迷宮

霧の中&立体表現の難しさ

(約 2,600文字の記事です。)

ただの日記である。情報的価値はない。


*経緯

創作活動の方向性について迷っている。はっきり言うと燃え尽き症候群である。3DCGで小説の挿絵を作ることが目標だった。そしてZbrushでモデリングし、Blenderでリグ入れ&ポージングし、Twinmotionで撮影し、CLIP STUDIO PAINTでEffectを追加できるようになった。ここまでの道のりは長かった。noteでの執筆記事の本数を考えても、300を超えている。それだけの試行錯誤があって到達したのだけど。その甲斐あって、イメージ通りのシーンを3DCGで作ることができるようになった。

つまり、今、3DCGで小説の挿絵を作ることができてしまったのである。

あとはここから量産するだけである。つまり、ルーチンワークだ。面白いかと言われると、ちょっと分からない。だってできることが分かっているから。

過去に線画にしたイラストは残り数枚程度だった気がする。で、そこから先は?物語はできていない。完結する保証もない。そもそも面白いかどうかも分からない。

3DCGイラスト起こしが、現状に追いつこうとしている。コツコツ単純作業を繰り返せば、確実に追いつく。そこから先だ。


*3DCGで何を表現したいのかが分からなくなった

表現の対象がなくなった。作ることはできるけれど、作りたいかどうか。これが問題だ。そして作ったとしてそこに意味があるのか、意味を自分自身で見出せるかどうか

例えばフィギュアの造形師は分かりやすい。利益のために造形する。その手段としての造形だ。職業3DCGアーティストも然り。だが趣味になると話は変わる。それをする必然性がない。楽しいかどうか、やりたいかどうか、モチベーションがあるかどうかだ。

*3DCGの強みはインタラクティブ性

なのでゲームとかムービーとか、カメラアングルがリアルタイムに変わるような表現に強い。対して静止画表現だと、別に3DCGでなくても表現は可能だ。絵がある。アニメも1フレームは絵である。静止画表現になると、絵と3DCGイラストとの差が縮む。むしろ絵による情報の丸め込みがあじわいになる。3DCGは無機質というか、光学的な演算の素直な結果になるため、リアルになる。リアルすぎる。

でも、ゲームを作る技量なんて当然無いし、モーションを付けるとカメラワークも必要になり、どんどんと必要なエネルギーが増える。だからムービーは無理だ。

そうなると、3DCG特有のインタラクティブ性は使えないことになる。もちろん静止画としての表現はできる。

*何を表現したいんだろうな

分からないのである。二次創作なら容易だ。答えは一次創作者が作っているから。それに似せて作ればいい。お手軽だ。作業自体に創意工夫や学ぶ意味はあるだろうが、でも二次創作は二次創作の域を出ない。それは嫌だ。不自由すぎる。自分のコンテンツではないからだ。

表現手法として3次元空間の自由を手に入れてみたら、実は表現したい物がなくなったという矛盾(笑)山頂に辿り着いてみたら、何も手に入らなかったみたいな。登山の意味が分からなくなったような。

モチベーションがないのに、表現技法を高めようとする意思があるはずも無い。技術的な興味はあるけれど、それを生かして「何を作りたいの?」の答えがないのに、それに挑戦できるか?無理だ。

これまでの活動は無駄じゃない。けれど、今、これからの活動への意思が見つからない。困った。なんだこれ?

*お絵描きへの回帰

今、この可能性も感じている。というのも、3DCGのモデリングに入る前に、落書きでもいいからイメージを表現する必要性を再認識したからだ。つまり、落書きの重要性。落書きしながらイメージを固めて、しっかりと固まったならばモデリングに入る。線画の修正は一瞬だが、立体を作りながらの修正は結構手間がかかる。これを感じていた。

なので、再び2次元表現に一度戻るのもいいかもしれないと思っている。CLIP STUDIO PAINTの左手キーボードの調整をしながらふと思った。もちろんイメージがしっかり固まれば、そこからモデリング&リグ入れ&ポージングした方が効率的に表現を作れる。デッサンは破綻しない。永遠に絵で表現というのは無理だ。だって画力がないんだもの。

*で、何の絵を描きたいのかね?

これだな~。見つからない。しいていえば青空のサンセットの話の続きを書いて新キャラを登場させることだろう。だが今のところ未定。何も決まっていない。

*立体表現はごまかしがきかない

絵と違って立体表現はごまかしがきかない。ラフ絵のようにぐちゃぐちゃに書いて何となく形にするという抽象的な表現ができない。頂点の位置はXYZ座標のどこなのか?これが常について回るからだ。数値の位置にブラーはかけられない。数字はごまかせない。だから立体メッシュはごまかしで作れない。絵でいうところのブラーは、メッシュには存在しない。常に空間とメッシュの内側とを隔てる一枚の面が存在する。3DCGにするといきなり無機質になる、味わいがなくなる、というのは、ここに起因する。ごまかしがきかない。それが理由だ。だから見せ方を間違えると硬く見える。これも3DCGの難しさの一つだ。ラフ絵の方が味があるように見えるのも、そのためだ。人の認識に訴える部分が味に感じられるからだ。

*カメラ効果と位置関係の正確さ

これは3DCGの得意分野だ。画角や被写界深度などは光学的に正確に表現される。パラメータ制御なので何度でも試せるし表現を追い込める。これは3DCGのいいところだ。その代わり人の認識による歪曲のダイナミズムもなくなるが、超広角などの表現を探りやすい。Twinmotionもリアルタイムで変更できるのでそういうことは探りやすい。

けれど、背景はきちんと作っておかないとカメラアングルによっては写ってはいけない裏方が見えてしまう。この辺の融通は利かない。


*調理道具は揃ったが「何を食べたいのかが決まっていない」

こんな感じだ。だからそこから先に進めない。だからやはり、今は、燃え尽き症候群という言葉がぴったりだ。


しばらくはAmazonプライムビデオでも眺めて考えてみることにしようか。


今回の創作活動は約45分(累積 約1,172時間)
(358回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊