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「イタイ人間」から抜け出したい

突然だけど、私は痛い人間だ。

何が痛いのかというと、「身体的に痛い」、「精神的に病む」、このまま一生痛いままでいいという、メンヘラ的な「イタイ人間」という3点セットが私なのだ。

とはいえ、3点目のはたから見て「イタイ人間」でい続ける自分は好きじゃないので、どうしてこうなってしまったのかから、どうやったら抜け出せるのかを考えてみた。

痛い経歴

社会人になってから、腹痛と生理痛に悩まされるようになった。

ことの発端は、社会人1.2年目のころに遡る。まだ働き方改革の言葉もなく、毎日深夜0時過ぎに仕事が終わり、終電で帰宅、ご飯を食べてすぐに寝る生活を続けていた。

食べてすぐに寝るため、胃の内容物が逆流し胃を痛めしまう。かつ、十分な休養が取れず、いつも納期に追われているため、ストレスマックスでホルモンバランスが崩れる。結果、PMS(月経前症候群)を引き起こす、生理痛がひどい。といった症状があらわれるようになった。

これらの症状で厄介なところは、自分からも他人からも痛さや辛さが目に見えないところにある。外見で分かりやすい骨折や切り傷と違って、自分が言語化しない限り、他人が理解して対処することが始まらないわけで。
(自分ですら理解できていない)

特にPMSで精神的に病んでしまったときに、会社を休む理由が難しい。
「人と会うとパニックになり、会社のトイレに閉じこもっています。」
「わけもなく涙が出るので、家から出られません。」
なんとか言語化しようとするが、自分でさえ到底納得できない理由になってしまう。そのため、本音を隠して「とりあえず体調不良」というアバウトな理由で毎月休んでしまっていた。
(理由はどうあれ、突然休むのは本当に周りに迷惑かけてしまう。)

精神的なつらさ

これらの経緯を経て、当初の腹痛、生理痛といった一次症状から精神的に病む二次症状へと問題が複雑化する。

・自分の病状を自分が理解できないことによる嫌悪感
・周りにわかってもらえない(わかってもらおうとできない)孤独感
・仕事ができない罪悪感

これらによって、私の仕事に対するモチベーションは下がり、自己肯定感はおのずと低くなってしまう。

「イタイ人間」ができあがる

さらに進んで、この目に見えない痛さが全くなくなってしまうことへの恐怖感が今度は襲ってきた。それは以下の2点が根底にある。

・今までの痛みはいったい何だったのかという怒り
・会社を休みたい(さぼりたい)から、痛いと思っていたんじゃないかという自分への疑念

完全にメンヘラな考え方になってしまうけれど、今まで理解できない痛みに孤独に耐えてきた私はこの発想になり、すっかり治ることへの意欲をなくしてしまっていた。

「イタイ人間」から抜け出したい

では、痛い→精神的につらい→このままがいい(イタイ人間)という負の連鎖から抜け出すために、どうすべきだろうか。

とりあえず医者に行け
まず、なにがなんでも医療機関を受診するべきだ。(できるなら、消化器内科、婦人科といった科を絞っての受診を勧める。)行ってみて、処方や説明に納得がいかないのであれば、セカンドオピニオンとして別の医院にも行く。
精神的に病んでからだと、この一歩を踏み出すまでにとてもハードルが高く、また症状がひどくなってからしか行けないようになる。

私の体験では、一番症状がひどいときには病院へ行く体力すらなく、かといって少しでも症状が軽くなると
「そこまで痛くないのに、病院に行って後ろ指さされないかな?先生に鼻で笑われないかな?」
と変な気をまわしてしまっていた。
昔の私に言いたいが、「今はそんなにつらくなくても、本当につらかった時を思い出して話してしまえばいい」のだ。

自己肯定感を無駄に下げない
家族や友人が周りにいない場合には、まず医療機関に自分を肯定してもらえるように行動することが大切だと思う。そういった行動自体が自分で自分を肯定することにつながるとも思う。

医者との会話を通じて、自分で自分のことを理解できる、説明ができるようになることで、会社を休むことへの自分や他人が納得する理由ができる。
自己判断のみで休むと、よく「さぼっているだけじゃないか」と自己嫌悪に陥ってしまう。病院に行くのを理由に休むだけでもそういった自己嫌悪から脱することができる。自己肯定感を無駄に下げなくていいのだ。

判断を他人にゆだねる大切さ

自己判断で「何日休む」や「この仕事ができる」とすべて決めてしまうのは難しい。というか、会社に属している限り、仕事に関して自分だけで決められることなんてほぼない。(自分の意向を言うことはできても)

状況を伝えることで、どうやったらいいかは、医者や上司に判断をゆだねてしまっていいのだ。精神的にすでに参ってしまっている人が責任をすべて取ろうと思わなくていい。

私は、薬の処方という身体的なこと以外に、多くのメリットがあった。
・上司から「こんな仕事ができるんじゃないか」と新しい仕事を勧めてくれた。
(すべての職場がこんなありがたい対応してくれるわけではないのだろうから、本当にありがたい。もともとブラックに働かせたのもこの会社だけど)
・うまく説明ができなくても、説明がしづらい症状だということを聞き手は理解してくれようとする。
話す前は、完結できない話(関西人からするとオチがない話)をするのは抵抗感がすごいあった。でも、聞き手は意外と優しくて、伝わらないかな?とか中途半端になってしまうような話でも聞こうとしてくる。

そうすることで一人で悩む孤独感や仕事ができない罪悪感から脱することができる。

最後に(病とうまく共生する)


私は、まだまだ症状にはムラがあるし、周りに迷惑をかけているけれど、少なくともこのままでいいやという「イタイ人間」の状態から改善しつつあるように感じる。なぜなら、周りが少しでもよくなるように、協力・応援しようとしてくれるからだ。自分一人だけでは間違った方向に進んでしまうかもしれないところを、他人に補正・矯正してもらうことで、自分に自信を取り戻せもある。そういったほかの人に感謝しつつ、これからも仕事を頑張っていきたい。

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