祈り

(聖) かっこつけて祈らない、倍返ししない (聖書の学び 3)

マタイによる福音書を学習中。やはり難しいので何度か読み返している。

さて、いきなり豆知識。

聖書って、日本語訳でも、3種類もあるんだな。1つじゃない。

1-1.1954/1955年の初版の口語訳(著作権切れにつき誰でも自由に使用可能)
1-2.1975年以降の改訂された口語訳(著作権あり)
2.新共同訳(著作権あり)
3.新改訳(著作権あり)

どれを選べばいいのか調べたところ、所属する協会の指定に従うのがベストだそうで、それ以外ではお好みで、という結論が多かったが、どちらかというと新共同訳がベターという意見が多かった。

無料の聖書アプリ(iOS用Android用)にも新共同訳があったので、私は新共同訳で学習中。

聖書(聖句)にも著作権ありなので転載に注意

1-1の初版の口語訳以外には著作権が存在しているため、おいそれと聖句などを転載できない。日本語の聖書も訳出した出版物なので、著作権は存在しているの。初版の口語訳だけが出版後50年たっていて、著作権の保護期間が切れているので、それだけは自由に利用可能。聖句を載せたいときには初版の口語訳からの引用が無難だろう。

さて、今回の学びの紹介。

かっこつけて人前で祈るな

これははっきり書かれている。聖書では、人に見られないように隠れてひっそりと神様にお祈りしましょう、と明記している。聖書や十字架のアクセサリーは、西洋文化に弱い人からすればカッコいいものに見えるが、ひけらかしてはいけないようだ。これから考えると、もし十字架を身につけるとしても、それをこれ見よがしにひけらかすべきではない、ということが分かる。

これはもしかしたら、聖書を学んでいます、ということもおおっぴらに言わない方がいいってことなのかもしれないな(笑)このメモは日記だからいいと思うけど、対面での会話中で積極的にそれをアピールするのはよしとこうと思った。

人の過ちを許す

神様があなたの過ちを許すのだから、あなたもまた、人の過ちを許してあげなさいよ、と。もしあなたが人の過ちを許さないのであれば、神様もまたあなたの過ちを許さないよ、と。聖書に書いてあった。

倍返しを考えている場合ではないのだな。許してあげよう。

これはきっと、心の火種をさっさと消して、清らかな心、水面のような穏やかな心を保つようにした方がいいよってことなのだと理解。今日一日の残り時間を、よりよく生きるためにも必要そうだ。

だがしかし、相手からの故意の攻撃に対して「許してばかり」ではだめな気がする。故意の攻撃をやめさせる手段が必要なはずだが、今のところその手段に至る考え方が書かれている部分まで到達していない。うむむ、学習を進めねば。強いて言えば、妥協しない対話、くらいしか思いつかない。毅然とした態度かな?

今日も一日幸せに生きることができました。感謝。
明日も皆様が幸せでありますように。




(137回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊