聖書

(聖) 聖書もパートによってはずいぶん印象が違う (聖書の学び 2)

とりあえず、さらっとではあるが、マルコによる福音書とヨハネによる福音書を読んだ(聞いた)ので、別の部分も読んでみることに。最初に読むにはオススメされていなかった「マタイによる福音書」を読み始めている。

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マタイの福音書がいわゆるThe 聖書という感じが強い

マルコ・ヨハネの福音書では、フランク神様紹介編、ってな感じで、割とすんなり読めた。さすが先達がオススメするだけのことはある。

だが、福音書の1つ目であるマタイの福音書は、いきなり「固い」のである。あの有名な、汝、隣人を愛せよ、だったり、右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せ、などと言ったインパクトのある聖句が登場する。

あと、割と語気の強い言葉が多い。命令形、否定の命令形など。悪魔も頻繁に登場するので、神 vs 悪魔という対立構図が明確になっている。確かに、これを最初に読むと、聖書っていかにも宗教であり、受け付けない人も多いだろうな、という印象。聖書への抵抗が少なくなってから読む分には、善悪の判断基準がかなり明確であったり、OK or Noの基準がはっきりしているなど、学びも多いが、いきなりここから入るのは、逆に拒絶感が強そうね。

マタイの福音書の真意を酌み取るには経験値が必要かも?

つまり、いきなり深すぎてよく分からない。人生に組み込めるほど、よく理解できていないのです(笑)聖書はとても長いので、あまりここに拘泥せずに、先に進みたいと思います。また別の機会に読み直したら、そのときに何かに気がつけるかもしれないので。

聖書の中身ですら、濃淡、強弱、善悪があるくらいなので、人生にもメリハリを付けなさいってことだな!

とりあえず今日の学びとしては、人生に濃淡があってもいいよ気分や生き方に強弱やメリハリを付けなさい、ってことだと解釈してみました。

揺らいでいいのだよ、メリハリってことでOK。明日に向かってGo!なのだ。
「今日一日の区切りで生きよ」って書いてあるもんね。

今日も一日幸せに生きることができました。感謝。
明日も皆様が幸せでありますように。




(135回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊