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(聖) 聖書における「死者の復活」の本当の意味 (聖書の学び 14)
「死者が蘇る?」「これだから宗教は」って気がするフレーズだ。分かる、よく分かります。現代医学を否定するのも甚だしいって感じだよね?うん、否定しないw。途端にうさんくさくなる。聖書にも死者の復活の記述があるため、普通に考えると、受け付けない。これで宗教を毛嫌いする人もいるだろう。聖書の教えも例外ではない。だが、実にもったいない。今回は、その真意についてお話ししたいと思います。
聖書に死者の復活が書かれてんじゃんwマジ信じてる奴、頭おかしいwww
などとキャッチーな見出し。神様お赦しください。わかるように説明するためには例えが必要なのです。
で、コリントの信徒への手紙1までの理解で説明します。
ご存知の通り、私たちの生きる時代において、死んだら人として死ぬ前に戻ることはありません。残念ながら、信じたからと言って肉体は回復しません。奇跡は起こりません、なぜなら今の地上には、神からその奇跡の御業(権能)を授かった人が不在だからです。
聖書が書かれた当時にその権能が存在していたかどうかを信じるか信じないかは自由です。
ポイントは、「何が復活するのか」ということ
人は何でできているのか?これが重要。無信仰であれば、人は肉体のみでできているという理解になります。聖書の教えでは、信仰ある者は、肉体と聖霊とでできています。ここでは聖霊のことを「魂」と考えた方がわかりやすいでしょう。
多くの日本人にとっては、魂の存在は信じているでしょう。お盆とかあるし。
さて、本題。
人が死んだら「魂」はどこに行くのか?
言葉に詰まる人が多いんじゃないかな?
魂の存在を信じているのに、死んだ後にはそれがどうなるかなんて考えていない。日本に広くある教えでは、「〜に行く」とか教えられているだろう。それは自由に信じていいと思う。あるいは、「もちろん、消滅するに決まっている」って考えも理解できる。「意識は所詮、脳内の電気信号でしかない」ってのもわかる。科学的にはそうだ。
聖書では、信仰ある人=肉体+聖霊という2つの要素がある
聖霊とは、分かりやすくいうと、「良心」であり、「神の言葉を伝えてくれる心の声」です。
当然ながら、体は土に還ります。特に日本だと火葬しちゃうし。
ですが、きちんと心の中の聖霊を育てた者は、死んだ後に、聖霊とともに心(人格)も保たれます。これは、普通なら消え去る(と思われている)所を、消え去らずにすんだ=復活した、と考えることができます。そして、心は、聖霊に連れられて、一緒に天の神様の元へと帰るのです。
死して失われるはずの心や人格が、そのまま失われることなく存在すること、このことを「復活」と解釈すると、分かりやすいかと思います。
つまり、「信仰した者の魂は死しても救われる」という、どこの宗教でも言っている、ごく普通のことなのです。
もっとも、死後の魂の存在について、信じない、という人にとっては、聖書の教えに限らず、どんな信仰の声も届かないでしょう。信じないと存在できないものだからです。サンタクロースや平和や幸せや友情や絆の存在と一緒ですね。
なので、聖書の教えにある「死者の復活」は、聖書の教えを学ぶ者にとっては当たり前のことなのです。「死後の魂の救済」を別の文章で表現したとも言えます。
ただし、復活してそのまま天に召されるので、復活後の存在を感じるためには、ご自身の聖霊を育てて、天からのその人の声を聖霊を通じて感じることのほかに知るすべはありません。ですから、聖書への信仰のない者が復活を感じ取ることはできません。信じる者にだけ「復活」しているとも言えます。
聖書のフレーズは、言葉尻だけを捉えるとエキセントリックなものも多く、衝撃的すぎて、むしろネタにされがちです(笑) 私も聖書を読むまではそうでしたので、よくわかります。ですが、真意はきちんとした正しいものです。
タイトルの答え
死者は復活するのか?全部は無理!復活するのは聖霊に連れられた心(人格)だけよ。そして天にGo!なのです。あとは神様よろしく。
というわけで今回は、聖書の教えを信じても、肉体の滅びは避けられないが、心は聖霊とともに天に帰るよ、という、ごくごく普通の結論なのでした。
聖書に興味を持つ人が増えることを祈っております。
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(184回目のnote更新)
読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊