記憶の距離1

記憶の距離

今朝、目覚めの瞬間に英単語のDuoを読んでいて思いついたのでメモ。

記憶には距離感がある

昨日の夜、寝る直前に読んだ一文を覚えていない。だが復習をしていてその一文にさしかかると、何となく覚えた記憶が蘇る。

この感覚、何だか古い思い出を何かの拍子で思い出したかのような感覚。遠い過去の記憶。

記憶には距離感があるのではないか?数時間前に覚えた内容が遠くに感じる。これはどういうことだろう。久々にお絵描きしてみた。

赤い球が記憶の要素としよう。覚え立ての頃は記憶の距離が近いのでよく覚えている。だが、時間が経つと坂を転げ落ちるかの如く加速して遠のいていく。こうやって人は忘れていくようだ。

では、なぜ復習を繰り返すと覚えやすくなるのだろうか。

復習すると記憶の球の周りにネバネバした緑のスライムのようなモノができるとしよう。そうすると球は転げ落ちにくくなり、ゆっくりと転がっていく。だから記憶の距離が大きくなりにくいので、覚えていられる期間が長くなる。だが、それでも最初はスライムの層が薄いので、いつの間にか遠くに転がっていく。だが、スライムなしの時よりも近場で止まる。

復習を繰り返すと緑のスライムの層が厚くなる。だからますます転げ落ちにくくなる。というわけだ。トイレの中でそう思った(笑)

酒はこの勾配をきつくする。だから、飲んだ直後はたいしたことないと思っていても、翌朝の記憶力がかなり落ちている。赤い球はものすごい加速力を伴って遠くに転がっていってしまった。

習慣的な飲酒はこの勾配を保つ。だから物覚えが悪くなる。覚えられないのではなく忘れやすくなるのだ。これではいくら復習してスライムの層を厚くしても、山の麓まで転げ落ちるのは必至。いくら勉強しても結果が出ない。

だから飲酒の習慣を保ったままの学習は非効率なのだ。学習は勉強に限らない。クリエイティブ活動の効率化のためのツールの使い方や模索も学習に入る。

飲酒と学習とは相容れない。共存はできない。どちらかを選ぶべきだ。でも酒の誘惑は強烈で、しかも常習性が高い。それを断つには、強いモチベーションが必要。クリエイティブ活動にそれを見出せるかどうか。私はそれを見出しつつある。

若干甘い自分(笑)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊