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文字で情報を伝えることの難しさ(長文はだるい?)

(約 1,800文字の記事です。)

たまに何となくnote更新。3DCG系のことはブログに書いているので、それが多いと必然的にnoteの投稿が減る(笑)毎回聖書のお話をできるほど学べていないし。意識はしているけれど、講釈につながるネタは毎度あるはずもなく。

*伝えることの難しさ

直接会って話せれば一番いい。効率的だ。伝わる情報の密度も濃い。次はビデオ通話、その次が電話だろう。だがスクショなどの共有ができない電話だと、一気に難易度が上がる。

逆に図や動画を共有できても、コミュニケーションが文字だったりチャットだったりと、タイムラグがあるメディアになると、これまた時間効率が大きく落ちる。

*細かいことを丁寧に伝えようとすると文字数が増える。

読み手は気合いを入れないと最後まで読めない。だが最後まで読まないときちんと理解できない。読めば理解できるところを、途中で放り投げちゃうから理解できない。そうなると、文字ベースでは短絡的な表面的な簡単なことしかサクッと伝えられなくなってしまう。情報の陳腐化。低レベルの情報、低品質な情報になる。Twitterではよくそういうものを目にする。薄っぺらい情報とも言える。

もっともTwitterはリアルタイム性はいいので、そういう部分ではメリットもある。だが情報の質を考えると、高いはずがない。あくまでも知るきっかけになるに過ぎない。ことの詳細は付されたリンク先の別メディアから情報を得ることになる。

*長さと情報量と、最後まで見てくれるかどうかとは相関関係がないかもしれない

長ければ情報の質は高められるし、微細な違いの注意点などもかける。だがぱっと見で文字数が多いから、圧迫感があるし、途中で放り出す読者もいるだろう。では短くすれば、当然情報量が減るわけだから、色んな物がそぎ落とされる。不正確になったり、誤解が生じやすくなる。文字で伝えることの難しさはここにある。

もちろんYouTube動画など、動画にすれば割と伝えやすくなる。だが動画になっても同じリスクがつきまとう。それは、だるい(楽しくない)動画ならば途中で×ボタンを押して見ることを止めちゃうことだ。これは簡単だし、YouTuberはそこを引き延ばすために色々工夫していることだろう。

なので、文字だろうが動画だろうが、最後まで見てもらえるかどうかは相手次第だ。もちろんコンテンツの魅力次第だろうが、しかしながら相手の判断次第なので制御をする事は難しい。とはいえきっと色んなノウハウが世の中にはあるのだろう。

*自分が信じる「発信したいこと」をきちんと貫く

これならば、相手がどういう行動に出ても問題ない。アウトプットできた時点で満足できるはずだからだ。あとの結果は神様にお任せすることにしよう。書き手としては、アウトプットができた時点で満たされることになる。それでいい。個人の活動は自己満足が真ん中にあっていいのだ。それこそが重要。その延長線上に、それを楽しんでくれるファンとか、情報に価値を見出してくれる固定読者がいるだけであって、あくまでも自分から外の世界に向かうベクトルでなければならないと思っている。そうしないと周りに振り回されて時間が過ぎる。振り返って残念だと思うならば、最初からやらない方がいい。やるからには、最初から最後まで自己満足を大切にした方がいい。その方が長続きする。

とはいえ、多くの人にとっての最初の難関「続けられない」が待っているので、そこと向き合えば何とかなるだろう。

手を変え品を変え、考え方や手法を変えつつ、続けていけば見えるものがきっとある。変えることは悪いことじゃない。続けることを貫くために、都度の方針変更・手法変更は必要なことだ。続けることと変更することとは矛盾しない。そして続けていて見えてきた何かを楽しみにしながらブログや執筆活動を続けるのも楽しいと思うよ。諦めずに続けてみることだ。その中で何かキラリと光る自分の中の何か楽しい活動が見えてくれば、それこそラッキーだ。後は続けていけばいい。自然と動き出す。


というわけで、とりとめがなさそうなので今日はこの辺で。


今回の創作活動は約30分(累積 約1,572時間)
(439回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊