週末

(聖) 休みの日(安息日)の重要性 (聖書の学び 5)

マルコ・ヨハネ・マタイの福音書を読んでいて、思ったこと。そのエピソードの中で、安息日におけるイエス様の振るまいがテーマに出てくることがある。

安息日って何だ?

早い話が日曜日ってことだな。週休二日制で言うところの土日、つまり週末のお休みってことだな。

上記3つの福音書の中では、安息日なのにイエス様が仕事する(病人を助ける)ってことに対して、周りの人間が「あ~あ、休みの日なのに働いちゃってい~のかなぁ?悪いんじゃねぇ?」って問答をふっかけるシーンが多数ある(笑)大人げない。だが、ここに現代人が忘れている重要な考え方がある。

安息日であっても臨機応変さは認めている

イエス様は、きっぱりと「休みの日は、人のためにあるのであって、休みの日のために人があるわけではない」だそうで。つまり、休みの日だから休まないこと以外は悪という考えのほうがおかしいよ、ってことみたい。

これは解釈について十分注意しなければならないことなのだが、例えば「休日なので対応できません」というのは正しいのだけれど、時と場合によっては、対応した方がいいかもしれない、という示唆を残しているのだな。人命に関わることだったり、よほどの事情がある場合には、臨機応変に対応していいよ、って言っているのだな。

だが、この記事の真意は次にある。

逆に言うと、よっぽどのことがない限り、安息日には「きちんと休め」

そういうことなのだ。「安息日だから休んで何が悪い?」というくらいのきっちりした態度で休むのがいいと言っている。つまり、

1週間のうち1日はきちんと休めと聖書で言っている。

これが重要。やはり、きちんと休む必要がある。心も体も解き放たれた24時間が、1週間のうち1回は必要なのだ。だから、休みが取れない働き方が悪でということになる。労働基準法を持ちだしてもいいけれど、それ以前に、聖書が答えを出している。人は休まなければならない。これは真理だ。

考え方、心の平安としては、聖書がそう言っているのだから正しい、ってのは、すごく心の支えになると思うんだよね。聖書の教えを信じる身としては。

結論

はっきり言おう。休日は正義!休んで何が悪い!

休んで、考えて、考えながら休んで、自分のコアを育てよう。コアが育ったら自ずと結論が出るだろう。

なんだか中途半端な締めですが、そういう日もあります(笑)




(141回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊