スケボーとサッカーボール

趣味のクリエイト活動には「遊び要素」を必ず含めること

さて、最近は自分の趣味と活動について考えることが多かったのだが、ここでも一つ気が付いたことがあるので記事にすることにした。
まずは、趣味と、余暇活動と、「遊び=楽しむ時間」との違いを意識する。

労働と生活必須雑務を除けば全て余暇時間

まずはこのように考えてみる。労働と生活必須雑務を除けば残り全てが余暇時間である。つまり、労働時間と、風呂、トイレ、最低限の掃除などの生活に必須な雑務を除いて残った時間が余暇時間ということになるが、余暇時間をどんな活動に充てるか。

労働に関する資格試験の勉強ならば、それは余暇活動と定義する

賃金UPや待遇改善のための手段として資格取得を目指すならば、その活動は余暇活動となる。別に楽しくもないだろうしむしろ苦行だが、資格取得という目的(ゴール)を目指した活動であり、ゴールすればもはやしなくてもよくなる活動だ。

資産運用やそのための勉強なども、余暇活動に当てはまる、と考えてみる。副業や、そのための準備も余暇活動に入れる。

労働・生活雑務・余暇活動以外の残り時間がリフレッシュな活動に割り当てられる

酒、たばこ、映画鑑賞、読書、ゲーム、ギャンブル、散歩、旅行、等々。

でも、同人活動や副業のための準備などは、ただ楽しむというよりも、アウトプットに重きが置かれている活動になる。今まではこれらもひとくくりに「趣味」と考えていた。

3DCG作りも、お絵描きも、さっき定義した余暇活動ではないから、趣味に入っていたのだが、いまいち満たされない期間があったことは確か。楽しくないのにやる意味があるのか?と。

「趣味」と「楽しむ時間=遊び」の意識を分けて考える

以下のURLの記事を見たときに、「趣味」と「楽しむ時間」とは異なる概念だと気付いた。

以下は抜粋。

「趣味というのはガツガツ没頭してやっているというイメージがある、楽しむというより自分に何かを課しているような重みがある」
と前にイギリス人の友人に趣味を聞いたらそのようなこと答えが返ってきました。
私もその言葉に納得しました。
その友人も好きなことはいっぱいあるけど、それを趣味とは言わないそうです。
あまりあちらでは趣味を持つというより、いろんな事を手軽に楽しむ」人の方が多いそうです。

つまり、「趣味」と「いろんな事を手軽に楽しむ」こととは、別に考えた方がいい、ということに気が付いた。

魚釣りで考えてみる

釣りが趣味という人は多い。だが、「魚を得る」ためならば、スーパーに行くか魚屋さんにでも行けば効率的に魚を手に入れることができる。が、釣りの目的が単に魚を得ることではないことは明らかだ。だが、釣果なしってのも本意ではないことになる。

釣果を目指すならば「趣味」である。釣り道具の研究や対象魚の研究をする必要があり、結果にこだわることになる。

一方、魚を釣る行為そのものを楽しむのならば、趣味よりも軽い「遊び」に近い。釣果の有無に関わらず、釣りという行為自体が楽しみの目的である。

たまに行くボーリングや、何となく受験するTOEICのスコアも、見方によってはただの遊びにすらなり得る。

だから、特に趣味はないという人であっても、遊びの一つ二つは必ず持っていることになる

酒、たばこ、映画鑑賞、読書、ギャンブル、散歩、旅行、等々。問題なのは、これらはあなたにとっての「趣味」なのか「遊び」なのか?

酒ならば、銘柄や歴史などの研究活動があれば趣味だろう。一方、酩酊感が欲しいだけなら遊びだ。映画鑑賞や読書も同様に、作品に対する研究活動があれば趣味、ただ見るだけなら遊びだ。考察をただ垂れ流すだけも遊びの域を出ない。

遊びは、気晴らしと言い換えてもいい。それをしている時間を楽しむことが目的だからだ。なんとなくやるTVゲームや気晴らしの散歩や旅行も、遊びに入る。

趣味と遊びの違いは、活動内容に研究活動が含まれるかどうか?

当然ながら、遊びは気晴らしとイコールなので、それ自体の蓄積は無意味だ。

(遊びの蓄積自体は無意味であるが、散発的な行いそれ自体にはリフレッシュ効果がある。故に、遊びそのものは無価値ではない。

一方、趣味は、研究活動があるため、活動時間に応じてレベルアップするという特徴がある。趣味には、活動時間の蓄積を感じられるという特典がある。本気で趣味に取り組もうが、だらだら取り組もうが、いずれにせよ、趣味ならば活動時間数に応じてインプットやアウトプットの蓄積が出来上がる。これが遊びとの大きな違いである。

自由時間を、「趣味」に充てたいのか「遊び」に充てたいのか?

ここが大きなポイントだ。3DCGやお絵描きが楽しくてしょうがない時期は別に問題ない。楽しい趣味の時間だろう。だが、創作の壁にぶつかると、途端に遊びではなくなる。楽しくないからだ。乗り越えるための研究や試行錯誤が必要になる。ここから先に踏み込めば「趣味」だし、そこで止めれば「遊び」ということになる。

重要なのは、趣味も遊びも、上で定義した余暇活動には含まれないということ

だから、創作の壁を越えるために一生懸命になっても、別に副業に即座につながるわけではないし、労働のアシストにもならない。だったらなんでそんなに一生懸命になる必要があるの?

これ、今の私の悩みだ。

「楽しくないのに何やってんだ?私は。」という思いと「これを乗り越えれば創作の幅が広がる」という思いとがひしめき合っている。特に2次元表現なら海千山千状態だから、私の創作物など海中の浮遊物程度の物でしかない。

で、気付いた。

遊び「だけ」では何かをクリエイトすることはできない

これだな!遊びだけで何かをクリエイトできるほど、創作活動は易しくないってことなんだな。遊びだけで作れるものは、遊び程度のものってことだ、幼稚園児のクレヨン描きまでだろう。

そもそも、クリエイトなので、成果物にこだわることになる点から考えても「遊び」では良い成果物が得られるはずがない。遊びとは、成果物にこだわらずにその過程そのものを楽しむ概念だからだ。遊びならば陶芸体験やイラスト体験講座までだろう。

遊びでは、創作にならない。だから、創作活動では、本気になればなるほど「楽しみ」が減る、ということになる。何という皮肉。

なので、趣味の創作活動の中に如何に「楽しみ=遊び」を取り入れるかがポイントになる

例えば、表現技法を学んだら、それを落書きするなどして楽しく表現するステップを必ず含めるなど、ただただ研究や学習だけに終わらないように、趣味の中に気分転換=遊びを取り入れることが必要だと感じた。

趣味の中に、更に「遊び」を取り入れるという発想、これは趣味と遊びとを切り分ける概念がないと浮かんでこないアイディアだった。

普段の生活に潜む「遊び時間」を減らして、趣味の中の「遊び」に組み込むための工夫が必要

遊びは蓄積にならない以上、なんとなくの遊びを減らして、趣味の遊びの中に入れたほうがいい。蓄積ができるので、趣味の活動が充実するという特典が付く。趣味30分、無関係な遊び30分を、趣味とその遊びで1時間にした方が充実するかもしれない。

自由時間の活動が、遊びなのか趣味なのかでラベル分けをし、無意味な遊びを減らして趣味の中に組み込める遊びを増やしたほうが、自分のためになる。

結論

・趣味の中に、更に「遊び」を取り入れる。
・無意識の遊びを減らして、趣味の中の遊びを増やす。

しかし、趣味なのに更に遊びが必要ってのは、クリエイト活動とはなんとも難易度の高い活動であるなぁ。

(201回目のnote更新)


読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊