![聖書](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/8119113/rectangle_large_type_2_edd44ccc5a91181c44c58bf8c61e748a.jpg?width=800)
(聖) 聖書もパートによってはずいぶん印象が違う (聖書の学び 2)
とりあえず、さらっとではあるが、マルコによる福音書とヨハネによる福音書を読んだ(聞いた)ので、別の部分も読んでみることに。最初に読むにはオススメされていなかった「マタイによる福音書」を読み始めている。
無料ですが、初版の口語訳、今の口語訳、新共同訳など、日本語聖書も豊富。しかも音声が機械の合成音声ではなくて、ナレーターによる読み上げ音声だから凄い!ナレーション速度も変更可能。
布団に入ってゆっくりとナレーションを聞くのもまた楽しい。
マタイの福音書がいわゆるThe 聖書という感じが強い
マルコ・ヨハネの福音書では、フランク神様紹介編、ってな感じで、割とすんなり読めた。さすが先達がオススメするだけのことはある。
だが、福音書の1つ目であるマタイの福音書は、いきなり「固い」のである。あの有名な、汝、隣人を愛せよ、だったり、右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せ、などと言ったインパクトのある聖句が登場する。
あと、割と語気の強い言葉が多い。命令形、否定の命令形など。悪魔も頻繁に登場するので、神 vs 悪魔という対立構図が明確になっている。確かに、これを最初に読むと、聖書っていかにも宗教であり、受け付けない人も多いだろうな、という印象。聖書への抵抗が少なくなってから読む分には、善悪の判断基準がかなり明確であったり、OK or Noの基準がはっきりしているなど、学びも多いが、いきなりここから入るのは、逆に拒絶感が強そうね。
マタイの福音書の真意を酌み取るには経験値が必要かも?
つまり、いきなり深すぎてよく分からない。人生に組み込めるほど、よく理解できていないのです(笑)聖書はとても長いので、あまりここに拘泥せずに、先に進みたいと思います。また別の機会に読み直したら、そのときに何かに気がつけるかもしれないので。
聖書の中身ですら、濃淡、強弱、善悪があるくらいなので、人生にもメリハリを付けなさいってことだな!
とりあえず今日の学びとしては、人生に濃淡があってもいいよ、気分や生き方に強弱やメリハリを付けなさい、ってことだと解釈してみました。
揺らいでいいのだよ、メリハリってことでOK。明日に向かってGo!なのだ。
「今日一日の区切りで生きよ」って書いてあるもんね。
今日も一日幸せに生きることができました。感謝。
明日も皆様が幸せでありますように。
(135回目のnote更新)
読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊