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創作活動の長さと過去資源メンテ問題。「今」に注力するループを作るヒント

(約 3,500文字の記事です。)

「過去記事が重荷になる。」これを分かってくれる人はどれくらいいるだろうか……。



執筆した記事=資産の多さ

noteで約1,300記事、ブログで約1,800記事を書いた。

「文字数」じゃなくて「記事数」ね。

1記事あたり平均で約3,200文字。決して140文字の連投でカウントを荒稼ぎしたわけじゃない。1記事ずつ、心を込めて、頭を使って、投稿前後に何度も推敲して投稿してきた。

合計で約3,100記事オーバー。これが私の資産だが、同時に「過去記事に対するメンテ」これが重荷になっている。今回はこれに関して思いを巡らした日記。

書きたいことは山ほどあるし、書こうと思えば多分2~3記事分になる。だが今それを書いていては今の私の言霊(ことだま)、情熱(パッション)が抜けていくのでやめておく。


過去記事の情報の鮮度


色々考えた結果の結論。要するに「情報には鮮度がある」。これだ。何を当たり前のことを言っているのか?と思うかも知れない。だが事実だ。

今を一生懸命に生きて記事を書けば書くほど、言霊を文字にして世に放てば放つほど、それが全て過去の資産となる。その資産が未来永劫、価値を放ち続けてくれれば何の問題もない。

だが情報は時と共に陳腐化する。


生み出した物が「作品」ならばいい。作品は永遠だ。

だがもし扱う対象が「情報」ならば、残念ながら時の解釈によってコロコロ変わる。時には害悪にすらなり得る。そして残念なことに私が扱っている対象の多くが「情報」なので、やはりこれに対しては色々考える必要がある。


さて、戻ってきて「情報の鮮度」の話だ。そう、扱う対象が情報である以上、「いつ、誰にとって、どんな」情報かが重要になる。どれか一つでも外せば「全く不要な情報=ノイズ」でしかなくなる。迷惑な話だ。


今日まで1ヶ月もかけて自分のメディア=自分の過去の資源へのアクセスのしやすさ、を求めて作り上げてきた。


そして今日はブログサイトをメンテしていて痛感した。


SNSは流しそうめん、蓄積型じゃない


Twitter XやnoteみたいなSNSのような流しそうめん型・掛け流し型と、過去記事メンテも含めて情報を蓄積していく図書館型・蓄積型のサイト運営は、相容れない。矛盾する。両者とも「注力すべき対象」が真逆なのだ。混在させられない。

混在させると本質的な仕組み部分で矛盾する。今日それに気付いた。

リニューアルしたWebサイトは完全に蓄積型。それに振り切ってリニューアルした。だが今のブログサイトは一部に「Zbrushプラグインのチュートリアル」が入っているため、蓄積型になる。だがブログサイトなので「常に最新情報を追い求める流しそうめん型・掛け流し型」の特徴も持っている。

だからこそ、そこに矛盾がある。

そしてその矛盾こそが、今のブログサイトをカオスにした原因だ。もちろんはてなブログ時代の膿も溜まっているが、多分、根本的な原因はそこじゃない。

現に今、WordPressで自由なサイト運営ができる状態になった上でも、やはり今の私のブログサイトのカオスさは、どうやらはてなブログが原因だけじゃなさそうなのだ。

さて、そんなカオスな状況を見て、とりあず今日の作業を切り上げて一杯引っかけている。酩酊した頭で、それでも自分のWebサイトとブログサイト、今までの執筆活動とこれからの活動について、考えている自分がいる。別にどこかに逃げたいと思っているわけじゃぁない。酔っ払っていても、向き合っていたい対象について考え続けているってことは、やはり自分はそれが好きなのだろう。

と、ここまで書いてもなお、本当に分かりやすく説明しようとしたら記事が3つは必要だ、と思っているので、カット(笑)そろそろ本題に入ろう。


情報の鮮度=サブスク化で区切る


情報の鮮度に区切りを付ける。そう、サブスク型だ。昨今ではPCソフトの多くがサブスクリプション型=一定期間だけ使い放題で「更新しないとそれまで」という売り方だ。実はこれがヒントになっている。

というのも、ソフトウェアは日進月歩。時の流れと共に進化しているわけで、そのコスト回収手段として月単位、年単位で顧客からお金を集める手法としてサブスクリプション型が定着した。

現に私が使っているAdobeのサービスもサブスクリプション型だ。

これにヒントを得た。私が産みだした情報についても、私が永遠にメンテできるわけじゃない。だからこそ、私が生み出した情報についてもサブスク型のように、一定の期間だけはメンテするが「それ以降はごめんなさい、放置または削除」という制限を付けても良いんじゃないか?と。

ここでは主にマネタイズという視点よりも「情報の『鮮度の保守』に対しての責任の区切りとしてのサブスク型」という視点で話をしている。

この発想と重荷の話は、ガチで書くと本当に2~3記事分になってしまうので簡単な例え話で。

  1. 1日に1.5時間かけて1記事書きました。

  2. 1年後、その記事を0.5時間かけてメンテし、新たな記事を1本書きました。

  3. 2年後、過去2本の記事を1時間かけてメンテし、新たな記事を1本書きました。

  4. 3年後、過去3本の記事を1.5時間かけてメンテしました。その結果、新たな記事を書く時間がなくなりました

  5. 今後しばらくは新記事を書けません。なぜならば過去記事のメンテに追われて時間がなくなるからです。

  6. 最初から数えて4年後、5年後、どうなりますか?多少はこれまでの成果=惰性で勢いで、何とかなるかも知れません。

  7. しかし6年後はどうでしょうか?何が残ったのでしょうか?


恐怖しかない。色んなピークが3年目であり、あとは真綿で首を絞める結果になる。

ここでもし過去記事のメンテを放棄=まるでSNSのように掛け流し型・流しそうめん型で「とにかく今にだけ注力するスタイル」を貫くならばこの問題は起こらない。

(ただしその代償として歩みを止めた瞬間に『何も残らなくなる』というリスクもあるが。)

とはいえ、愚直に=「思考停止で」アホみたいに過去記事のメンテにこだわると、上記のように数年後に破綻する。多分、今の自分の悩みはこれだ。真面目すぎた。

いつかどこかで過去記事に見切りを付けて「ごめんなさい」して捨て去らねばならない。そこに読者の益があったとしても、切り捨てなければならない。そのことに罪悪感を感じてしまうのは自分の性分のデメリットなのだろう。

なので今の構想としては、情報の鮮度に区切りを付けること。

例えば消期限切れの生鮮食品を廃棄せざるを得ないスーパーマーケットのように。(賞期限切れではなくて、消期限ね。ここ重要。)


ログイン情報に期間制限を設ける案


そして今の私の環境ではそれができる。具体的には「有料記事に対するログイン情報に有効期限を設置すること」これだ。これは今までnoteではできなかったことだし、BOOTHだからといってできるわけでもない。完全自前のサイトだからこそ「アクセス権への有効期限」を設けることができるのだ。

こうすれば、上記の悪循環は断たれる。例えば「この記事の消費期限は2年間です」と明記した上で「そのアクセス権限は2年間で終了します」と宣言して販売すれば、2年と1ヶ月目の記事のメンテについて悩む必要はなくなる。

そして当然ながら記事をフルメンテして記事の寿命が延びたならば、そのアクセス権限の期間を延長してあげることは簡単だ。マウス数クリックで数字を2023から2024に変えるだけだ。

たったそれだけで、過去記事の全ての負担から私が解放される。


注目したいのは「今」だから


そして浮いたエネルギーを「今の、最新情報を追い求めること」に使うことができる。その恩恵は自分のみならず、読者にも還元される。

つまり、どうやっても「今」に注力しつつ、ある程度の期間に限定して過去記事をメンテする、という2つの要点にエネルギーを絞ることで、無限軌道(戦車の履帯)のように前に進めるのではないか?と思っている。


夜更けを越えて夜明けだが……。


何だかんだで自由に書き散らかしたら、また3,000文字オーバーでした。今日は推敲する余裕がないので書き流しを垂れ流す、ということでご容赦下さい。見出しタグを打つので精一杯です……。


(そして推敲したら3,400文字でした。)


今回の創作活動は約6時間30分(累積 約3,519時間)
(963回目のnote更新)


読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊