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(聖) 正義と悪の間で揺れ動くとき、本当に試されているのは私自身かも知れない (聖書の学び 34)

(約 900文字の記事です。)

心配しなくていいわよ。
みんなが通る道よ。
人生は時々大変なものよ。

たまたまYouTubeで見かけて色々考えさせられたので、そのまま勢いで文章にしただけ。

2021/03/12 追記
引用先のYouTube動画が削除されたのでリンク先を削除しました。


正義って、何だ?そう思った。つるし上げて、法廷に導くのが正しいのか?警察に突き出すのが正しいのか?声高に叫んでギャーギャー騒ぐのがいいのか?


色々考えさせられた。

正義とは何か?正しいこととは何か?過ちとは何か?善き道とは何か?


聖書を学ぶ者としても、また、考えさせられた。このような状況は聖書には直接的には書かれていなかったからだ。そう、迷ったのだ、私が。もしそういう状況に置かれたならば、何が正しい行動なのか?ってね。


強いて言えば「友のためにつく嘘は許される」という旨の記述が聖書にはある。「故意の嘘は決して許されることはない」を上回る言として「友のための嘘」は許されるのだ。神様がお許しになられる。それは明記されている。

彼・彼女らは、きっと、そのとき・その瞬間の友のために嘘をついたのだ。だから許されるのだろう。

ルールに従って罰することは容易だが、神様は、どちらを善しとするのだろう。とても考えさせられる。

考え、悩むからこそ、人生なのかも知れない。そんな時に「信仰心」という揺るがない物が1つあれば、その決断に迷いがないのかも知れない。

私もまだまだ学びが足りないと感じた、そんな夜更け。


今回の創作活動は約30分(累積 約1,955時間)
(510回目のnote更新)


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読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊