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iphone6sを通信専用機として使い始めて半月が経った。
多少のもっさり感は否めないけれど、用途が限られているので十分快適だ。
8年前の機種で今でも不自由なく普通に使えるということは、当時の機種としては抜きんでていて、どれだけ凄かったかが分かる。

もちろん、現時点においては最新機種を使った方が動作は快適になるだろうけれど、用途を限って使う今の自分にとってはオーバースペックで必要ないというのが率直な感想である。

1円だろうが1,000万円だろうが、無駄なものにはお金を使いたくないし、逆に心が躍るものには金額は気にせず使う。

そんな生活を心がけているので、幸福度のそんなに変わらないスマホには、過剰な出費をしたくないというのが本音である。

しかも、このiphone6sにはイヤホンジャックがあり、充電しながらイヤホンマイクで通話できるというのはとても大きい。
(bluetoothイヤホンは充電を忘れると使えなかったり、会話に多少のタイムラグがあったりするので、個人的にはあまり好きではない(笑))

こんなことをいうと精神論に聞こえるかもしれないが、
現代人は
「ないと心配」「念のためこれもあった方が」
という理由から過剰にものを持ったり、過剰な保険に入ったり、余計なサービスを受けたがったりする。
スマホなどの機械についても、機能をオーバースペックにしがちである。

これは不安の感情からきていて、これが余計な出費を生み、生活を圧迫しているという側面はあると思う。

「その時に必要なものを必要な分だけ」
「その時のど真ん中に欲するものを買う」

という生活スタイルは、無駄遣いすることなく、物が余らないために、その時に欲するものを手にすることができる。
それが、自分のど真ん中を選択し続けることとなり、結果として人生を豊かにすると、そんなことを思う。

「やれ食糧危機だ、備蓄しろ」
「老後に2,000万円必要だ、対策しろ」
などの声もあるが、今無理に備蓄したり、貯蓄するのではなく、
危機になったときに考えれば良い話で。

この類の考えは執着を生み、今を生きれない一つの原因になってしまうのではないかと思う。

毎日人間は細胞分裂を繰り返していて、
前日の自分というのは他人と言っても過言ではない。

「他人の決めたことに従って生きるのか?」
という質問に対しては、多くの人が首を横に振るだろうが、
過剰にものを買ったり、過去の価値判断に従って生きるというのは、
他人の決めたことに従って生きていることと同値であると思ったりする。

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