(日々のエッセイ&日記)※適宜更新

2023年8月31日(木)

僕には友達が少ない。僕が高校生の時、軽音楽部に所属していた友人が何人かいた。基本的に陽キャ的な人と関わることなんかないのに、あれはなんでだったかな。おそらくアニメか小説の話を彼らはしていて、そこに僕が急に入ったんじゃなかったかな。それで共通の話ができて、その人たちと仲良くなった。高校時代、僕は部活動には一切入らなかったし、もちろん軽音楽部にも所属していなかったけれど、その人たちと交流があったから、何度も軽音楽部の部室に行っていた。そこでヴィジュアル系バンドの話をした。確かJanne Da Arcのことを教えてもらった。当時、アニメ「ブラックジャック」のOPで「月光花」がやっていたけど、それより前にそのバンドのことを知った。CDの貸し借りもあった。それから僕はV系バンドの雑誌である「SHOXX」を定期的に買うことになる。だんだんV系に詳しくなる一方、別に軽音部の知り合いはそこまでV系にハマってるわけでもなくて、僕は1人だけV系の知識を得ていた。そこから僕の趣味=孤独の人生が始まったのかもしれない。それから高校2年生から軽音部の人たちと関わっていたから、2年間だね、友人のいる時代があった。だらだら駄弁ることが楽しかった。でもね、結句、自分は軽音部じゃないから疎外された感じも感じてた。他にも軽音部所属ではない横の繋がりがあったけど、でも、僕はその1年前の高校1年生の時、校外学習があって、そこでは現地集合、現地解散だった。そこで1年生の時に友人だった別の男子がいた。帰りの電車の時に、そいつと喋っていたら、僕の中で急に世の中が冷めた感じがあった。疲れからか友人も喋らなかった。電車の中、夕暮れのシャケ色の光で、妙にアカアカとした空間で、僕は世界から遠ざかった。そこから僕の世界=孤独の人生が始まったと言っても過言ではない。自分は1人だ。もう2度と救われることはない。幸せになることがない。すべては虚しいものだ。そこで感じた。それ以降、高校時代は僕はずっと出家がしたかった。出家に憧れた。仏道に進みたかった。何百回も思ったことだ。軽音部の人と喋ってる時、色んな音楽のバンドを教えてもらった。今でもそれは聞く。助かっている。音楽はいい。救われる感じがする。そして何か残ってることはいい。20年ほど経った今、それだけが僕に残された遺産だ。今でも未来へ何か残したいと思う。友人は今も少ない。当時の友達は、今、交流が消えたから。ネット活動を10年以上やってるけど、あれだけ仲良かった人たちと何度も別れた。喧嘩もあるけど、自然消滅もある。気がついたらいない。人間だってそうなのだ。今、何も残らないことが怖い。ありがとう。みんな元気かな。








2023年7月28日(金)

映画「ドーン・オブ・ザ・デッド」はゾンビが襲ってくる世界で、ある女性のキャラがいて、仲間がチェーンソーでゾンビを攻撃してる時に、車体が傾いて、そのチェーンソーに女が巻き込まれて死ぬシーンがある。好きなんだ。意味のない死。映画や漫画でよくあるシチュエーション。仲間が敵に撃った銃の弾が変な方向に飛んで、他の仲間が事故的に巻き込まれて死ぬ。意外と多いこの死に方。そこに僕はフェチがある。名前はない。概念としてまだ打ち出されていないと思う。僕はそんな死に方が好き。僕はそんな死に方でいい。
そんなことをYouTubeで「チェンソーマン」のOP・EDがたくさん詰まってる公式のビデオを見てる時に思った。僕は「チェンソーマン」を見たことがない。1話もない。でもハマりそうだと思う。全然知らないのに「パワー」ってキャラのことだけ知ってて、なんか一目惚れ。怖いよね。キャラの一目惚れはオタクを沼に突き落とす。だからいつかは「チェンソーマン」にハマると思う。でも今じゃない。老後の楽しみだな。漫画もチラとだけ見たことあるけど、絵のタッチが華倫変に似てると思いました。
華倫変の良さは承認欲求的なしんどさにある。神聖かまってちゃんの「るるちゃんの自殺配信」って曲がある。華倫変にも自殺配信的な漫画がある。あのメンヘラ加減が90年代ぽくて好きなんだ。90年代のメンヘラになりたい。僕はメンヘラなんだけど、まだまだ一流になり切れていない。リスカもしてないし。僕の友達でリスカをしていた人がいて今でも尊敬してる。他人から見てしんどい人はそりゃ本人もしんどいよ。わかってほしいわけだからね。こんな小さなブログでメンヘラを発揮しても仕方ないんだけど、僕はあんまり他人に助けを求められない人間だから、本物のメンヘラのアケっピラげにはなれないでしょう一生。病院も病的に好きじゃない。人の迷惑にならないように、自ら檻に入って鍵をかけるような人間にはできない芸当だからね。だから尊敬。








2023年7月26日(水)

アニメ「エルフェンリート」のテーマ?の「Lilium」が好き。賛美歌だろうか。歌を聞くのが好き。安いイヤフォンを常に耳に突っ込んでいる。石川智晶が好き。「The Giving Tree」や「ヘブンリーブルー」が好き。少女病が大好き。最近は「Existence」にハマってる。ボカロなら「アザレアの亡霊」や「現代ササクレ人生崩壊」や「コロナ」や「小夜子」や「ジサツブシ」や「太陽系デスコ」や「惑星無修正」が好き。Unlucky Morpheusなら「花咲く春のある限り」や「百鬼夜行」が好きなんだ。でも僕が1万回聞いた好きなグループは2つあって、それは東方アレンジの「サリー」ってのと、ALI PROJECTだな。この2つがこの人生で大きな重心を持つ。死ぬまでにあと10万回は聞くことだろう。尊敬しています。こういう自分の好きなものを羅列するのをmixiでもやってたな。あの頃も何者でもなかった自分に共感してくれる人なんていなかった。僕はネット第1世代?かな?僕が小学校の時に小学校にパソコン室が置かれて、必死にタイピングを覚えたよ。隕石が降ってくるやつとかコナン君のゲームで覚えた。ニコニコ動画も早めに見てたし。そうなるとSNS第1世代ではあるのかな。mixiはやってた。日記だね。コミュニティにも色々入ってた。オフ会とか行ったことある。いいね、足跡みたいな機能があったよな。コメントもあった。ネットに20年以上やってると何がいいか。承認欲求が全くなくなることだな。少なくとも今の僕にはない。当時はありまくり。だけど挫折っていうか、人間ってちょっとやそっとのことでわがままな承認を受け入れてくれないものだよ。究極の話としては「自分のことわかって」といくら言っても判ってくれないものさ。だからだんだん承認欲求は諦めることになる。それが平和なのさ。承認欲求のためにより自分の修行のために今は何でもやってる、と確実に言える。でもこの日記は自分のために書いてるから、こういう備忘録みたいなのを書く。自分を奮い立たせるために、馬鹿みたいな、でも僕だけが好きな文章を書きたいんだ。かつての厨二病だった中2の僕の忘れ形見をここに遺す。誰にだって、ちっぽけな君にも誇れるものがあったんだから。










2023年7月25日(火)

最近は子供向けのアニメやキャラを見るだけでも泣けてくる。例えば「おはよう朝日」の7時30分からやってる「おきたランド」のオープニングのアニメを見るだけで苦しい。みんな笑ってるから。全然関係ないけど、ゲーム実況で「センチメンタル・デスループ」ってゲームの実況を見た。最後の終わり方が綺麗すぎて泣けてくる。みんな幸せになってほしい。苦しくない世の中になってほしい。先日、7月19日に芥川賞・直木賞の発表があった。受賞会見も見た。その2時間後の僕は鬱になった。自殺を考えまくった。なんでか。意味はないよ。強いて言えばその1ヶ月は躁状態だったから。波が来た。苦しかった。ハンチバックが取ったのは良かった。半年に1度、しんどくなる。それでいい。文学に死ね。僕は炭水化物を抜いている。ちょっと痩せた。早く痩せて人間的な生活がしたい。水沢なお『うみみたい』という小説では、人間をやめてポケモンみたいになりたい人が出てくる。よくわかる。人間の性の殖え方に違和感がある。みんな卵で生まれたらいい。みんな可愛かったらいい。みんな平和に生きられたらいい。なんでこの世は苦しいのか。優しい世界ってあるのか。どこに? 苦しい人が僕は好きだ。助けてあげたい。自分は自分を救うことができなくても、他人を助けることはできる。優しい人間になりたいよ。優しさと弱さは同じ。強い優しさってどんなもの。知らん。自分を律する力。力を悪用しない。自分本位から解放すること。他人に優しくすることが文学だと思った。1080冊読んだら文学フリマで「つかっちゃんの現代純文学1000冊」という本を絶対に出す。そう決めている。それが僕ができること。優しくできること。この文章を書くだけで心がざわめく。心臓がおかしくなる。それは海みたい? シリアスになんてなりたくない。だったら痩せたら憂鬱にならなくてもいいのかな。首を吊らなくてもいいのかな。










2023年6月10日(土)1日目
体重:77.0kg
食べたもの:なし

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なんかダメだなあ。と思うけど、今日からまた頑張ります。断食1本化しようかと思います。今日から気分一新だ。僕はダイエットに関しては続かない。どうしてだろう。筋トレもジムもダメになった。小さな小細工も通用しない。だから昔からの断食をやろうと思う。というのはやはり食べてしまうからだ。どんどん食べてしまう。現金を持ってなくても深夜にカードを使ってポテチを買いに行ってしまう。
最近、Yahooニュースで初音ミクに恋をした小学生男子が8年後にコスプレイヤーになるという記事を見た。昔からコスプレや女装を見るのが好きだった。コミケには行ったことはないけれど、よく記事になって、コスプレの特集が組まれる。なんでだろう。変わったものが好きなんだと思うし、三次元にあんまり興味がないからかもしれない。二次元も興味はないんだけど、2.5次元は面白い。だから見ちゃうのかな。
その初音ミクの記事を見て、ツイッターやネットなどでググって、そういう写真を見つけて、スマホで保存した。そして数年以上変えてなかったスマホの待受をそれに変えた。スマホはずっと持っているので、待受をそれに変えると凄いエネルギーになると思う。見るたびに頑張ろうと思う。カレンダーを拡大した印刷して壁に貼っている。そこに大きく「断食」と書いていて、達成した日を塗っていく。それだけでいいのかもしれない。なんか続かないけど、食事制限ができなければダイエットはできない。2年後に向けて痩せたいとは思っている。





2023年6月09日(金)66日目
体重:ーー
食べたもの:ーー

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僕は漫画も好きだ。変な漫画が好きで、ガロ系やビームコミックスなどを集めている。最近は貧乏なので新刊をあまり買えない。あと本の置き場所もないので巻数が重なる本はあまり買えない。それだけが心苦しい。好きな漫画家は例えば、駕籠真太郎、山本直樹、ねこぢる、しりあがり寿、玉置勉強などだ。まだまだある。今持っている漫画の本も何冊あるだろう。めっちゃある。1000冊単位である。青年漫画が多くて、少年漫画はあまり読んでない。かつて持ってたのはネウロとボーボボだった。この2つはジャンプ連載中に追っかけていた。ジャンプは買ったことがなくて、漫画でもやはり単行本派なので、少し遅れてではあったがリアルタイムで
読んでいた。映像化してからデスノートやジョジョなどは読んだが、やはりジャンプ系はあまり読んでないな。ブリーチやナルトなどはアニメでは見ていたが、漫画はほぼ見たことないし、鬼滅の刃や呪術廻戦などの流行りのものも追いかけたことはない。メジャーよりマイナーは漫画もそう。変なものが好きだ。みんなが好きなものをわざわざ僕が読む必要がないように思う。売れていないものに着目したい。1番好きな漫画家はやはり駕籠真太郎だろうなあ。あのサブカル感は他に誰もいない。






2023年6月08日(木)65日目
体重:ーー
食べたもの:ーー

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2023年6月07日(水)64日目
体重:ーー
食べたもの:ーー

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あなたは読みたい本は何冊あるか。僕はとりあえず1000冊の記録を付けようとしていて、今は590冊なのであと410冊だ。1年以上かかる計算だが、ではその410冊の本はどこから現れるのだろうか。手当たり次第に読むのだろうか。もちろん毎月に新刊が出てくる。僕の得意とする純文学の世界では月に6〜7冊出ればいい方だ。これは色んな出版社を含めてだ。講談社、文藝春秋、新潮社、集英社、河出書房新社。これらは文芸誌を持っているので、そこに掲載されたものが単行本化される訳で、それらが毎月6〜7冊は発売される。とりあえずそれらは読む。残りだ。残りの20冊以上あるわけだが、それらは必然のように既刊本になるわけだ。例えば芥川賞の受賞作や候補作、他の文学賞の受賞作や候補作、もしくはそれらを取った作家の他の作品など。世界にはどのくらいの本があるのだろう。人が読める本は何冊あるのだろう。それらを読みたい。エンタメでもいい。ミステリでもSFでもホラー でもいい。小説をどんどん読みたい。小説を読むだけのために僕は生きている。小説を読むことで生きていくライフシステムを構築することはできないのだろうか。まあしかし、1000冊読んだから何だって話もある。たかが趣味なのだから本を読んでも意味があるわけではない。けれど意味がないから純粋に楽しめるとも考えられる。僕の知り合いで何の趣味もない人がいる。何のために生きているのか自分でも明確に答えられない人もいる。僕は1000冊という目標があるから幸せだ。そしてそれをYouTubeで発信するのも楽しい。YouTubeだけで暮らして行けたらいいのに。そのためには色んな工夫がいるだろう。今はそれはできない。今はゆっくりしていくしかない。あと何度か書いたが1000冊たまったら冊子にして文学フリマで売ろうと思う。世の中には面白い本が沢山あるんだよって言いたい。僕みたいな死にたがりが死ななくても済むくらいに本は沢山ある。100年前だったらどうだろう。きっと無理。今だから良かった。それだけでも僕は救われただろうか。







2023年6月06日(火)63日目
体重:ーー
食べたもの:ーー

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僕は今まで本を何冊読んできたのだろう。1万冊は読んでそうだけど、そんな訳がない。中学3年生から本を読んできたと考えると18年ほど読書に勤しんでいる。大学院に行ってましたから小説だけでなく新書や専門書もたくさん読んできた。ピークは大学時代だろう。小説の面白さにビビビと来ていたので、1日2〜3冊は読んでいた。時間があった。図書館で10冊借りてきたと思えば、1週間後にはそれらを全て読んで、また他の10冊を借りに行っていた。そんな時代があったから今がある。当時は乱読だった。小説のジャンルもわかっていなかったので、本棚の片っ端から読んでいた。知らない作家を知ろうとあえて知らない作家を読むことも多かった。なんとか知識を吸収しようと躍起になっていた。そういう時期はあったほうがいい。自分に何が合うのか読むまではわからない。ジャンルという考え方は自分に合う本を見つける方略として優れている。ホラー 、ミステリ、SF、純文学、大衆文学、幻想文学、海外文学、などがある。そしてジャンルそれぞれに特化した人が今ではネットで活動している。色々と教わることができる。僕も大学時代はニコニコ生放送で色んな人に色んなことを教わった。そうして今がある。本は読めば読むほど理解していく。小説という世界は「文学」というように学問である。そんなに難しいことじゃない。つまり言いたいのは目の前にある1冊の本はほとんどの場合、何かのジャンルに含まれる。そして文学マップに位置づけられる。それさえわかれば文学は簡単だ。作家の名前さえ覚えていればその作家の立ち位置がわかる。そういうことを僕は18年間でわかったのかもしれない。でもまだまだ知らない作家がいる。読んだことのない作家もいる。記録しよう。僕は記録魔となろう。読書記録をつける。一生。そんな読書家になりたい。そして1万冊読もうと思う。








2023年6月05日(月)62日目
体重:77.2kg
食べたもの:鶏天とご飯

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先日、彗星読書倶楽部さんとスペースでお話をした。色々な話題があったが、僕の中でとても重要なものがあった。それは文学フリマについてだ。僕はいつか文学フリマに出品したい。その時にゴスロリ服とか女装して行きたいとは思った。でもそのために痩せないといけない。僕は読書記録をつけている。1年半ほど前からつけている。Twitterでも140文字ほどで感想を述べている。今はそれが580ほど溜まっている。これが1000まで続けば、それを1冊にまとめてみたいのだ。「つかっちゃんの現代純文学1000冊」という名前をつけたい。僕は月に30冊の本を読んでいるので、今は580なので残りは420である。つまり1000になるのは1年以上先のことだが、その時に文学フリマに出品したいわけだ。彗星読書倶楽部さんは文学フリマへの出品歴がある。つまり先輩なので色々と教わりたいと思っている。本の作り方や装丁のデザインやブースでの振る舞い方など。文学フリマについては僕は客として参加したことはあるが、出店したことはない。だから先達からご教示願いたいわけである。そしてその1年後のためにダイエットをしなくてはならないと思った。そんな目的でいいと思った。でも今、興味があるのはそれだ。もちろん出品したいのは色々とある。今まで書いてきた長編小説が2冊ある。短編1つと詩60冊をまとめたもの。そしてこのブログも分量が溜まればまとめて本にしたい。本にするというのも金のためではない。自分のためだ。僕は僕の作品を残したい。本として読みたい。それだけだ。金もほしいっちゃほしいけど、その金は次につなげるための資金にしたい。彗星さんからはマネタライズ的な観点も色々と教わりたいと思っている。まあ、何につけても痩せないといけないね。ゴスロリを着てみたい。45kgになりたいね。








2023年6月04日(日)61日目
体重:77.2kg
食べたもの:鶏天をいくつか(白米を食べてないから偉い!)

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筋トレ各10回。今日は断食しようと思ったが、諸事情があって鳥の天ぷらを10個ほど食べてしまった。しかし罪悪感を抱く必要はない。月に10日の断食設定をしているので、今日は単に食べてしまっただけだ。6月は1日と2日で断食をしているので、あと8日断食すればいい。僕は罪悪感を抱きまくる人間だ。生きているだけで、呼吸をするだけでも、自分の言動に罪を覚える。何をやっても自分のやったことに自信を持てない。自信を持てないというかもっとネガティブなってしまう。だから断食も何日も連続できなければ自分はダメなんだって気持ちが湧く。でも6月から始める方法ではノルマ制だから失敗しても他で取り戻すことができる。完璧にする必要はない。そこがいい。ジムも明日に行く。ジムも月に10時間行けばいいわけで、行けない時もあってもいい。これはとてもいい。筋トレだけは今のところ毎日やっている。腕立て伏せ10回と腹筋10回。まずはこれだけだが、少しずつ増やしていきたい。今の時代、何でもYouTubeでやっている。ダイエット系のチャンネルも多い。頑張りたいなあ。痩せることは難しいことではないのかな。僕の知り合いがいて、その人はTwitterのスペースをよくしていて、僕も参加させてもらうんだけど、でも僕は説教ばかりしてしまう。説教はダメだねえ。ここに僕のコンプレックスがあるんだなあ。説教っていうのはいわゆるアドバイスだろうけど、クソバイスという言葉もある。相手のためになってないアドバイスだ。ほとんどの説教には意味はない。自己満足でしかない。そのアドバイスを自分に向けろ。ダイエットの説教を受けるべきなのは自分だからだ。痩せろ、痩せろ。自分の弱さを克服しろ。何かを解決するにはメンタルから攻めるのと、結果から攻めるのの2つあると思う。これはまた書く。筋トレと有酸素運動をまずは頑張ります。







2023年6月03日(土)60日目
体重:75.8kg
食べたもの:ラーメン、ポテチ 

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数ヶ月ぶりにジムに行った。30分ジョギング。辛かった。まずは基礎体力を伸ばさなければ。10分走るだけでもしんどいし、まず歩くことがしんどい。あまりにも体を動かさなすぎている。でも6月以降はジムに行く。まずは月に10時間以上は走ることにする。まずはジムに行くことだ。まずは走ることだ。それを続けることだ。僕はよく断食だけでダイエットをしてしまう。1ヶ月ほど断食とか言って頑張って10キロほど痩せるのだが、でもすぐにリバウンドしてしまう。健康的に痩せるとか健康的に太るとかそんなんないと僕は思っていた。だけどやっぱりあるなあ。運動を取り入れないダイエットはありえないのか。ありえないというか、僕は僕の場合では、断食だけではずっと続かない。意識が途切れてしまう。運動をすることで、つまり何かを成し遂げることで、そのことがさらなるエネルギーになる。そういうことはよく起こると思う。1冊の本を読み終わった後に、そのことが2冊目を読むことに繋がる。A→B→C→D→…。簡単な図式ではあるが、何かを継続することは基本的にはそうなるだろう。AやBやCに何を代入するかで、どう続いていくかが変わっていくだけだ。ダイエットも基本はそうなるだろう。ダイエットとは瞬間的なものではない。少なくとも数ヶ月も続く人生のプロジェクトだ。長期的なものなので、継続することに力を入れるべきだ。システム、習慣、そういうものを1度構築すれば、それをこなすだけでいいわけだ。頑張りたい。まずは次の月曜日にジムに行く。ジムの近くに図書館があるので、図書館で本を読めるというメリットもある。運動と本のダブルで頑張りたいと思う。心と体。どっちも大事だ。











2023年6月02日(金)59日目
体重:77.0kg
食べたもの:なし

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断食、筋トレ各10回。最近はラノベ奇書に凝っている。奇書とググるだけでもたくさん出てくる。日本三大奇書は全て読んでいる。夢野久作『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』。でもこれはミステリ の奇書である。三大にもう1つ加えて、竹本健治『匣の中の失楽』もあって四大と呼ばれる。wikiには5つ目に舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』や山口雅也『奇偶』や古野まほろ『天帝のはしたなき果実』や芦辺拓『綺想宮殺人事件』があるらしい。この辺りも存在は知っている。もろ新本格ミステリの流れだからだ。また生物系の三大奇書も存在しており、『平行植物』『アフターマン』『鼻行類』がある。中国四大奇書としては、『金瓶梅』『水滸伝』『三国志演義』『西遊記』がある。これらは古典である。奇書、その世界はまだまだ深い。僕がとりわけ興味があるのは、ラノベ奇書だ。ラノベ三大奇書というのがあり、諸説あるのだが、最も有名なのは、谷川流『絶望系』、桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』、ぶらじま太郎『東京忍者』らしい。『東京忍者』だけは知らなかった。調べるとアマゾンで3万円している。たまたま近くの図書館で借りれるらしかったので、借りて読んでみるとメタと脱線をメインにしている変わった本だった。こういうラノベ奇書はまだまだあるらしく、買ったり借りたりして読んでいく所存だ。奇書という明確な定義はわからないが、僕は奇書をどんどん読んでいきたい。小説の奇書ってことだが。僕は変わった小説が読みたくて純文学に来た。あまり知られていないが純文学こそ奇書の宝庫なのである。しかし他の奇書もたくさん知りたいです。











2023年6月01日(木)58日目
体重:78.0kg
食べたもの:なし

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断食、筋トレ各10回。今日から始める新ダイエット。腕立て伏せと腹筋を10回ずつやった。筋トレはマジで全然してこなかったから新鮮。続けていく。筋トレは裏切らない。昔に勤めていた先輩が筋トレを毎日やってると言っていて、見た目は筋肉隆々って感じはなく、むしろヒョロっとしていた。だけど腕を触らせてくれた時、めちゃくちゃ硬かった。腹筋もめっちゃ硬かった。びっくりした。人の腕がそんなに硬くなるんだって信じられなかった。知らなかった。僕の体はどこも柔らかい。グニャグニャしている。よく言われることだが、男と女で言えば、男はすぐに筋肉がつきやすいが、女はつきにくいと。僕にもつくのだろうか。頑張ってみるしかない。昨日、ホント久しぶりに腹筋をしてみた。腕立て伏せの方は普通にできたと思う。まあ、筋肉がマジでないので10回やったら果ててしまうけれど。でも腹筋はほとんどできなかった。というのは仰向けになると、腹の右っぱらがマジで痛くなる。で、起き上がる時に痛くて力が入らない。原因は不明だが、やはり太り過ぎなんだと思う。そして運動しなさすぎ。体が鈍りなくっていると思う。家にいる時にはずっと椅子に座りっぱなしで、読書したり動画編集したりしているから。ジムもこの数ヶ月は行っていない。なので腹筋は長いバスタオルを壁に括って、それを引っ張る形で10回達成した。もちろん正確には腹筋にはならないだろうが、でも今はそれしかできない。徐々にできるようになるのだろうか。腹筋こそ日々の積み重ねだ。どんどん鍛えていこう。自分を虐めていこう。








2023年5月31日(水)57日目
体重:ーー
食べたもの:ーー

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僕は色んな人から嫌われている、と自分は思っている。僕が僕のことが好きではない。あらゆる人間が自分のことを嫌っていると思った時、あなたはどう思いますか。そうなると自分でしか自分を支えられない。と思いますか。無理。自分も自分のことが好きではないので、自分で自分を支えることができない、が正解です。あなたはそんな人生を送れますか。痩せたら変わるのか。わからない。もう何もわからない。自閉症の人が電車が好きなのは、電車は1分もズレないからだ、と聞いたことがある。人との交わりは急に変わることがある。それが怖い。何も変わらないこと、不変が好きなのは僕も同じだ。僕は自分の感情の波がひどい。今日できたことが明日できない。今日できないことが明日できる。そうなると生活の基本が成り立たない。辛い時を補填するために大食いに走る。そして太っていく。僕が太っているのは感情の波と関わっていると思う。よく言われることだが、生活習慣を整えよ、というのは正しいと思う。筋トレは全てを解決する。体が資本。心が先か肉体が先か。そういうのを考えないといけないような気がする。あー、子供の時に父親に無理やり剣道を習わされた。それも運動への忌避感に繋がっているような気がする。父との関係も僕の人生に大きな影を落としている。全ては6月だ。明日から僕は変わる。変わりたい。大きなカレンダーを印刷した。そこに記録していく。断食と筋トレとランニング。体を動かせ。少なくとも自分だけは自分を愛そうではないか。痩せたら人生が変わるとかいう。世界仰天ニュースの仰天チェンジ。30キロ痩せた人もいる。人は見た目が10割だ。筋トレは頭が痛くなるけど、頭が爆発してもいいから筋トレしろ。変えろ。変化、変化、変化、変化、変化指向へ。











2023年5月30日(火)56日目
体重:ーー
食べたもの:ーー

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ネットフリックスの「サンクチュアリ -聖域-」をいくらか見た。大相撲の色々を描いたフィクションである。良かった。ピエール瀧も出ているし。相撲もスポーツだから体づくりは基本だ。僕も体づくりをしようと思った。痩せたい。前にも書いたが、有酸素運動と筋トレと食事制限をすれば痩せられる。というかそれ以外の方法で痩せられない。6月から本格的に運動をする。そのためにYouTubeで運動系のチャンネルをいくつか登録した。意識だな。意識に依存するとダメだけど、でも意識だね。そして継続だな。サンクチュアリでも最初はダラけた相撲部屋だったが、主人公がライバルに負けたくないからめちゃくちゃ努力して、先輩・後輩にも頑張ってぶつかっていく。最初は白けている先輩たちはその熱気に当てられて意識が変わっていく。悪い体育系から良い体育系の態度に変化する。面白かった。自分1人だけでは意識はすぐに萎える。だけど誰かと一緒にやると共有意識が生まれ、共犯関係のようになれる。かつて流行ったビリーズブートキャンプもそんな感じ。僕も高校生の時にやってて10キロ以上は痩せた。誰かとやる。そういうのは良いのかもしれない。よくTwitterのスペースで話す知り合いがいる。その人はYouTubeについて悩んでいる。自分のやり方がわからないという。数字も欲しいが、自分のしたい歌やゲーム実況では数字的には伸びない。どうするかを1年以上迷っている。これに関しては僕のダイエット近いような気がする。僕のダイエットもなかなかうまく前に進まない。そいつはYouTube、僕はダイエットで報告し合うような感じでいけばいいのかもしれないな。何かを続けていくことは難しい。まずは6月だ。6月。










2023年5月29日(月)55日目
体重:ーー
食べたもの:ーー

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僕の母親は映画やドラマをずっと見ている。日本海外問わず色んな俳優や女優を知っている。この前、大阪でコミコンっていうのがあったらしい。僕は行ってないから詳しくないが、コミック・ブック・コンベンションというのは漫画や映画に関しての様々な出品をしている催し物だ。コスプレイヤーの人々もたくさんいたらしく、僕は個人的に好きそうなのだが、何とそこに母親が行ったらしい。そのコミコンにはマッツ・ミケルセンという俳優が来ていた。デンマークの俳優で、009やインディ・ジョーンズやスター・ウォーズにも出ている凄い俳優らしい。ちなみに僕は知らなかった。そのマッツを母は好きらしく、そのコミコンには一緒に写真を撮ってくれるイベントがあるという。それで母は行ったのだが、しかしその写真と撮るのにお金がいるらしく、それが1回1万5000円する。1万5000円!それは個人的には高いと思うのだが、母曰く「マッツとの写真なら安い方」とのこと。母は60歳を超えているのだが、最近BLにハマっているらしく、数年前に「おっさんずラブ」という田中圭が出演していたドラマを見て、ボーイズラブにどハマりしたとのこと。おっさんずラブにはかなりの金を使っていたらしく、グッズなどでウン十万円も費やしたと。映画版も30回以上劇場で見たとのこと。ここまで母がのめり込んでいるのを見るのは僕は初めてだった。母の知り合いには、タイのドラマが好きで、タイまで何度も旅行してる人もいるし、宝塚が好きな人もいるし、意外とオタクの人は多い。凄いエネルギーだ。僕は本が好きで、本ばかり買っているが、それとは少し違うような気がする。だって3次元じゃないから。3次元の現実にいる人が好きになるのは幸せだ。僕はそこまで好きになる人はいないのかも。でも最近は「なんか見てて可愛い」と思えるようになってきたように思える。そういう感情が推しの論理に繋がるような気がする。人はどうして「推し」が生まれるのだろう。推しと恋愛はまた違うんだろうなあ。僕も推しを作りたいと思う。色んなチャレンジがしたいと思う。恋愛も。6月からエネルギーを持ちたいと思う。色んな挑戦のために努力をしたい。










2023年5月28日(日)54日目
体重:ーー
食べたもの:ーー

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僕が好きになった女性のタイプは何か趣味を持っていたり、頭が良かったり、周りに気を使えたり、話を聞くのがうまかったりする人だった。5人くらいいた。びっくりする。僕も普通に人を好きになることがあるんだって思った。まず大学院1回生の時に九州に住んでいる女性から告白を受けたことがある。当時、僕はニコニコ生放送をずっとやっていた。そして同時に詩を書いていた。その詩を見てくれた彼女が僕に接触して、最終的に付き合うことになる。それが最初の恋だった。数年後に別れはしたが、彼女とは今も良い友達だ、と僕は思っている。あ〜、でもその前の大学時代に文芸サークルにいたおかっぱの女の子が好きになったこともあった。それが初恋だったかもしれない。マキシマム・ザ・ホルモンが好きで、華奢な感じだったのだが、デスボイスで歌っていたことにギャップを感じて好きになったのだったと思う。最終的には告白もしなかったけれど。そのあと社会人になってからは、twitterで知り合った愛知県の人を好きになったりもした。彼女はサブカル漫画がめちゃくちゃ詳しかった。凄いと思った。何回かその人を訪ねて愛知県を訪れたことがあった。何回か食事をしたこともある。どうなったかは読者の想像に任せよう。それからまた時間が経って30歳になった頃、大阪のバーでマスターをしていた1つ上の女性を好きになった。だけどその頃になって僕はある程度の「恋愛の諦め」があったので、告白などしなかったし、別の恋人になりたいとは思わなかった。この辺りは生々しくて自分でも気持ち悪いことを言ってるなと思うのだが、でも人を好きになることってなんかそんなもんだなって思う。その人と話がしたくて毎日のようにバーに通って1年ほどで貯金の100万円を使ったのを思い出す。そういう意味では前回に書いたアイドルオタクの友人やメンコン狂いの知り合いのことを馬鹿にはできない。恋愛はお金で解決できないが、恋愛以外のことはお金で解決ができる。解決というかそれが商売な商売があるわけだ。でもそのバーはコロナの余波で潰れてしまった。ショックではあったけど、でもそんなもんだ。最初から諦めていたので、そんなもんだ。













2023年5月27日(土)53日目
体重:ーー
食べたもの:ーー

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アイドルについてもう少し。僕の友達で「転校少女」というアイドルグループが好きな男がいた。その人は元々は大阪に住んでいたのだが、転校少女自体が主に東京で活動しており、何度も東京に遠征しなければならず、遠征費がかかりすぎるために、彼はわざわざ東京に引っ越したのであった。仕事も柔軟な休みの時間が組めるように正社員ではなくアルバイトなどをしていたらしい。でもそういう生き方もある。それはそれで自分の趣味というか生きがいを見つけられたわけだから、とても良いと思う。ただ転校少女は2022年に解散する。彼はそのあと「ウマ娘」にハマっていく。僕はアイドルってものがわからなかった。僕は「見た目が可愛いから良い」ってのがほとんどわからない。見た目より中身の方を重視する僕にはアイドルの良さがわからないんだった。でも最近はわかってきた気がする。疲れているからだと思う。かつてタモリ倶楽部でタワーレコードの社長がアイドルマニアの回があった。吉田豪も出演していた。彼らが言っていたのは疲れている時にアイドルにハマると言っていた。なんかわかる。知り合いでメンズコンカフェにハマっている人がいる。メンコンはいわゆるホストのもっとソフトな感じで、ボーイズバーとの間くらいの夜の店だ。その知り合いはイケメンが好きだ。同じく僕にはイケメンの
良さがわからないわけだが、しかし見た目を重視するのは世間的には一般的だと思う。イケメンや美女というだけで、それだけでチヤホヤされるのは世の理だ。ただ僕にその良さがわからなかった。でもなんかわかるようになってきたような気がする。というかホロライブかなあ。ホロライブはVtuberだから完全に見た目の問題ではないと思う。だから話は少しずれるけど、でもアイドルだ。なんかアイドルって元気を出させてくれる感じはわかってきた。ゲーム実況とか素の感じがあるから好きだ。自分を取り繕わない感じが好きなのかなあ。まあでもそこに僕はまだお金を使ってないけどね。推しは何人かいる。













2023年5月26日(金)52日目
体重:ーー
食べたもの:ーー

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1年ほど前からホロライブという事務所のVtuberを見るようになった。僕は3次元のものが前から苦手だった。映画でもアニメのものを見るのが多かった。実写の映画やドラマには俳優や女優が出る。でも例えば木村拓哉が出ているとしても、その木村拓哉は他のドラマや映画にも出る。バラエティやCMにも出る。そうすると映画やドラマに出ているその登場人物をメタ的に見てしまうのだ。つまり物語上の登場人物として見るのではなく、木村拓哉として見てしまう。どこかメタ的に3次元の映像を見ているのだ。しかしアニメや漫画ではそれが起こらない。そのキャラクターはそれ以外には他のものを演じていないからだ。僕はこの「演じる」ってのがどこが苦手だった。実写のYouTuberもどこか嫌なのだ。なぜなら彼らは動画上で演じているのかもしれないから。HIKAKINがいたとして、動画上でも面白おかしく振る舞っていたとしても、動画の外では全く違う人間性かもしれない。まあ、これはプライベートの人間関係だってありうる話だ。親しい友達も自分と付き合っている時以外の時間は非道なのかもしれない。そういう想像をしてしまう自分が途轍もなく嫌だ。だから2次元のものは信じられるわけだ。つまり「それ以外」がないから。小説もその延長線だと思う。物語にノイズを持ち込ませたくないのだ。そういう点では僕はアイドルというものがイマイチわからなかった。芸能人で好きな人ってのがあまりいなかったのだ。だけどホロライブのVtuberはなんか見れる。どこかキャラめいていて、そのくせ地の性格がボロボロ出ているからだ。あとオタク向けって感じがして僕は好き。やってることはゲーム実況と歌枠ばかりだ。それでいいと思った。のほほんとボーッと見ていられるし、なんか妙に芸達者な人が多い。僕は「見た目が可愛い」ってのは別に何の感慨もないのだが、芸達者な人はめっちゃ好きだ。絵がうまいとかゲームがうまいとかモノマネができるとかツッコミがうまいとか頭がいいとか。ホロライブはそういう人が多い気がする。それもオタク好みって感じかもしれないね。








2023年5月25日(木)51日目
体重:ーー
食べたもの:ーー

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パッとしない人生だった。打ち捨てられた家具のような人生だ。そんな僕が小説を書いたきっかけを思い出せない。僕は2016年に文藝賞の最終選考に残ったのだが、僕の創作というのはもっと昔に遡る。最初に小説を書いたのは大学の頃だ。18歳頃。2008年頃。大学時代が僕が読書のピークで、読書の話がしたかったので、大学の文芸サークルに所属していた。そこでは毎月部誌が発行される。部員に年間2回の創作の提出が義務づけられていた。僕が初めて書いた小説は短編というか掌編で、車が主人公で、砂漠を進んでいた。中に人間を乗せていた。車は意思を持ち、人間を振り回す話だった。詳細は全く覚えていない。これは筒井康隆に「駝鳥」という短編があって、人間を乗せた駝鳥が理不尽な目に合う話で、これからインスピレーションを受けた。僕の書いた車の小説を読んだ部長は「意味不明」というメモを書いていた。僕は悔しかった。悔しくて雨の日に泣いたのを覚えている。部誌には何回か投稿し、小説だけでなく詩も投稿した。それらの部誌は全て捨てたので、今は残っていない。その文芸サークルも部員との不和から大学3回生の途中でやめたのだが、創作自体はやめなかった。その頃、詩をずっと書いていた。当時「小説家になろう」というサイトが流行っていて、僕も詩を毎日書いて投稿した。これはサイトに行けば残っている。非公開にしているが、下書きにあるので、僕は読める。まあ読めたものではないのだが。当時は面白いと思っていたものは、どうして時間が経つと面白くなくなるのだろう。これは調べると2011年のことらしい。そして小説「亡骸のアリス」という壮大な小説に着手することになる。これは遠未来のSFミステリで、宇宙船の中で殺人事件が起こるのだが、設定としては西暦3000年ほどであり、人類も様々なものを発見・開発しているので、沼正三『家畜人ヤプー』のように、その人類史が途中で挿入されるという形式だった。しかしこれは未完に終わる。壮大すぎたため当時の自分には早かったのだ。それでも何十万字を書くということをチャレンジした最初のケースだった。大学3回生からニコニコ生放送を始めるのだが、本の紹介と共に、僕は「開闢」という小説を書いていた。病院に搬送された女性が主人公で、3人の男の束縛から抜け出すという話だ。このあたりから僕は純文学に目覚めているので、この小説を書き上げて、初めて新人賞に応募している。結果は知らない。これも読めるものではないが。現代詩手帖へ投稿していたこともある。そして私生活が諸々あって、2016年に「存在しない川」で最終選考。このことは自分でも驚いた。まあ、2008年くらいから創作はしていることになるので、それの最も結晶した形と言ってもいい。その後に「螺旋坂」と「ゾンビA」を書き終え、新人賞に投稿するが、結果は振るわなかった。ということは僕は2018年くらいまで小説は書いていたことになる。今は全く書いていない。また書きたいと思っているのだが…。2008年〜2018年は、僕の創作の時代だった。色々と青かった。青かったけれど、それがないと今の僕はない。だから
僕の青春だ。輝かしい僕の青春は今失われた。













2023年5月24日(水)50日目
体重:ーー
食べたもの:ーー

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6月からの3つのノルマ制の導入が楽しみすぎて、今は体重と食べたものの記録はめちゃくちゃだ。全然できていない。6月になったらきちんと記録することとし、5月の残り1週間は猶予期間とし、めちゃくちゃ食べてやろうと思う。記録も50日を突破して、少し心が緩まってしまったと思う。当初の緊張状態にない。けれどこれも6月からチャレンジに繋がっているので良しとします。こういうところ自分に甘いけどね。僕は「自分が正しいと思わないこと」をずっとやってきて生きてきた。これにはデメリットとメリットがある。デメリットは自分に自信がないってこと。僕は自分のやっている全てのことが何か誤っているのではないかとビクビクしている。登録者数が7000人になったところで、それはたまたまそうなっただけで、もっと正しいことをすれば1万人や2万人くらい行っていたのではないか、と思ってしまう。あらゆる選択肢があった場合、それを最も間違っているものを選んでいるのではないかという怖さを持っている。だけどそのメリットとしては自分に奢らないことがある。世の中には「俺がやっていることは全て正しい」と思って生きている人がいる。少なくとも僕はそれにはならないのだろう。良くも悪くも謙虚に生きたいので、誤っているくらいがちょうどいいのかもしれない。いっそのこと人生の落伍者に僕はなりたい。そう思う自分がいる。だってそういう人間だっているわけだ。世の中には人生の落伍者はいっぱいいる。彼らは人生をわざと失敗したのだろうか。きっと違う。失敗したくても失敗する人なんているわけがない。結果的にそうなってしまったのは当然で、なぜかはわからないがそういう道を送ってしまったのだ。そこに「成長がないからだ」などと言うつもりはない。本人もそれに満足しているのか、抜け出したいのかわからない。けれどそうなってしまった人生を多かれ少なかれ「受け入れて」生活はしているだろう。ビジネス書や自己啓発書は成功のために書かれている。それはそれで素晴らしいと思うのだが、でも人生って何が起こるかわからない。少しだけ歯車が狂って、思わぬ方向へ辿り着くのが人生だと思う。僕は失敗の方法が知りたいと思う。今やっている方法が「正しい失敗の方法」なのかを知りたい。僕から見て、正しくない方が楽しいように思えることも、きっと正しくない発想だとは思う。成功が怖い人がいることを君は知っているか。僕もその気がある、マジで。なんだって逆張りすると面白いよ。僕は天邪鬼。












2023年5月23日(火)49日目
体重:ーー
食べたもの:ーー

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昨日書いた「月に15時間はランニングをする」というものをもう少し考えてみた。まず「月に10時間はランニングをする」に修正する。まず最初に言っておくと、これは6月から施行しようと思う。ジムには休みの日があるので、毎日は行けない。そして個人的な休憩の日もほしいので、まずは月に10時間と設定する。これは30分のランニングを20日間すれば達成できる。ダイエットを成功させるには3つのことをすればよい。①運動②筋トレ③食事制限、この3つである。そう、原付に乗りながら考えていたのは、この3つに対して「月にどれだけやるのかを事前に決めておく」をやればいいのではないかということである。つまりノルマ制である。これは僕は「毎月30冊の本を必ず読む」ことにしていることからインスピレーションを受けた。これは試案だが、まず①運動は上記の「月に10時間はランニングをする」にし、②筋トレは「腕立てと腹筋を月に300回ずつ行う」にし、③食事制限については「月に10日は断食を行う」にしようかと思っている。まあ、一気にこれだけできるかわからないし、途中で変えるかもしれないが、しかし月ごとに何かを設定し、それらを達成する仕様は、もしかしたら僕に合っているかもしれない。事実、読書に関しては達成しているし、このダイエット記録も毎日続けて行うことができている。きっとできるのではないかと信じている。そのためには1ヶ月のカレンダーを印刷し、そこに上記の3つの目標を書き、1日ずつ行なったことを書いていく。それを積み重ねた数値も合わせて書き、現状も把握する。それを1ヶ月やっていく。今、これをやりたくて仕方ない。ノルマ制はコツコツした作業の好きな僕にはドンピシャではないだろうか。もしかしたら全てのものは何かを積み重ねていく形に変換することができるのかもしれない。そうすれば僕はそれに取り組める。まあ6月だ。6月になればできるかどうかがはっきりする。早く6月になってほしい。












2023年5月22日(月)48日目
体重:76.0kg
食べたもの:ーー

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近所の図書館まで歩いて20分かかる。原付バイクでは5分で行ける。図書館にもあまり行かなくなってしまっている。今では月に2回ほどか。借りて読みたい本がたくさんあるのになあ。そして図書館の近くには僕が契約しているジムがあって、図書館に行くついでにジムにも行くっていう計画があった。かつては図書館まで歩いていって、そこからさらにジムでランニングマシンで30分以上走っていた。とても運動にもなったし、だいぶ汗をかいた。運動をやってる感覚があった。しかし図書館に行かなくなってしまったため、ジムにも行けていないのが現状だ。ふと図書館に寄った1年半前の2021年11月、館内に文芸誌の「新潮」があったので、それを読んだ。久栖博季「彫刻の感想」が掲載されていた。それは新潮新人賞受賞作だった。僕はあまり文芸誌を読まないのだが、ふとした気まぐれから読んだ。面白かった。それ以降、僕は「毎月30冊読む」ことになった。予め計画したものではなかった。図書館に行く予定もなかった。むしろ久しぶりに図書館に行っていた。そういうものかもしれない。偶然から何かが起こることもある。あとどこかに行くということは「何かすること」なので何も考えてなくても行動さえしてしまえば勝ちなのである。さらに行動は習慣化することができる。本を読むことを習慣化することに成功した。運動だって理論上はできるはずなのだ。ジムまで歩いて行くのを習慣化することで、少しは自らの運動に寄与することができるだろう。このダイエット記録を続けてくることで、言葉を重ねていくことで、このような考えに至ったのが素晴らしいと思う。今週中にはジムには行こうと思う。図書館にも行きたいし。読書面では「毎月30冊読む」という縛りを設定している。これを運動面にも課せばいいのかもしれない。つまり「月に15時間はランニングをする」とか。おー、我ながら良いアイデアだ。この縛りでは毎日30分のランニングをすれば達成できることになる。何かこういうスタンプカード的なやり方の方が僕には合っているのかもしれない。5月末そして6月以降は「運動」にスポットライトを当てて、ダイエット計画を考えていこうと思う。










2023年5月21日(日)47日目
体重:74.6kg
食べたもの:餃子、野菜炒め、アイスなど

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断食はもう無理だ。食べまくっている。断食計画は一旦白紙にする。ジムに行こう。実は近くのジムと契約しているのだが、3ヶ月ほど行けていない。もちろん月賦は発生しているのでもったいないわけだが、でも忙しいという言い訳は愚かだが、しかし中々行けなかった。でも運動しなくちゃいけないですね。僕は筋トレすると頭が痛くなる。僕は偏頭痛持ちだが、そんな感じの頭の痛さが襲う。筋トレはしなくちゃいけないとは思っているのだが、そういう理由で後回しにしている。苦しい。僕は一生痩せられないのか。自分が嫌になる。自殺したくなる。近いうちにジムには行こう。まずは1日30分ほどのランニングをしよう。何事もスモールステップだ。30分を1時間にしていこう。今、YouTube用で撮影しなくてはならないネタが溜まっている。それも後回しにしてきたもので、つまり購入本紹介の動画だ。僕は本を買うと必ず机に置いておく。全ての購入本をYouTubeやTwitterで発表したいからだ。しかし動画を撮るのも気力がいる。最近は気力がなくて、これも3ヶ月ほど机の上に放置しっぱなしだった。もちろん本は適宜購入してくるので、それがどんどん増えてくる。現在200冊以上の本が机の上に積み重なっている。そうなると本の圧力が強くなって、余計にこちら側がしんどくなる。撮影していかないと減らないのに、撮影する元気が吸い取られて後回しにしてしまう。きっとダイエットも同じようなもので、毎日コツコツと運動やら食事制限をしなくてはならない。それができないんだよなあ。だからそれができるようになりたいですね。まずは机の上の本を処理していく。実は昨日は少し撮影したので、あと動画3本分だ。動画1本20〜30分はかかるので、1時間以上はかかるが、まずは机の上をすっきりさせる。それだけで心に背負った重い気持ちが晴れることだろう。それをしてからジムには行きたい。














2023年5月20日(土)46日目
体重:74.6kg
食べたもの:なし

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今日を入れてあと12日間の断食をする。YouTubeなどは自分のためにやっていると先日書いた。だがそうは言いつつ、先日YouTubeのチャンネル登録者数が7000人になった。これはシンプルに嬉しいことですね。継続することだけだよ、ホントに。僕はダイエット以外は継続することができると思っている。それは好きだからだ。好きなものはとことん突き詰めたい。それは基本的には小説・文学のことだ。先日もブックオフに行った時『イギリス・アメリカ文学史』という本が210円で売ってたから買った。最近はこういうのも買うようになった。何事も続けていけば次のステージが見えてくる。いきなり同時並行的に色んなことを成し遂げることはできない。何事もスモールステップだ。登録者数もまずは100人行かないと500人には達成しないし、5000人にならないと1万人にはならない。これは当然なのだが、しかし人間は先のことを踏まえて考えてしまう。ダイエットも同じで早く45kgになりたいと思っているが、まずは70kgにならないといけない。70kgになる前後で躓いていると嫌になってやめてしまう。そういうことはどんな分野だってあるだろう。だけど何も考えずに続けることだ。このダイエット日記も何も考えず続けるだけだ。色んな失敗はあっても辞めない限りは成功できる道は残されている。いや、そういうことでもないのかな。でも事実、色んなことを辞めた人たちを見てきた。彼らは結果を求めすぎていた。結果ありきで考えてはダメだ。結果は後から従いてくる。今はコスパやタイパの時代と言われている。だからこの「継続」の考え方は一見無駄のように見える。果たしてどうだろうか。だって成功している人に継続していない人はいない。継続こそ成功の1歩だ。うーん、成功のことを前提として考えてはならないが、けれど成功は結果的に発生する。この考え方は中々面白いと思う。成功→継続ではなく、継続→成功である。よくよく考えてほしいが、続けていけば必ず数字は積み重なる。この記事だって46日目だ。ダイエットはあまり進んでいないけど、でもやってることは前に進んでいる感覚はある。それでいい。100日目で成功するかもしれないのだから。そして僕はそんな感覚で登録者数7000人に到達したのだから。早く1万人にいきたいな。今の調子でやり続けたら、あとは時間の問題だろうと思う。好きなものを持つことこそ、ものの上手なれ。あなたは一生を費やせるほどの好きなものは持っていますか?












2023年5月19日(金)45日目
体重:74.0kg
食べたもの:魚のみりん焼き、ポテトチップス、人参を焼いた

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今日を入れてあと13日間の断食をする。今日は断食できなかった。理由は極度のストレス状態に立たされたから。嘘。極度ではないけれど、でも多少のストレスは感じただろう。というのもこのnoteにコメントが来た。このダイエット日記が中二病で読めたものではないというコメント。わざと難しい言葉を使いたがってるんだろう、馬鹿みたい、的な感じで長文で綴られていた。面白いと思った。馬鹿みたいと思ったら読まなかったらいいのに、なぜコメントまで寄越すのだろう。そのコメントを残したその人のnoteを見てみたら、その人の記事こそ中二病みたいだった。たぶん中二病って言われるのが本人が1番効くんだろうなあって思った。だからその言葉を相手に与えてダメージを負わせようとする。今でもそうだが、何年も僕のアンチをしている人がいて、その人が僕のことを「肉と皮のダブついた男」とnoteの裏垢で書いていたことがあった。もう何年も前である。その時の僕は75kgくらいだったが、そう言った男の体重は100kgを超えていた。人間ってしばしばそういうことがある。人のふり見て我がふり直せ。人を攻撃する際に発した言葉は、実は自分が1番喰らう言葉なのである。で、同時にわざわざアンチコメントを送ってくる人は、基本的には構ってちゃんなんだと考えている。だってそれを相手に伝えて意味があるだろうか。僕のこの記事は中二病的にあえて書いている。これはかつて僕はmixiでブログを書いていたが、これと似たようなのを書いていた。ブログを書くこと自体が久しぶりなので、言葉でどのような表現ができるのかチャレンジしてるって感じで今は書いている。ブログなんて1人で書くものだ。僕はYouTubeでもTwitterでもそうだけど、基本的には自分のためにやっている。それは外部からの影響がほぼないということ。それはディスられても褒められてもやり続けるってこと。その100kgあるやつは自分の小説が読まれないからと言って、もう書かなくなってしまった。色んな媒体で創作論など語っていたのだが。多分このnoteの記事もそいつは読んでいて、自分がディスられているように感じて、だんだん僕への攻撃性をましているんだろうけど、でもそんな奴はいないよ。100kgなのに僕に「肉と皮のダブついた男」って言うやつなんかリアルにいるわけがないだろう。それこそ馬鹿みたい。だからこの記事を見てもダメージは負わないだろうね。だってフィクションの存在なんだから。あと僕に対してネットストーカーをやるってそんな酔狂なやついるか?もしいるとしたら嬉しいね。友達になってほしいなあ。いつまでも。まあこの記事なんか唾棄すべきものだ。まともに読むべきものではないさ。










2023年5月18日(木)44日目
体重:74.0kg
食べたもの:

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今日を入れてあと14日間の断食をする。私は知恵。バー「黒鳥」のママ。昔は私のことを殴る男と結婚していたけれど、その後に離婚して、それから缶詰工場に務める名前のない男と再婚して幸せに暮らしていたわ。だけど結婚という魔にやられてしまった。彼も川に身を投げてしまった。未だに行方不明という。その川はゴミだらけだったけれど、彼の遺体を探すために定期的に掃除され、今では透き通るほどになっているのよ。どんな川も海に流れ込んでいる。私の彼の川だったし、私も誰かの川だったのかもしれない。そしてそれは全て繋がっている。存在しない川なんてないのよ。もし作者という存在があるならば、私はその作者を殺したいかもしれない、そう思っていた若い時期もあったけれど、この人生を選んだのは私。だから何も後悔はしないわ。知恵という名前は、神聖かまってちゃんに「知恵ちゃんの聖書」という歌があって、そこからインスピレーションを受けた、と昔バーに来てた人が言ってたわ。いつもサングラスをしていた青年よ。彼は今、何をしてるのかしら。元気かな。昔、大阪のバーにいたママさんが本当に好きで、100万円ほど落として定期的に通っていたけど、そのバーはコロナで潰れてしまったの。悲しい話だわね。だからかな、私の「黒鳥」の方に来たのかしらね。でも順番としては、私の「黒鳥」のことを書いたのが2016年で、難波にあったバー「Joint」に通っていたのは2019年なんだから、なんだかおかしいわよね。まさか小説に書いたことが未来で現実化したとでも言うの? それとも彼の願いが無意識的に小説として書かれたのかしら。彼は変な人だった。だけどまだまだね。自分で変って言ってたけど、それほど変じゃなかったわ。親父が吸ってたというKENTを愛飲していたの。でもゲホゲホむせて、なんだかいつも強がっていたわね。そういうところは可愛かったんだけどね。彼はもう来ないのかしら。彼もそうだし、私が愛したあなただって、いつもいなくなる。どうしてなのかしら。まるで雨の日には猫がいなくなるように。あなたたち、もし生きているとしたら、いつでもバー「黒鳥」にいらっしゃい。歓迎するわ。一緒に語り合いましょう。泣きたくなった、これまでの人生のことについて。存在しないのはあなたたちよ。いつまでも私のことを忘れない。







2023年5月17日(水)43日目
体重:75.0kg
食べたもの:なし

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今日を入れてあと15日間の断食をする。僕の好きな歌で、筋肉少女帯の「機械」という歌がある。狂った研究者がある機械を作った。その機械は天使を呼べると。そして人の悲しみを消すことができると。彼女だけが男を信じた。天使はきっと2人の元に訪れるだろう。かつてヴィルヘルム・ライヒという精神科医がいた。彼は1939年に「オルゴン」という空気中に漂うエネルギーを発見した。そのオルゴンを大きな箱に入れ、さらにその中に人間を入れると、患者の様々な病を治療できるとした。これがかの有名なオルゴン・ボックスである。時代は遡って18世紀のドイツにフランツ・アントン・メスメルという医者がいた。彼は動物磁気を発見した。生体内にある「動物磁気」の平衡が崩れた時に人は病気になるのだと。だから彼の治療法=メスメリズムによって、患者の生体内にある磁気の平衡を戻すのである。具体的には患者に鉄の棒に触れさせ、メスメルが自身の動物磁気を患者に流し込む。これにより患者は痙攣を起こし、一瞬にして病は治療される。現在オルゴンボックスもメスメリズムも疑似科学扱いされている。つまり科学的根拠はなかったのだ。しかしメスメルの方法は、現在の催眠療法とプラセボ効果の先駆けであり、メスメリズムはフロイトの自由連想法へ繋がっていくという流れがある。僕の好きな歌で、筋肉少女帯の「オカルト」という歌がある。かつて神様が青年に超能力を与えた。能力はどんな願いにも使える万能のものだった。この力で人類を救済せよと神が命令を下した。たった1度だけ使えると。しかし青年はその能力を自分の恋のために使う。そして人類が滅ぶのだ。また僕の好きな歌に「カミサマネジマキ」というボカロの歌がある。天才学者が人類全ての願いを叶える装置を開発するのだが、それにより甚大なカタストロフィを引き起こすことになる。男ってホントに馬鹿。どうして何度も世界を滅亡させるのよ? どうして私を解放してくれないの? これじゃあ椎名林檎の方がよっぽどマシ!『加爾基 精液 栗ノ花』ってアルバム聞け!









2023年5月16日(火)42日目
体重:76.0kg
食べたもの:なし

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今日を入れてあと16日間の断食をする。ALI PROJECTの「暴夜layla幻談」では、人が溺れるものは3つあるとした。恋と富と闇だ。あなたの望みを叶えてくれる者がそこにいて、まずは恋を叶えてくれる。だが満たされないので、次に富をくれる。しかしそれでも満足しない。ならば禁断の望みとして闇が最後に与えられる。そして魂を取られる。そんな物語。人の命などその3つのためにあると喝破したわけだ。おかしいと思うだろうか。でもよくよく考えてごらんなさい。我らは80年近い人生を使って恋と富を求めてはないだろうか。結婚したい。金持ちになりたい。この2つは子供だって思うだろうよ。それが人生の大きな軸になっている人間の多さよ。けれど闇についてはどうだ? 闇はむしろ欲しくないと思う人も多いかもしれないな。そりゃそうだ。だけど最も怖いのは闇だ。闇こそ人が恐れているものであり、一瞬にして取り憑かれるものだ。闇とは一体何だ? 犯罪行為を指すのだろうか。もしくは通常の人がしないようなことをすることだろうか。夜だ。夜になれば闇の帳は降りる。夜こそが闇だ。そして闇は視界を奪いとる。そこでは光の世界のルールとは異なっている。闇に生きる者たちは、しかし確かに存在していて、僕も光の世界では生きていけない体の輪郭をしている。僕は愛される者の手によって殺されたい。彼女の入れた毒杯を飲みたい。昔はよくそんなことを思っていたな。高校生の時にmixiにあった闇系のコミュニティに複数入っていたので、同級生に、ついに頭がおかしくなったと言われたっけ。君は自分の寿命を全うすることを考えているか? 平均寿命の80歳から逆算して、結婚は何歳までにして、貯金は何歳までのこのくらいにしたいと考えていないか。それは極めて穏当だと思う。でも僕は不思議だ。皆は考えないのか、自殺するリスクを。僕は僕自身、明日にでも自殺してしまうのではないかと疑っている。だからYouTubeで記録をしている。自分がいつ死ぬかわからないから。変かな。異常かな。闇に陥落させられているからだろうか? そうか、人は闇に溺れないために恋と富を求めているのかもしれないな。自らのはらわたを見たくないために。フロイトは「人間には死の欲動=タナトスがある」とした。デストルドー。君が持っている、その凶々しい気持ちを認めたら?










2023年5月15日(月)41日目
体重:77.0kg
食べたもの:なし

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今日から5月末まで断食を始める。今日を入れてあと17日間の断食をする。昨日は大きな袋のポテトチップスやコンビニ弁当などたくさん食べた。夜中ファミリーマートに行ったらおばちゃんの店員に廃棄になるだろう賞味期限がこの日のパンを1つサービスでもらえた。嬉しかった。明日から頑張ろうと思えた。つまり今日からまたダイエットに勤しみます。食欲は急に襲ってくるもの。こちらがその襲来に備えておかなければならない。昨日までは先日の人との邂逅に引っ張られていたわけだが、しかし5月そして6月以降は誰かと会う予定がない。ダイエットに集中できるわけだ。かつてフロイトの精神分析において、クライエントは分析を受ける際に、家の引越しや結婚などの大きなイベントをできるだけしてはならなかった。なぜなら急なイベントにより、クライエントの精神状況を純粋に観察することができなくなるからだ。または分析を受けて心が大きく揺り動いている時に、例えば結婚や離婚などの個人的なイベントが挿し挟まると、心が耐えられなくなって悪化する可能性もある。ダイエットも似ていると思う。ダイエットは心身を安静にしてからやるべきだ。ダイエットは身体の問題だと捉えている人が多いかもしれないが、実は極めて精神的なものに近いと思う。これは作家活動が精神的なものよりももっと肉体的な活動に近いことにどこか似ているかもしれない。身体を動かすことはまず精神を動かさなければならない。物を食べないだけでも身体に抗わないといけない。ビジネス書では何も考えずに「生活習慣に落とし込めばいい」とよく言われる。しかし「物を食べないこと」は何もしないことなので「無」を生活習慣に落とし込むことができない。おそらく冒頭で言ったように、ダイエットとは「食欲という大きな敵」から自分を守るイメージではないだろうか。これは「準備」の問題であり、極めて精神的なものと言える。日本では自衛することは許されている。まあ難しいことを並べ立てても仕方ない。もっとシンプルなことだ。つまり僕は5月末まで飲料と飴以外は口にしないことにする。まずは17日間。断食は長期でやるほど効果的だ。そしてそのまま70.0kg切るくらいまでは続けてやんよ、俺だって。










2023年5月14日(日)40日目
体重:75.6kg
食べたもの:たくさん(不明)

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僕には弟がいた。拓真という名前だ。1992年3月20日生まれ、3月22日に亡くなった。享年0歳。僕が覚えていることはほとんどない。3歳の時だ。当たり前だ。だけど母が言うには、拓真ちゃんが死んだ時に僕は大声を上げて泣いていたそうだ。そして僕の寂しい世界はそれから広がったのだそうだ。今年の2月には母方の祖父が亡くなった。初めて葬式に参加したが、人は死ぬと骨になった。箸で拾って骨壺に納めた。そのあと寿司を食べた。人はいずれ死ぬ。止まった時間。止まった愛。死は何もかもを停止させる効果があった。もし僕が好きな人たちが死んだら僕はどうなるんだろう。大学院の時にお世話になった老教授が亡くなった時、僕はどんな気持ちだったのだろう。覚えていない。まだ人の死に慣れていないのか。それとも自分の死に脅えてるのか。僕はいつも怖い。臆病な自分がそこにはいる。僕は酒を飲んだら、性格が二段階でチェンジする。まず笑い上戸になる。ゲラゲラと何でもおかしく感じてしまう。だけど酒をもっと飲むと、泣き上戸になる。自分の存在が申し訳なくなって、誰かに謝ってばかりいる。ごめんなさい。生きていてごめんなさい。僕の深層にはそれがずっとある。いつまでも罪障感に満たされている。それは弟の死のせいか? 俺のせいで弟が死んだとでも思っているのだろうか。今年の2月に実家の犬のコタローくんも亡くなった。辛かった。でも叫べなかった。我慢したのだろうか。そういえば3歳頃までにいた母の実家にはミルちゃんという犬もいた。もちろん彼女もすでに亡くなっている。幼い頃、僕はどんな子供だったのだろう。何を抑圧していたのだろうと思う。今、心の中にいる幼い俺は泣いているだろうか。何も見えず何も聞こえず何も感じず、ただ泣いている。その光景をずっと覚えている。いつまでも僕は覚えている。彼をそっと胸に引き寄せて抱きしめてあげたい。そして言ってあげたい。これからも君は苦しむだろう。もっと辛い人生が待っているんだよ。いつまでも救いはないんだよ、って。そして、そう言う僕もきっと泣いている。泣いていた。











2023年5月13日(土)39日目
体重:不明
食べたもの:不明(たくさん)

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断食失敗。記録も失敗。この記録を疎かにするとやはり食べてしまう。まあ先日に人と会っているので、その流れで食べてしまっているのは仕方ないことだ。よくあることだ。ダイエットはまた来週から始めます。僕がよく昔に見た夢がある。自分が砂の一粒になる夢だ。そこには砂漠があり、時間と共にカメラが引いていき、砂漠がどんどん広がっていき、相対的に自分がもっと小さくなり、最終的には極小になって消えてしまう。正確に言えばこれは夢ではなかった。眠る前の電気を消して暗闇になるとこの感覚を抱いていた。だから目を開ける。現実に戻ると自分がベッドに横たわっている。砂ではないことに安堵する。でも僕はきっと現実も砂なんだと思う。なんだろう。僕は普通が嫌だった。いや違うな。両方ある。普通になりたかった。自分がおかしいと思っていた。苦しかったからだ。生きていることがとても苦しかった。今でも苦しい。だからきっと僕は人とは違うんだって思っていた。だから普通になりたいと。でも普通は普通で嫌だった。凡人にはなりたくなかった。だから普通の人がしないようなことがした。詩や小説を書いていたのもその一環だ。作家になることは普通の対極にあるものだ。人が思いもしないことを書くことで作家という職業となる。それは凡人にはなれない。だから憧れたのかな。今では1万5000冊の本を持っているし、とある新人賞の最終候補になったこともあるし、YouTubeでも800本の動画を出したし、小説新潮にも掲載されたことがある。心理学の大学院を修了して公認心理士という国家資格も持っている。きっと普通の人がしていないことを多くしているだろう。だけどそれでも苦しい。僕は何をしても苦しいのは変わらない。普通になれても普通じゃなくても苦しいのは変わらなかった。でもやり続けるしかないのだろう。前に進むのはやめないつもりだ。今は砂の夢は見なくなった。どうしてなんだろう。もう僕は砂ではないのだろうか? それとももうとっくに人なのか? またはやはり人ではないのか? 砂は星に似ている。宙に浮かぶ星星がいつか落ちてくるように、砂も砕けて濁流に呑まれることもあるだろう。その寂しそうな深い闇こそが僕の唯一還る場所かもしれないけれど。









2023年5月12日(金)38日目
体重:74.8kg
食べたもの:不明(たくさん)

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今日を入れてあと3日間の断食をする。乗代雄介、李琴峰、高山羽根子、町屋良平、上田岳弘、滝口悠生、小山田浩子、磯崎憲一郎の全ての本をまだ読んでいない。だから全て読みたいと思っている。海外文学に興味が出てきたら、その反動で国内作家に注目してしまっている。僕は月に30冊読むことにしているが、その30冊のうちで同じ作家を選ばないルールを自分に課している。つまり1ヶ月で30人の作家のそれぞれの作品を読んでいるわけだ。しかしこうなると1年=12ヶ月で同じ作家の作品を12冊しか読めないことになる。それはそれで少ないような気がする。上記の作家たちは読んでいない作品がそれぞれ3〜7冊あって、そうなると2023年内にギリ読めるレベルだ。だが筒井康隆や大江健三郎などの膨大な著作に取り掛かるとすれば上記のルールでは何年・何十年も掛かってしまう。難しい問題だ。そして上記の作家の全ての作品を読むことは「マジの純文学好き」からすれば至極当然の行為だと言えよう。それぞれ特徴のある作家だからだ。癖が強いと言ってもいい。芥川賞を受賞してる作家がほとんどだが、僕は芥川賞作家を重要視している。とは言いながらマイナーマイナーな方へ行きたいとも思っているのだが。代表作だけを読むのは僕として失礼だとは思っている。僕には良くも悪くも完璧癖がある。1人の作家が残した作品を全て読みたいと思っている。今はとりあえず著作だけだ。文芸誌に掲載された文章までは追いかけていない。あくまでも単行本化されたものだけだ。今のところそれでいい。それでいいけれど、やはりまだまだ僕は読み足りていない。世間の本物の読書家には到底及ばない。まあこれからだ。まずは2023年内に上記の作家の作品を読もう。そうして、まだ見ぬ新作に備えよう。








2023年5月11日(木)37日目
体重:74.8kg
食べたもの:なし

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今日を入れてあと4日間の断食をする。昨日はとある人に会った。文学について幅広く研究をされていて、YouTubeなど多くの媒体で活動している人だ。今年の1月に東京で初めて会ったのだが、その人が仕事で大阪に来るとのことだったので、急きょ会うことになった。僕たちは18:30頃に天王寺で集合し、そのまま通天閣に一緒に行き、串カツを食べて、それから味園ビルのバー「夕顔楼」に行き、その人の知人という音楽家の人と合流した。華倫変やベクシンスキや駕籠真太郎やボルヘスやantihoneyやカヒミカリィなどの話をした。かなり刺激を受けた。音楽家の人からは、角川文庫から出ている、ぼくらはカルチャー探偵団編『短篇小説の快楽』という本を教えてもらった。全く知らない本だった。家に帰ってすぐに調べたら、なんとアマゾンで4700円したが、初めて使ったペイペイオークションで400円で買えました。やった。なんだか凄い本らしいんだよね。人から教えてもらった本は、すぐにチェックしましょう。もしそれが自分の知らない本なら尚更。メモは必須。詳細はまだわからないし、ここで書いていいものかわからないが、今日会った東京の人と一緒に文学系の仕事をしようと提案された。「仕事」とは言っても最初は小規模なものだろうけれど、聞いている限りはかなり興味が湧いてくるものだ。もちろん僕は了承した。まだまだ未定のことも多いけど、色々と面白そうなことができそうな雰囲気である。死なないでよかった。彼らと別れて終電に乗って帰宅して、久しぶりの遠出でだいぶ疲れていたからか、深夜、僕の中の死にたい気持ちが渦巻いていた。しょうもないゲーム実況を流しながら、自殺防止のウェブページを見ていた。みんな苦しんでいる。それだけで仲間がいるようで力をもらえる。不謹慎だけどね。しかし僕はまだまだやりたいこともあるし、その人との共同の仕事もしてみたいから。ダイエットは今日からまた4日間の断食を始めます。早く45kgになってみたいし。それにしても今日は濃い1日だった。朝にはマイナンバーカードを受け取りに行った。ブックオフで8冊の本も買った。古井由吉『辻』を100円で変えたのがよかった。小さな幸せを見つけて生き延びよう。小市民になろう。そして文学をもっと詳しくなろうと誓ったのだった。躁的に長い日記だ。たまには長い文章もありかもしれないね。もう夏の気分だ。









2023年5月10日(水)36日目
体重:73.4kg
食べたもの:フライドポテト2パック、ポテチ1袋 、串カツ10本、どて焼き、ナッツ類、大きいポテチ1袋 

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今日を入れてあと1日間の断食をする。と書いているが、明日会う人と急遽今日に会うことになったので、今日は串カツを食べる予定。これは仕方ないのでアリということで。しかしこの4日間で僕は断食をすることができた。体重もだいぶ減らすことができた。事前に「何日から何日まで断食すると宣言すること」は効果的なのではないかと思う。2023年中に45kgまで痩せたいと本気で思っているので、色んなチャレンジをやっていこうと思う。試行錯誤だ。うまくいった方法を継続することで何だって数字を出すことができる。YouTubeに関してもそうだと思う。よく知り合いと喋ることが多い話題だが、どうやったらYouTubeの登録者を増やすことができるのか、をよく議論する。これは僕の持論だが、1つのテーマを持ちながらとりあえず100本ほど動画を出す。これだけでもある程度のファンは生まれるだろう。もちろんサーチとリサーチは大事だ。つまりそのテーマはYouTube内でどれほど人気があるのかないのか、他のYouTuberはどんなことをやっているのか、自分は彼らとどのような違う内容や方法を取ることができるか、オリジナルやアイデンティティを持てるか、やる気や継続力は持てるか、この辺りを自分の中でどれほど言語化して考えられるか、もあるだろう。YouTubeは長期的なレンジで考えるべきだ。これはダイエットによく似ている。僕は3年半ほど続けられたわけだから、ダイエットについても頑張りたいと思う。また断食をして1つの目標としては5月中には70kgを切りたいと思います。









2023年5月9日(火)35日目
体重:73.4kg
食べたもの:なし

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今日を入れてあと2日間の断食をする。僕がダイエットをしたい理由は色々あるとしても、やはり大きな1つの理由としては、もっと本を紹介したいためがある。ルッキズムに関しては、僕自身は反対なのだが、しかしYouTubeでは必ず最重要となる価値観ではないだろうか。やはりイケメンや美人の動画は見られやすい、そういう傾向は一般的に見られるだろう。もし僕がダイエットに成功して45kgになったとすれば、今と比べるとイケメンになると考えられる。もし「イケメン」という表現が癪ならば、今よりずっと「シュッとする」と言い換えてもいい。そうした見た目になった肉体が紹介する本は、もっと多くの人に試聴される可能性があるわけで、そうすればその本はもっと認知される可能性があると言えよう。とても嬉しいとは思わないか。僕は自分のためには何も行動できない。本のために、読書のために、さらなる次の行動を考えている。ダイエットもそうだ。僕はもしかしたら人類で初めての謎のダイエット理由を抱えている人間かもしれない。それはシンプルにオモロイと思う。まあしかし、これもダイエットに成功しなければ、単なる机上の空論だ。口先だけになってしまう。僕の嫌いな言葉に「有限不実行」がある。聞いてるだけでもイーッてなる、許しがたき概念の1つだ。僕は他人に何か言われても痛くも痒くもないのだが、自分を裏切る行為だけは絶対にできない。変に馬鹿正直で愚直だからだ。もっと勇気がほしいよ。泣かない勇気を。死にたくならない勇気を。自分に負けたくない! そうだ、僕は読書に救われてきた。だから少しでも読書に恩返しがしたい。マイナーな本にこそパワーを込めて紹介する、身長160cm・体重45kgの読書系YouTuberになりたいと思っている。そのために今努力している。僕は今こそ涙を流して、この残酷な運命を切り開くことができるのだろうか。君よ、もっと目を腫らしてよ。












2023年5月8日(月)34日目
体重:74.2kg
食べたもの:なし

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今日を入れてあと3日間の断食をする。何かにハマれることは貴重なことだ。僕は読書という趣味を手に入れた。母は映画やドラマが好きで家でいつも何かを見ている。父には何も趣味がない。意外と人は趣味を持たないと思う。僕の感覚では7割の人には趣味はない。10年以上何かをし続けられるのは幸せなことだと思う。僕は読書に命を賭けてもいい。そこまで思うし、結婚と読書、天秤にかけるとしたら読書の方を取りたい。もちろん両方とも取れるならそっちがいいが。人生って虚しいものだ。世の人々はそう思わないのだろうか。自分の命の軽さに絶望しないのだろうか。人は日々の生活をするために日々の生活を送っているように思われる。これは生きるそのものの目的を持たないことと等しい。人生で何かを成し遂げたくはないのだろうか。君は自分の命を使って何がしたい? それをはっきりと言語化できるだろうか。そのための目標を拵えて、そこへ向かってスモールステップできるだろうか。僕はある。読書だ。今は海外文学を読み進めたい。日本の純文学は文学賞を取った作品を片っ端から読んで、そしてそれをYouTubeで紹介したい。僕が過去に動画で紹介したことのある、越川芳明ほか『世界×現在×文学 作家ファイル』という本がある。この本では現代の海外作家が100人以上紹介されているのだが、僕はこの本を2023年2月3日にアマゾンの中古で1000円で購入した。今見てみるとアマゾンの中古価格は5300円になっている。かなり値上がっているのである。おそらく僕が紹介した動画を見た視聴者がこの本を買ったために、今では中古が残り2冊だけになるほど売れて値上がったのではないだろうか。もちろん絶版だから定価で買えず、今は上記のプレミア価格でしか扱っていない。僕はこういうことがしたい。面白いレアな本を動画を通じて人々に知ってほしいのだ。誰も紹介しない本を再評価して紹介し続ける。これが僕が目指す「本の楽園」である。











2023年5月7日(日)33日目
体重:75.0kg
食べたもの:なし

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今日を入れてあと4日間の断食をする。海外文学を読んでいる。白水社の「エクス・リブリス」というレーベルを今13冊ほど読み終えた。82冊あるうちの13冊。順調ではないでしょうか。海外文学のガチ勢は日本に3000人しかいないと言われている。その3000人に入りたい。日本の純文学に関しては特に現代のものはほとんど知っている。読んでいるかいないかは別にして、知識上ではかなり知っていて、現状これ以上の知識を得ることができない。僕は知識マニアの面があるので、文学について何もかもを知りたい。ゆえに今まで手をつけていなかった海外文学に着目しているというわけだ。海外文学ではその国の歴史や政治が大きく関わってくる。戦争やクーデタなど描かれることがある。そういう異文化を楽しむことができる。つまり社会学的な民族学的な読み方が可能だ。そういう状況に置かれた主人公が何を思うか、それを味わえる。しかし僕は思うのは、そういう社会学的な読み方に徹するだけが文学ではないのではないかということだ。むしろそういう読み方をするなら別に小説でなくてもいい。新書やwikiを読めば伝わる。小説とは何のためにあるのだろう。海外文学の楽しみ方は、もしかすると日本文学の楽しみ方とは違うのではないか。これから読んでいけばわかっていくのだろうか。今まであまり海外文学を読んでこなかった分、これから僕は沃野に入り浸ることになるだろう。文学はまだまだ楽しい。











2023年5月6日(土)32日目
体重:76.8kg
食べたもの:なし

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今日から5日間の断食をする。この記録が30日を突破した。この1ヶ月で最高で5キロまで痩せられた(73.0kg)。しかしここ数日で食べまくっているので数字が膨れ上がっている。僕は弱い。僕は意思薄弱なのである。だから事前に縛りをつけなくてはならないのだ。僕は「月に30冊の本を読む」というルールを決めている。そういう縛りを作らないと僕は本を読まなくなるからだ。これはダイエットにも言えそうである。だから今日5/6から5/10まで断食すると決める。こういう「何日から何日まで断食する」と事前に決めて行うことをこれからしようと思う。5月は予定はないとしていたのだが、5/11に東京から知り合いが大阪に来ることになり、通天閣周辺などを案内しようと思っている。その時は串カツなどを食べると思うので、その日までに断食を決行したいのだ。僕は悔しい。なぜ食欲に負けるのだろうか。たったひと口でも固形物を口に入れると巨大な食欲の波に襲われる。それは避けようがない。だから最初から何も口に入れないようにしなければならない。典型的な0か100の思考なのだが、これだけはもう仕方ない。それが僕の体質だ。苦しい、とても苦しいこの1ヶ月だった。まあしかし、ここはポジティブに考えて、30日間も記録することができた自分を褒めようと思う。この記録はきっと習慣化することに成功しただろう。それだけは言える。なので次の1ヶ月はこの記録を生かして、ダイエットをより良い結果に導こうじゃないか。2ヶ月目にすることは先ほど書いた「何日から何日まで断食することを事前に宣言する」ことにしよう。何ごとも実験精神だ。こういうルールを決めたことは後々に絶対に活かされるから頑張ろう。











2023年5月5日(金)31日目
体重:75.2kg
食べたもの:団子、牛肉を焼いたもの、野菜炒め、ポテトチップス、カルビ丼、鶏肉を焼いたもの、ご飯、ランチパック、小ケーキ

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先日、日本に存在する色んな純文学系の文学賞の受賞作リストをwordに打ち込んだ。そしてその一覧に1つずつ番号を振ったものを印刷し、読んだ作品があれば黄の蛍光ペンで塗っていった。これで手元には戦後以降の日本文学がある。日本の文学賞の歴史において、まず1935年に芥川賞が始まる。1941年には野間文芸賞が始まり、谷崎潤一郎賞は1965年に始まり、川端康成文学賞は1974年に始まる。野間文芸新人賞は1979年で、三島由紀夫賞は1988年だ。他にも公募の新人賞もそれぞれ歴史があって、純文学の文学賞はかなりたくさん存在するわけだ。ちなみに世界においても文学賞という文化は20世紀から開始される。ノーベル文学賞は1901年からである。日本の文学賞には大きく3つの種類がある。①公募の新人賞(新潮新人賞、群像新人文学賞、文學界新人賞、文藝賞、すばる文学賞、太宰治賞など)、②非公募の新人賞(芥川賞、三島賞、野間文芸新人賞など)、③非公募のベテラン賞(野間文芸賞、谷崎潤一郎賞、川端康成文学賞など)の3つだ。ふと思ったことなのだが、純文学の作家志望の人においては、公募の新人賞や芥川賞などの非公募の新人賞を読んでいることが多いと思うのだが、個人的には非公募のベテラン賞を読んだ方がいいのではないか。そちらの方が作家生活を10年も20年もしているベテランの熟した小説が読めるからだ。まあそういう僕もベテラン賞はあまり読めていないのだが。しかしリストも揃ったことだし、これからどんどん読んでいく所存ではある。いつか全てを読める日は来るのだろうか。P.S. 芥川賞は受賞作を含めて全ての候補作を入れるとこれまでで1145作も存在する。さすが88年の歴史だぜ。













2023年5月4日(木)30日目
体重:75.2kg
食べたもの:団子2本、小さなチョコ3個、ラーメン、明太子、菓子パン×2、ポテトチップス

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昨日は朝から頭痛がしていた。ロキソニンを放り込んで、それだけでも疲弊する。1日何もできなかった。こんなしんどい日はやけに空腹だ。何でもいいから満腹になるまで脂っこいものを口に入れたい。が、スープを何杯も飲んでごまかした。自分を褒めてやりたい。まあ飲み物を大量に飲むだけでも体重は増えるんですけどね。深夜まで億劫さが続いて自分がやるせないので、中原昌也『あらゆる場所に花束が…』を再読したが、この支離滅裂さが文学だと感じる。文学とは何でもありの世界だ。芸術の世界だ。僕が文学の道に進んだのは筒井康隆のおかげだ。僕は大学生だった。世界にうんざりしていたが、ブックオフでたまたま筒井康隆を手にとった。『時をかける少女』からだったかもしれないが、でも『笑うな』や『日本以外全部沈没』などでハマったと思う。『家族八景』『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』のいわゆる七瀬3部作や『メタモルフォセス群島』なども読んだ。長編に関しては今度また語りたいが、その破茶滅茶に笑ったのだ。かつて又吉直樹が筒井康隆の作品について述べたコメントがある。色んな文学があり、それらを読んで面白くなかったとしても、どんな人でも筒井康隆を読めば必ず笑える。文学の最終兵器なのである、と。僕もまんまと引っかかったのである。文学は何をしてもいい。人生だって何をしてもいい。僕の文学の原初体験はそこにあった。意外と人は「しなくてはならない」「してはいけない」の倫理に縛られている。それに苦しんでいる人がいる。つまり僕のことであったが、文学はその囹圄を無くしてくれる。それは救いだ。それは祈りだ。それは痛みだ。それは…。それは…。それは…。











2023年5月3日(水)29日目
体重:75.0kg
食べたもの:なし

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僕はうつ病的な気持ちがある。自分は生きていても仕方ないと。早く死んだほうが社会の役に立つのではないのかと。他の人は頑張っているのに自分が何もできていない、そのことで余計に苦しい。どこまで行っても自尊心はない。世界で1番劣った人間が自分なのだ。そんな気持ちで心がいっぱいになる。幸せなことは何1つない。だから早く死ななければならない。高校生の頃からずっとそう思っている。僕は仏教に興味がある。無を前提とする考えが好きだ。色即是空空即是色。世間では宗教はバカにされるかもしれないが、しかし苦しみを背負った人が最後に辿り着くのが宗教だ。苦しみをマイナスと捉えて、幸せをプラスと考えると、僕がプラスになることはこれから一切ない。しかしマイナスでもプラスでもない「ゼロの状態」なら行けるとは思っている。瞑想や読書はそんなイメージだ。先に進めなくてもいい、現状維持でもいい、生きていること自体に留まれば「ゼロ」でいることはできる。僕にできるのは今はそれだけだ。ダイエットと読書と動画投稿が趣味であると過去に書いた。その3つは数字が見えるのがとてもいい。毎日何のために生きているのかわからないが、その3つの数字は毎日の進みを実感させてくれる。日々の積み重ねが、いつか僕をどこかに連れていってくれるかもしれない。死んだ後に記録として残るだろうし。僕が数にこだわりがあるのは、そういう理由からだ。痩せたらこういう考え方は変わるのかなあ。早く30キロ痩せてみたいなあ。イケイケの僕なんか想像できないけど、いつか違った人生を体験してみたいです。










2023年5月2日(火)28日目
体重:76.0kg
食べたもの:なし

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今日からまた断食したい。YouTubeで調べると30日間ほど断食をしている人も何人かいる。その人たちの場合、1ヶ月の断食で10キロほど痩せることができている。中には64日間も断食やってる人がいて、その人は元々は100キロを超えていたためできていたような気がする。しかし世の中にはそのようにしか痩せられない人たちがいる。そこが人間の面白いところだと思う。もし「科学的に正しいダイエット」あったとしても、それが万人に当てはめることができるかどうかは、また違う問題だ。人には生活がある。心がある。どれだけ「正しい」とされた方法があっても、それを物理的にもしくは精神的に実行できない人だっている。この場合の「科学」とは大多数のデータの統計に過ぎない。実は科学には2種類存在していて、それは「物理的な科学」と「統計的な科学」である。100回中100回同じことが起こるのが「物理的な科学」だが、実は平均や偏差など統計を使って行う「統計的な科学」は、何か実験を行った場合、100人中80人がそれを行なうとしても、残りの20人がしていないのであれば、その20人にはその傾向がないことになる。この場合、百発百中は存在しないので、絶対的な正解はない。それは人間や動物に対する実験であることが多い。だからこの場合、科学的なダイエットできる方法などを見つけるとすれば、統計的に「正しい」とされたとして、目の前の1人がそれに合ってるかどうかは、また別の問題だ。僕の場合、過去の傾向から導いて「断食」が自分に合っていると考えている。過去に何度も10キロ20キロ痩せたことがあるからだ。しかし僕の場合は痩せることよりも「リバウンド」の方に気をつけなければならないだろう。その話はまた今度にするとして、まあしかし、とにかく今は同志たちの努力を見ながら僕も頑張っていこうと思う。








2023年5月1日(月)27日目
体重:76.2kg
食べたもの:フライドポテト、おでん、ご飯

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自殺について。ずっと死に惹かれる人生だったな。中学生の時に、乙一『GOTH』に始まったと思う。原作の小説版も好きだけど、漫画版の破壊力が凄かった。臓器の表現が良かった。実写映画も見にいった。同じ漫画なら玉置勉強の『東京赤ずきん』全4巻のダークさは衝撃だった。音楽で言えば、ALI PROJECTの、ゴスロリ的世界観にはハマった。特にPVの「狂夢伝染」の映像美はもの凄い。いつかゴスロリの服が着てみたい。またヴィジュアル系バンドにハマったのもその一環だろう。Dir en greyの「残-ZAN-」「Agitated screams of maggots」「dead tree」のPVも捨てがたい。神聖かまってちゃん の「るるちゃんの自殺配信」のPVは一気に死ぬ気にさせてくれるし、北野武監督の映画作品である「ソナチネ」の久石譲のテーマソングもいい。どこまでも暗く沈んでいけるから。とにかく暗いものが好きだ。小説にハマったのもそう。自我に沈潜できるコンテンツを味わいたい。死にたいことに、もう「間違い」はない。死は2度と「間違い」がないんだ。僕は自死について考えない日はなかったし、今もそう。あなたたちが、この記事を読んでいるこの瞬間も、つかっちゃんは、死にたくて仕方がないんだよ。わかってる?僕はオーバードーズをしたこともあるし、放っておいても、いつか死ぬような人間に、怖いものはない。死ぬのはいつだってできる。ホームセンターでロープを買って首を吊ればいいんだから。自重で苦しめばいい。でも今はダイエットかな。痩せてゴスロリ着たいからな、まだ生きるわ。イケメンっていうか、可愛くなりたいね。
















2023年4月30日(日)26日目
体重:75.0kg
食べたもの:ポテトチップス(大)、菓子パン4つ、野菜炒め、中華弁当

コメント:
許してくれ、許してくれ。僕は生きている限りは許しを乞い続ける。自分の存在に許可が必要なのだ。自分の存在こそ他者への迷惑、そういう思いがずっとある。生きている自分が嫌だ。存在しているだけで何かが損なわれる。小中学生の時に、僕は父親から殴られて育っている。父は僕の話を聞いてくれなかった。父親に殴られていた時、僕は警察を呼んだことがある。しかし父は単なる喧嘩だとして警察を引っ込ませた。僕はその時、子供だったから説得力がなかった。しかし大人になってから父と喧嘩をした時、父は警察を呼んだ。そして僕に殴られたと主張した。父はいつも自分中心だった。自分が嫌な思いをしたら大声で周りに訴える。他の家族のことは考えない。そういう人間だ。僕も母も妹のその犠牲者だ。僕はそれで精神がねじくれてしまった。僕が全て悪者にされた。それでいい。きっと僕は生きているだけで悪なのだ。だから全ての責任を負って自殺しなければならない。そう思って生きている。このような挿話はあたかも陳腐で、まるで畸形魚のように食えたものでもないのだが、ところで僕はグロい漫画が好きなのだが、なあ君は僕の言いたいことがわかるだろう?逆に子供向けの、優しい世界に満ち満ちたアニメなどを見ていると、僕は泣きたくなる。潰してやりたい。僕はそういう世界に生きたことがないからだ。君は許しを乞うても決して許されない世界を知ってるか?なあ、痩せたら僕はみんなに愛されるようになるのだろうか。愛を知らぬ者にとってこの世はどのように生きていけばいいのか?教えてください。許してください。









2023年4月29日(土)25日目
体重:75.4kg
食べたもの:なし

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昨日は古本祭りに行った。カレーもたくさん食べたけど、結果的になぜか痩せた。太ると思っていたけど、太らなかった。重い本50冊をスーツケースに入れて運んでいたからかな。古本祭りのあとはメンズコンカフェ2店舗にも行った。一緒に行った知り合いが、メンズコンカフェという夜のお店が好きな人で、その人に連れられたのだ。そういうことはよくある。「メンコン」とはいわゆるホストとボーイズバーの間くらいの存在で、イケメンが揃っていてお喋りができる店だ。実は僕も興味ある。なぜなら僕はダイエット中なので、イケメンを見るのは勇気がもらえるからだ。過去に5回ほどメンコンに連れていかれているが、僕がそこでやることは、そこのキャストに身長と体重を訊くことだ。彼らの体重は大体50キロ前半か、もしくは40キロ後半である。しかも身長は170センチ台の人も多く、よく痩せているなとシンプルに感じる。意外とダイエットを繰り返していたり、筋トレをやっていたり、運動や筋トレや食事制限もしていない人もいたりする。色んな人がいる。色んなイケメンがいる。僕は今まで自分の標準体重(55.0kg)より痩せたことがないので、そこまで痩せた自分の姿を想像できない。もしそこまで行ったら少しはイケメンになれるだろうか。イケメンでなくたっていい。今よりシュッとした顔になれればそれでいい。シュッとした顔のイケメンからエネルギーをもらいながらダイエットに勤しみたい。イケメンは一種の憧れだ。僕もそこまで痩せてやる。もしかしたら昨日会ったイケメンのおかげで今日は太らなくてもよかったのかもしれない。









2023年4月28日(金)24日目
体重:75.6kg
食べたもの:カップラーメン、インド風カレーセット、菓子パン2個、小ケーキ2個、小ポテトチップス

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今日は「四天王寺の古本祭り」に行ってくる。2人の知り合いと行く。3時間ほど見て回った後はきっと難波に行くのだと思う。ブックオフを回る。そしてご飯だ。居酒屋にでも入るか、もしくはラーメンかカレーだろう。GWの始まりとしては上々だ。まあ僕は他の日程の予定は今のところない。基本的にはどこにも外出しない生活を送っている。それでいい。今はダイエット中だ。今日が過ぎれば再びダイエットを再開する。5月以降も特にイベントがあるわけではない。じっくりと減量生活をこなしていける予定。最近ハマっている海外文学でも読みながら断食でもすればいい。この記録ももちろん続けていく。今のところ順調だ。今日もいくらか食べて増量すると思う。それは必要経費だ。4月16日にも飲み会があって、そこでも多く食べてしまったいるが、しかしその後にその前の体重73.6kgを後に切って73.0kgまで達成しているのだから。今回も1度太ったとしてもそれを乗り越えることができると信じている。早く70.0kgを切りたいなあ。2022年の11月頃には実は体重が65.0kgだった。たった数ヶ月で80.0kgまで太ってしまったのだ。1度でも気を抜くと普通に10kg単位で太ってしまう。再びそれが起こらないためのセーフティ装置としてもこの記録がある。この記録を続けていくことが今の目標であり、結果は後で必ず従いてくる。これはレコーディングダイエットの一種だ。自分はダイエットしているという意識を持ち続けることがダイエットの基本構造なのだ。








2023年4月27日(木)23日目
体重:74.2kg
食べたもの:ポテトチップス 、焼きそば、スパゲッティ、フライドポテト少し

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YouTubeをやり続けてよかったことはいくらかの友達ができたことかな。友達というか知り合いって感じ。ただこんなことを言って悪いが、その関係はいつ切れるかわからない。僕はネット配信歴は10年以上ある。ニコニコ生放送を2011年から約7年以上やっていた。そこでできた知り合いもいるが、所詮ネットの知り合い、というわけではないが、だがしかしいつでも関係は切れるものだ。別に喧嘩をするわけでもない。ちょっとしたことで連絡が取れなくなる。お互いに本名も連絡先も知らないのだから、あとはどうしようもない。と言いながら、リアルの知り合いだって実際はそんなものかもしれないな。僕には親友と言える友達は少ないけど、そのうちの1人でKさんという人がいる。彼とはよく大阪をぶらぶらしたものだ。しかしコロナ禍になってからは会っていない。Kさんとは同じ大学院の仲だ。Kさんは頭が良かった。元々は理系出身だったから論理的な話ができた、ほとんど感情抜きで。人間は議論するとなぜか感情が出てくるのだが、Kさんはそれが現れない稀な人だった。僕の書いた小説を読んでくれたこともあった。適切なアドバイスでありがたかった。もう1度会いたいなあ。そういう人は貴重だ。人生において貴重だ。向こうはどうかわからないけれど、僕は勝手に親友だと思っている。人間、横の繋がりで世の中を生きていけるかが決まると言えよう。友達がいるだけで地獄は楽になる。友達は大切にしよう。物語は友だが、友は物語ではないのだから。もう夜だ。









2023年4月26日(水)22日目
体重:73.0kg
食べたもの:ポテトチップス、菓子パン、カップ焼きそば、明太子、コロッケ2個

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冷たい湖に落ちて溺れる。それが人生だとすれば、喜びというのは溺死する瞬間の、苦しみから解放されるとわかった一瞬の悟りのことなのかもしれない。この人生は何が楽しい?全く僕には答えられない。本を読むことだけが「まし」なだけ。他は地獄だ。僕はそう思ってしまうほど僕は頭がおかしくなっている、のか。まあしかし、意外とそういう人間は世の中に幾らかいるらしい。今度「四天王寺の古本祭り」というものが大阪で開催される。そこには膨大な数の本がやってくる。次に買ってもらえる持ち主を待って本はそこに存在する。本は読まれているページだけに光が入る。原則そのページ以外が全て閉じられている。その一瞬のためだけにページは存在している。そんな風に人生には光の差すタイミングがいくらかある。その瞬間にだけでも見出されればいいじゃないか。僕も「小説新潮」に掲載されたことがある。もうそれだけでも生きた証を残せたじゃないか。十分じゃないか。あとは野垂れ死んでもいいと思える、そんな人生でもいい。肉体は滅んでも魂に誇りがあればそれでいい。僕は「人生ってたった数秒のためにあるのかもしれない」と今思う。そう信じるとメリットがある。つまりこの長く辛かった人生を肯定できる論理だからだ。だってそうでしょ。それはきっと正しい。でもそれって30年以上苦しんだ人の気持ちがわかる人だけが理解してくれる思想なんじゃないですかね。うん、大勢にわかってくれなくていい。そんな迫害を受けた民族が抱くような変な思想を抱いても罰は当たらないよ。だってそもそも罰だらけの人生なんだから君は。












2023年4月25日(火)21日目
体重:73.2kg
食べたもの:なし

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この世は大きな地下室だ。何かを保存できるほど冷たく、けれど保存した何かは必ず腐ってしまう、そんな地下室だ。だから生命はいない。ゆえに一人ぽっちだ。僕はそこにいる。本だけは存在を許された。本は腐らないからね。僕が動画投稿を始めたのはきっとそんな理由だった。僕の持っている本棚は1万冊を超えていた。それを記録に残そうとした。なぜならいつ火事で燃え上がるかわからないからだ。もしくは床が抜けたりして、処分せざるをえない瞬間が訪れるかもしれない。全ては永遠ではない。全ては流れていく。流されていく。だから僕は記録を望んでいるのだ。YouTubeでは全てはそこに固定される。記録とはそういうものだ。本は世の中にたくさんある。それをどうやって選ぶ?誰かが読んだものをとりあえずは追っかけていく、そういう方法もある。僕が大学生の時に純文学にハマったが、けれどそれを手ほどきしてくれる人は誰もいなかった。当時は「文学賞メッタ斬り」のポッドキャストがあったので、それを繰り返して純文学の知識を養った。僕は我流で学んだ。誰もがその段階が来るものだ。そしてその我流に学んだものをYouTubeに投下している。もちろん世の中には純文学が好きな人はたくさんいるだろう。しかしこれからそれを学びたいという人は少なからずいると思う。誰かが先頭で走っていく必要がある。それは誰かがwikipediaの記事を作らなくてはならないように。それは犠牲だろうか。それは英雄だろうか。英雄はしばし処刑される。僕はそんな英雄になりたい。









2023年4月24日(月)20日目
体重:74.0kg
食べたもの:なし

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YouTubeへの投稿は2019年9月3日からである。すでに800本以上の動画を出している。ありがたいことに登録者も6900人以上いる。基本的には僕は自分への記録用に動画を出している。言ってしまえば趣味の延長線。読書の付随物としてやっている。だから登録者数や再生数のためにやっているわけではない。と言いながらそりゃ数は多い方がいい。早く1万人まで行きたいとは思う。僕が元々動画でやりたかったことは何かというと、購入本の紹介である。僕はかつて月に100冊以上、年間2000冊の本を購入していた。もちろん僕は貧乏であるから定価で買えるものは少ないので古本は多いが。その買った本をツイッターに載せて記録していた。しかしもっと記録に適した媒体はないかと思った。どうしてこの本を買おうと思ったのかを説明したかったのである。そこでYouTubeに目をつけた。動画なら口頭でいくらでも説明できる。その考えから僕は色んなことを考えた。当時、僕は本を1万冊は持っていた。その本棚も映そうじゃないかと考えた。それは自慢というより純文学系において他の動画投稿はなかったことに起因する。読書系YouTuberもそこまで多くなかった(それは今もだが)。だったら純文学を広めるいい機会じゃないかと考え、純文学の本棚を中心にどんどん動画を出し続けた。昔は毎日投稿をしていた。いくらでもネタはあった。本が好きだったんだ。今は少し停滞気味なので、この毎日の記録からやる気を生み出したいと思う。YouTubeのことをはまた次回以降も語りたい。







2023年4月23日(日)19日目
体重:74.2kg
食べたもの:小さなドーナツ3個、肉を焼いたもの1皿、菓子パン1つ

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僕の今の趣味は1.読書2.YouTubeへの動画投稿3.ダイエットになっている。これをバランスよくやっていきたい。ダイエットに関しては食事制限が今のところうまくいってると思う。このnoteへの記事を続けていくことで結果に繋がっていくことだろう、それが無理ならプラスアルファで運動や他のやり方を見つけていくだけだが。そして読書に関しては今は海外文学を読むことにハマっている。白水社のエクス・リブリスという海外文学を扱うレーベルを集中的に読んでいる。そのレーベルは全てで82冊ある。82冊くらいなら全て読めるだろうか。時間をかければ必ず全て読めるかもしれない。そのうち今の段階では4冊読了済みだ。今は5冊目だ。このあたりの本格的な海外文学は文字びっちりタイプが多く、一見すれば抵抗感があるのだが、しかしこの前ペ・スア『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』を読んだ。これは韓国文学であり、難解さが特徴的である。単純に難しかった。今は雰囲気を掴めたから良かったと言えよう。でもそれを読み終えたのちに、他の海外文学を読んでいるとそれほど苦痛を感じなくなった。意外と慣れだ。どんどん読める気がする。ただ去年にも海外文学ブームが自分の中であったのだが、その時は水声社の「フィクションの楽しみ」というレーベルを読んでいた。そして5冊読んで中座していたのだ。ここから言えることは「海外文学は読めるときに読もう」ということだ。あの時より苦手感はなくなったとは思うが、また日本文学に戻るかもしれないので、今は少しずつでいいので海外文学を読んでみることにする。いつか海外文学マスターになってみたいから。















2023年4月22日(土)18日目
体重:74.8kg
食べたもの:なし

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やはりこの記録を適切に動かすことで食欲のコントロールができる。昨日からこのコメントを当日に書くことを再開させた。昨日は何も食べなかった。それで今日の結果に繋がっている。次の飲み会まであと1週間ほど。それまではきちんと運営することで減量に勤しもうと思う。僕はYouTubeをやっているのだが、毎日投稿ができなくなって久しい。喋りたい内容はたくさんあるが、とにかく元気がない。元気というか感情的な波がひどい。朝起きたあとに動画を収録しなければ、日中や夜に収録はしんどいのだ。でも今の投稿頻度が週に2本とか少なすぎる。もっと増やしたい。月に30冊の本を読むことにしている。これが動画投稿と時間を食い合っているのは確かだ。しかし前者も大事だと思う。面白い本を紹介したいという気持ちが僕の中で多い。インプットは常に必要だ。最近思っているのは投稿する動画の長さを短くする試みだ。今までは10分の動画を出すことに拘ってきた。しかしこれからはそれを8分に減らそうかと考えている。8分とはYouTubeにおいてミッドロール広告を入れられる時間だ。それ以下になるとその広告は入れられない。だから8分はいいかもしれない。昔はそれが10分だったから10分にしていた。2分減らすだけでも動画編集の負担を少なくなるだろう。毎日投稿を目指しながら毎日読書も目指す。それが僕も今やりたいことなのだ。できるだろうか。まずはやってみることだ。海外文学にハマっている。たくさん知識を溜めたいし。












2023年4月21日(金)17日目
体重:75.8kg
食べたもの:なし

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これは経験的ではあるが、例えば73kgまで痩せていればそこから77.kgまで太ったとしても、一度73kgまで痩せているので、そこまですぐに痩せられる。太っているのは直前に食べた一時的な増加にすぎないのだ。だから今回も73.6kgまですぐ痩せられるように信じている。4/28(金)にも飲み会がある。今回、4/16(日)にあった飲み会のためにダイエット習慣が一気に崩れてしまった。28日も気をつけたいと思う。ただ今のところそれ以降のイベントがほとんどないので、5月以降はダイエット習慣を保つことはできると考える。一度波に乗ってしまえば継続できるのだが、途中で何か事件があれば一気に崩れてしまう。まずは70.0kgまで落としたいのに。目標としては2023年中で45kgまで落としたいのだ。無茶だと言われる人はいるかもしれない。もしくは男で45kgは低すぎるとも。しかし僕は身長が低めなので45kgはちょうどのような気がしている。そして理論的にはあと今年は8ヶ月以上あるわけで行けそうな感じはしてる。それはあくまで理論値なので、それを実践するのは僕だ。論理と実践。どちらもできてダイエットは達成する。とりあえずはこの記録を続けていく。ようやく記載が追いついた。今日から再びダイエットを意識できるだろう。28日までにいくらか痩せておきたい。あと1週間だ。どこまでも自分を鍛えていく覚悟を持って。運動と食事制限をすれば必ず痩せるのだから。ダイエットは裏切らない。










2023年4月20日(木)16日目
体重:77.2kg
食べたもの:豚の生姜焼き1皿、水菜の辛い添え

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今日は比較的に食べる量を少なくした。我慢できた。明日も頑張りたい。僕は粉末のスープをいくらか用意している。お腹が空いてきたらスープを飲むことにしている。僕は基本的には断食スタイルでダイエットしている。固形物を取らないようにする。昔は1ヶ月ほど断食することができた。それで1ヶ月で10kg痩せることができた。今はできない。なぜか。今は食欲に負けてしまっている。ダメだなあって思う。理論上は3ヶ月で30kg痩せられることになるけど、でもやはり理論上なのか。この前は3日間何も食べないことができた。でも飲み会があったので、それで大分揺り動かされた。イベントがないことで痩せられるのか。安定すればいいのだが、安定しなければダメだ。僕のダイエットの原理は、飴と飲み物はオッケーにしている。固形物はなしにしているが、飴はありなので、いくらか飴を用意している。粉末スープも十分に用意しているので、空腹の場合は用意したものを口にしたい。口にすると空腹をごまかせる。まずは行動だ。まず空腹になれば→まずは飴やスープを口にすることを体に叩き込みたい。固形物を食べるには、飴やスープを口にした後に、それでもお腹が空いていたら、固形物を食べよう。きっと身体というのはごまかされやすい。そもそも空腹自体が「偽物の空腹」が存在するから。人が太るのもごまかされての結果だし、ダイエットするのもきっとごまかされての結果と言える。体をごまかそう。正直者は馬鹿を見る。










2023年4月19日(水)15日目
体重:75.8kg
食べたもの:コロッケ5個、たらこ、ご飯2皿、辛い鶏肉、天ぷら

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食べ物を買う金があれば本を買った方がいい。そりゃそうだ。野間文芸新人賞の受賞作をあと5冊ほど買っていないのだから。それらは1冊2000円ほどするので、まあまあ決意しなければ買えない。プレミアがついているものもあり、3000円〜4000円のものもある。来月、先にそれを買う方法も考えた。全部買うと12000円くらいだろう。そうしたら食べ物を買うことはなくなるだろうか。食べ物と本があったら僕はどっちを取れるだろうか。食べ物はその時の刹那的な食欲が起因している。これが怖い。前もって準備していても欲はいつ襲ってくるかわからない。完全に「他者」である。究極的に言えばこの欲さえコントロールできればダイエットは達成できるだろう。そのために本を利用することはできるだろうか。欲をストップさせる要因として起動できるだろうか。野間文芸新人賞を早くコンプリートしたい。三島由紀夫賞はコンプ済みだ。芥川賞も初期の方以外は7割以上は持っている。これらは純文学の新人賞三賞と呼ばれるものだ。いつかこれらを全て読みたいと思っている。リストに記録したいのだ。そのためには持っておきたいと思う。この記事を顧みることで、自分は食べ物にお金を使うことをストップさせたいのだ。もちろんもっと買いたい本はたくさんある。痩せてイケメンになれば収入だって増えるだろう。人は見た目が9割だ。見た目で悪く判断されないように、そしてお金を手に入れられるように、まずはダイエットしなくてはならない。必要かつ十分あ本を買えるように。










2023年4月18日(火)14日目
体重:75.2kg
食べたもの:ミルクパン、寿司、辛子明太子、ポテトチップス2袋

コメント:
この日もよく食べている。早く小食の日常に戻りたい。僕は摂食障害的な考えをするので「物を食べるだけで罪悪感」がある。太っている自分は生きている意味はないと僕は思っている。早く死にたい。辛い。今日からまた断食をしたい。断食から始めなくても小食からでもいい。それに慣れていく。前向きに考えるとこれも勉強だ。これも学習だ。何を学んだのか。やはりイベントがあるとそのあとは崩れてしまう。まずはこの記録を続けていく。その日の記録をしなくなれば、なし崩し的にダイエットの意識が消えていく。今は爆食いしていることを許そう。許す自分がいることこそが、メタ的な自分が存在することを示している。認めないこと、意識しないことがダメだ。よく太っている人は、自分が太っていることを把握していない。まずはメタ化だ。自分のしていることを隠蔽し始めたら終わりだ。いわゆる意識化させるってことだ。無意識で行うことをなくす。「欲」こそ無意識から発生する。フロイト的な考えだ。ダイエットとは動物的な欲を少なくすることだ。いや、それは正確ではない。動物的な食欲とは適切な量を摂取するそれだ。決して余剰することではない。人間だけが太る。正しい食欲を駆動させないことが太る要因だ。食欲を正しくしていこう。だから食べることと食べないことはお互いの影であり、同じものとも言えよう。食べている自分を認めることが大事だし、許してあげよう。許してあげよう。












2023年4月17日(月)13日目
体重:74.8kg
食べたもの:フライドポテト3皿、チジミ1皿

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ダイエット10日目で意識が変わったと書いたが、やはりダメみたいだ。昨日は飲み会だった。なんだかんだでよく食べた。それは良い。だがそれに引きずられた。この日の記録は実は次の日に書いている。このコメントを当日に書けなかったのは初めてだ。だからだと言えるが、近くのスーパーでポテトを大量に買ってしまった。そして満腹中枢がぶっ壊れるくらいに食べた。空腹とは2種類に分けられる。1つ目は「本当の空腹」であり、そして2つ目は「ニセの空腹」だ。前者は食べなければ死んでしまうような、身体が訴えかけてきている空腹である。しかし後者は単なるストレス発散だったり、経験や記憶に依存している空腹である。後者の欲求を満たしていけば必然太っていくというわけだ。食べ過ぎているのはなぜだ。実は本当に自分の体に正直になるということは、前者の空腹であるため、太っている状態というのは体に正直になっていない。むしろ自分の体を痛めつけているのだ。精神論という言い方は変ではあるが、自分の身体に向き合うことで(今の空腹はどっちの空腹であるか判断することで)、痩せていくことが見込めるということだ。そのためにはやはり記録することでデータを取得していくしかないのだ。この記録の継続性を1番にしなければならない。体重や何を食べたかは2番目でいいのだ。記録し続ければ意識は変わっていく。記録をしなくなればそこでダイエットは中座してしまう。記録し続けていきたい。していく。






2023年4月16日(日)12日目
体重:74.6kg
食べたもの:イチゴパフェ、炉端焼き、餃子2個、たこ焼き2個、棒菓子2本

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海外文学にハマりたい。いわゆるガイブンのことだ。現代の海外文学というジャンルである。新潮クレスト・ブックや白水社のエクス・リブリスなどである。そのジャンルがあるのは知っていたが、僕的には日本の現代純文学ばかり読んできたのもあって、海外文学には苦手意識があったのだ。昔のドストエフスキーやカフカやヘミングウェイなども含まれるが、しかし僕が知りたいのは1945年以降の海外文学である。つまり現代=同時代の文学だ。僕が読む日本文学も基本的には同時代の小説がほとんどだからだ。SNSで調べると、やべえガイブン読みの人がちらほらいる。彼らの読了した本をチェックすることが多い。まずは全体像の把握だ。作者名や作品名などの「名前だけは聞いたことある」を増やしていく。ガイブンのガチ勢は3000人というのを風の噂で聞いた。外国文学ばかり読んでいる人は、日本中では3000人しかいないということだ。妥当な数字な感じがする。だって日本の現代純文学もその辺りだと思うから。現代詩になるともっと少ないだろう。僕はマイナーな方へマイナーな方へいきたい。メジャーなもので満たしてくれるものは少ないから。誰も読んでいないもの、誰も知らないもの、それらを多く知りたいのだ。読書は自ら孤独を正当化する。マニアには「偏執」というニュアンスもある。とことん突き詰めていきたい。そんな読書もある。そんな読者が羨ましい。ガイブンの世界を開拓したい。少しずつ読んでいこう。そしてダイエットも。








2023年4月15日(土)11日目
体重:73.6kg
食べたもの:ピザ2枚、ポテトチップス1袋、カップヌードル、中華丼

コメント:
ダイエット10日目を越えて、だいぶ意識が変わったと思う。食欲が自然に減退している気がする。目の前に食べ物があっても我慢することができている。我慢というかスルーって感じ。こうなると勝ちである。ダイエットとは日々の連続性であるため、その中で「食欲の変化」は必ずある。身体が小食に慣れてくるからだ。そこに着目すればよい。しかし過去の経験から言えば、何かきっかけになるようなことがあれば、食欲にスイッチが入ってしまい、暴食に繋がること必至だ。まさしく猛獣使いの猛獣であり、外部から刺付きの鞭で律することが必要だ。ところで明日久しぶりの飲み会がある。以前から決まっていた集まりだ。夜は炉端焼きの予定である。ハメを外してたくさん食べてしまいそうである。ただ明日のために10日間ダイエットに勤しんだところもあるので、明日だけは存分に美味しそうなものを食べようかと思う。言うまでもないがお金ももちろん払っているので楽しまないと損だ。その代わりに明後日以降の食生活を通常通りに戻すことを忘れないように。チートデイではないけれど、たまの息抜きは必要である。ずっと張りつめた心はしんどい。僕が許すのは「予想内の暴食」だ。事前から計画を立てている食事は粛々とそれをこなせばいい。しかし最も怖いのは「予想外の暴食」だ。これは食欲を律することができなかったために起こる暴発である。これを極力なくしていくだけでもダイエットは成功するだろう。いわばメリハリなのだ。バランスなのだ。明後日の自分を信じたい。過去の自分を無駄にしないように、ここにメッセージを残す。










2023年4月14日(金)10日目
体重:73.6kg
食べたもの:なし

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村上春樹『街とその不確かな壁』を発売日に買った。そして約3分の1を読んだ。久しぶりに長編小説を読んでいるって気がする。純文学の長編は読む人を選ぶ。そもそも小説は少なくとも我慢しなければならない、楽ではない、要素を多分に含んでいる。苦しい山を長期的に登る意志のある者だけが楽しめる境地なのだ。特に村上春樹という峰には挑戦者も多いが、脱落者も多いと聞く。村上春樹の名前を知らない者はいないだろうが、しかしエンタメ小説ではなく、やはり純文学なのだ。純文学に慣れていない者がいきなり読むにはハードルが高いように思える。何事も順序が大事だ。もしくは資格が。中盤くらいで「影」をめぐる記述がある。我々には影がある。それを意識している人間はどのくらいいるのだろう。影とはユング心理学でいう「シャドウ」の概念ともいえる。シャドウとは今まで生きてこなかった自分のもう1つの側面のことだ。今の人生があるのは今の自分の性格があったからだ。しかし人生とは選択の連続。選ばなかった選択肢を殺してここまで来たとも言える。その側こそが「シャドウ」なのだ。時として影は本体を飲み込むことがある。僕はもしかしたら影に飲み込まれたまま生きてきたのかもしれない、本体不在のままに。村上春樹を読むと自身の本体(影)と対峙する。そのことが辛いのだ。辛い読み物をあえて楽しい読み物に反転させることが、影と本体を入れ替える行為なのではないか。純文学はそういう効果があると考える。僕は魂の対話をしてみたい。魂は奈辺。










2023年4月13日(木)9日目
体重:74.2kg
食べたもの:なし

コメント:
小学校と中学校の時にいじめにあった。死にたかった。包丁で刺したかった。今もそれが続いている感覚。いじめていた首謀者の名前を今も覚えている。早く忘れたい。なのに彼は特徴的な名前だったのだ。変わった名前のやつにいじめられていたって事実が面白い。人生って変えることってできるのかな。悪い星のもとに生まれ落ちた、って気持ちが30年以上続いている。そんな人間もいる。きっと幸せな人間は、不幸な人間の気持ちはわからない。わかってほしいわけではない。わからないのが当然。だから人生そんなもん。人間にとって大事なのは「経験したことのないことをわかること」だ。人がなぜ人のことをわからないのは、わかりたくないからだ。気をつけろ。わかることの恐ろしさ。知らなかった方がいいことの方が多い。そして、人が最もほしい能力は「都合のいいことを忘れること」だ。そして「わかること」と「忘れること」は対義語でもあり、実は同じ物だ。昨日は何も食べなかった。僕が最もしたいことは餓死だ。いや違う。ダイエットだ。ダイエットだけが救いだと信じているから、例えば45.0kgまで痩せたとする。それで人生が救われなければ、餓死すればいい。僕の命は軽い。いじめっ子からも親からもそう言われた。言われ続けてきた。生まれ変われなければ、死んだらいい。後悔はないし。だけどまた生き返るだろう。まあだが、まずは痩せることだ。僕は「やってみなければわからない」という言葉は大嫌いだけど、やってみなければわからない。











2023年4月12日(水)8日目
体重:74.6kg
食べたもの:なし

コメント:
僕が人生で楽しかった瞬間は3回しかない。理解しあえる女性と出会った時、とある小説の新人賞の最終候補まで残った時、そして尊敬できる心理学の先生に出会った時。それ以外の時は人生の余剰物と言っては失礼だが、しかしその3つ以外の時はやはり心の底から盛り上がらないのだった。だがむしろその3つがあったから今のいままで生きてこれたという思いが大きい。まだ世の中に楽しいことがあるんだと。最初の理解しあえる女性と出会った時は、僕が大学院に入りたての頃だった。ということは22歳か。その前に22年間は僕は生きていなかった。大学時には小説にどっぷりとハマってそれが人生の大きな軸となる。大学院時は心理学に出会ってこれも大きな軸の1つとなる。文学と心理学に出会わなければ僕は何も持たざる愚者だっただろう、今も愚者であるけれど。僕は27歳頃には大阪・難波付近のバーによく行っていた。人との出会いに飢えていた。運命の出会いを探していた。間違えてほしくないのは、ただ恋愛相手を探していたわけではない。同性でも分かり合える人はいる。様々な出会いと別れがあった。詳細はまたの機会に書くことにするが、やはりその時も自らの肉体が邪魔をしたのだと思う。運命の出会いとは太っている時には起こり得ない。酒に100万円を溶かしてとても良い時間を過ごせたのには変わりがないのだが。これから人生を楽しむことができるだろうか。30代を後悔しないように生きたいとは思っている。ビヒモス!いつか別れるために誰と出会う。





2023年4月11日(火)7日目
体重:74.8kg
食べたもの:パン粉

コメント:
まずは1週間続けてこれた自分を褒めてやりたい。体重も3kg痩せることができた。日記形式で毎日思ったことを綴っているこの記事だが、やはり僕にとっては効果ありだった。言葉は人間の思考を延長する。昨日の僕が考えていることにスムースに接続する。もし長編小説を書こうとしたとしても、その全容を一瞬にして考えることはできない。長い時間をかけて書かねばならない。自分の書いた膨大な字数と付き合っていくことで、過去の何人もの「自分の思考」を1つなぎにすることができる視点を持てる。それが書き物だ。それはなんと素晴らしいことだ!日々のあれこれを綴ることで死にかけのダイエット意識を延命することができる。「やめなければいつかは達成する」論理だ。やめなければいい。つまり継続だ。僕は継続は好きな人間だが、ダイエットだけはなぜか叶わなかった。どうしてだろう。それは文字化されなかったからかもしれない。記録化と言い換えてもいいが、身体的推移は記録することが意外と難しい。僕は自分の肉体を言語化する術を持たなかったのかもしれない。これは1つのトラウマティックな現象に似ている。どこか不可侵性があった。このまま頑張れるだろうか。次の2週間目まで続けてみよう。ラジオが電波に乗って続いていくように。波は何千年も揺らいでいる。次の曲は、僕の最も好きな曲の1つである、東方同人サークル「サリー」の「ユビキリ」です。では、どうぞ。寂しい世界にも音楽があるように。いつか来る滅びが見事に美しいように。








2023年4月10日(月)6日目
体重:75.4kg
食べたもの:ハンバーグ2個

コメント:
映画「シン・仮面ライダー」を見た。作中でそれぞれの登場人物は過去にトラウマを抱えている。辛い過去がある。そしてそのトラウマを乗り越えるためにそれぞれの能力を行使する。正義にも悪にもなる能力は、それぞれの幸福を得るためにあった。僕が感じたメッセージとしては、どれだけ辛いことがあったとしても、君はヒーローになれるんだということ。思い出すと号泣してしまう辛い過去があっても、それをバネとして生きていけるんだ、ひいては生まれ変われるんだと。これは僕にとって嬉しかった。太っているだけで他人に何も伝わらない。見た目が悪いだけで自分も他人も救うことができない。実行力も説得力もない。ならば「変身」すればいいんだ、見た目主義の世の中ならば変身すればいいんだ。ダイエットというのはヒーローになることなんだ。もう1つ。「シン・仮面ライダー」のテーマは「速さ」と「高さ」にあると感じた。ヒーローと常人が違う点としては、高いところから飛び降りること、そして常人が乗りこなせない速さを持つことだ。それは人ではない。人を超えた存在。実はヒーローとは人ではないのだ。しかし本作では彼らは極めて人間らしかった。「傷」を持っていたからだ。それももしかしたらヒーローの素質なのかもしれない。人間とヒーローの2つのハイブリッドこそ、真のヒーローなのだ。速さと高さと傷を考えていく。これが僕に残された手段だろう。そう思わないか?僕たちはきっと心を解放すればいいのに。闇を払える力を。











2023年4月9日(日)5日目
体重:76.0kg
食べたもの:ハンバーグ2個

コメント:
僕は幼稚園の時に病弱体質であった。月に1回は風邪をひいていた。毎日シロップ状の苦い白い薬を飲んでいた。頻繁に喉がゼエゼエと言っていたのを覚えている。幼稚園卒園の時に手術をした。扁桃腺切除の手術である。喉に扁桃腺というものがあり、そこに風邪の菌がつくので、扁桃腺を切除することで、風邪になりにくくなるというものである。その結果、小学生になれば虚弱体質ではなくなった。そしてクロスロードで魂を売ったのか、そこから太ってしまったのだ。扁桃腺の手術には太りやすくなるという副作用もあると後に知った。本当かどうかはわからない。人によるだろうけど。けれど食べ盛りもあっただろうが、それ以降はぶくぶくと太ることになる。太っていたので親が痩せさせる目的で剣道を習わせた。近くに道場があったのだ。高校まですることになるが、僕はそれでさらなる劣等感を抱くことになった。なぜ僕の親は子供にさせること全てを失敗するのだろう。僕は親を怨んでいる。僕のダイエットは親からの解放をも意味している。それは絶対だ。痩せればこの毎日死にたくなる苦しさから解放されるだろうか。肉体とは魂の器だ。もし魂が澄んでいたとしても、肉体が濁っていたなら人間はどうなるのだろう。僕は自分の痩せた姿を見たことがない。そこに希望があるのかもしれない。早く痩せてみたいのは、その結果を知りたいからだ。希望があるだけまだマシなのか。もしくは…
。唯一残された人生の洗浄方法がそこにはある。僕は真っ白にナリタイ。













2023年4月8日(土)4日目
体重:75.8kg
食べたもの:餃子6個、ビビンバ丼、フライドポテト、カップ焼きそば、シュークリーム

コメント:
人は見た目が9割と言われる。太っているだけで何を言っても説得力がない。それは十分承知だ。体型で人生はイージーモードだと、社会通念的に暗黙の了解的に存在している。ところで僕の父は僕を虐待していた。虐待というのは少し誇張しているだろうか。父は自分の勝手なタイミングで僕を殴った。暴力がない時でもモラハラは標準装備。否定的な感情をぶつけられるサンドバッグであった。今でも父の幻聴が聞こえる。幻聴というか、状況によって父が言うであろうセリフを勝手に頭に思い浮かべてしまう。どこに行っても逃げれらない。父は常にそばにいる。だから僕は刹那的な欲望に依存したのだ。何でも腹に放り込むこと、それは「逃げるためにすること」であるため、嘘の満足である。どれだけ身体は満たされても心は満たされない。底のない欲求だ。お腹がいっぱいでも「食べなくてはならない」という強迫観念が漂う。そうやって父の目論見通りに太れば、さらに社会的に自分の居場所はなくなる。デブは虐められるだろう?人は見た目で判断する体。そしてどれだけ叫んでもそんな人間は救われない。デブを救ってくれる人は存在しない。人に助けを求めるためには、前提条件としては痩せていなければならない。これが社会の倫理である。助けてくださいと言える人間になるために痩せなくてはならない。いつまでも僕の人権はとこしえに失われたままだ。30年以上助けを求められなかった人間の末路が今であり、未だに助けの求め方がわからない。








2023年4月7日(金)3日目
体重:76.0kg(朝)
食べたもの:焼きうどん1皿、葛切り

コメント:
僕は自尊心が低い。毎日死にたいと思っている。劣等感がひどいと言ってもいい。僕は劣っている。そういう気持ちで胸が張り裂ける。張り裂けている。だから痩せられたら人生が少しでも良くなると思っている。摂食障害的な考え方である。それを小学校高学年から思っている。ダイエット歴は20年近い。この期間、僕はどうしても痩せられなかった。だから僕がもし痩せた時、体重だけでなく他の何かも大きく変わるのではないかと考える。人生の大きな変化なので想像するだに正直恐ろしいが、それが今年に達成できるように努力したい。僕は何かを書くことが好きだ。かつては小説を書いて純文学の新人賞の最終選考まで残ったことがある。その前は詩も書いていた。何かを書くことだけが、この肉体性を離れられるからかもしれない。文字は現実を遊離する。物を書くことを今はこの記事で継続したい。そのためにはダイエットを継続しなければならない。我ながらナイスアイデアだ。王将の餃子よりも物を書くことの方が、自分へのご褒美になるならば、ダイエットは可能と考えた。ちなみに僕はボードゲームやリアル脱出ゲームなどにハマっていたことがある。クイズも見るのは好きだ。やはり頭を使うことが好きなんだろう、体を動かすことよりも。動物的な快楽と人間的な快楽のどちらの方が気持ちいいのだろうか。そこには十字架がある。







2023年4月6日(木) 2日目
体重 :76.8kg(朝)
食べたもの:じゃがいもと鶏肉の煮たもの1個ずつ

コメント:
まずは記録することだ。他は何をしてもいい。たくさん食べてもいい。だが記録することだ。全てを記録する。そして継続する。これだけでほとんどのことは解決される。されると信じている。記録しないものは失われていく。見た夢の内容のように。最近は現代詩の詩集を読んでいる。先月から45冊読んだ。今年は100冊読もうと決めている。詩は以前から興味があった。10年前から興味があった。今年のために10年前からチビチビと詩集を買っていた。これも積ん読の効果だ。過去に行なった事実が未来を変える。ないしは未来のために今が存在している。今は理由がなくても形の残ることをしよう。連続性を担保することで何かが見えるものもあるのだから。とりあえずは数をこなそうと考えている。1冊目でわからないものが10冊目でわかってくる。データが増えれば解釈もしやすくなる。自身を客観化・メタ化するのである。それが言葉の役割だ。私は読了本や感想を全てtwitterで発信している。それをnoteで一覧で見れるようにした。システム化した。これはすでに私の生活習慣の一環となっている。健康管理もそうすればいいと思った。この記事は体重等の一覧を目指している。私は全てを記録する。している。記録しないものは失われていく。見た夢の内容のように。現実を夢にしてはならない。現実を詩にしてはならない。まずは2日目おめでとう。








2023年4月5日(水) 1日目
体重: 78.0kg(朝)
食べたもの:じゃがいもと鶏肉の煮たもの2個ずつ

コメント:
僕にとって食べ物は一種の中毒となっています。人の何倍も食べてしまう癖があります。とりわけ日常の中で強いストレスを感じたら、唯一の発散方法として大食いという手段が使われます。これは酒や薬物のように強い刺激であり、自分を満たすある種の逃れられないものになっているのです。僕にとってダイエットというのは、その強い刺激から断つことを指します。これは単なる運動や食事制限だけではいけないような気がします。すなわち一種の依存治療のようなことをしなければならないのだと考えました。禁煙家が1日でも息抜きだと言って1本のタバコを吸ってしまうと、これまでの努力がオジャンになってしまうのと同じで、僕も少し痩せたからと言って、自分へのご褒美と称しビックマックセットを食べてしまえば、次の日以降のダイエットもなし崩し的に頓挫してしまいます。きっと僕は人より太りやすい体質をしているのでしょう。だから未来永劫ここに、自分の体重や1日の食べたものを記録し続けなければ、ダイエットはおろか体型維持すらもできないのだと思います。これは依存の人が死ぬまでそれを我慢し続けることに似ています。この記録もいつまで続くかわかりませんが、今のところnoteには日常的に読書記録を綴っているので、それをし続ける限りは、ダイエット記録(日記)を頑張っていこうと思っています。記録とは連続性のことです。日々の連続性を担保せねば…。




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