<大川小学校・大川震災伝承館>
女川から国道398号線を北上して北上川にかかる新北上大橋が流されていたため、そこでUターンさせられて鉄板が敷かれた河川敷の中の仮設道路を通って石巻に戻った。まだ北上川や伏流の追波川には海から流れてきた船が転覆していたり堤防に乗り上げていたり。そこから海までどれくらいの距離があるのかその時にはわからなかったし、どうして?という想いばかりで声が出なかったし目に入ってくる光景がほんとうに現実のものとも思えなかった。Uターンさせられたいわゆる三角の所のすぐその先に<大川小学校>があることをその時はまだ知らなかった。
整備が終わってから行くのは初めて。どう変わったのかな?と思いあぐねていたけどでも、不思議と不安がなかった。あったかい空間になっているんだろうなという勝手な想いがあった。
「おかえりプロジェクト」と銘打って紙灯籠に火をともして(LED)卒業生や地元の人そして亡くなった人たちを迎えた。3日間女川にいて唯一これだけは行こうと決めていた。だいたいいつも女川に行こうと思うときには予定など決めたことがないというのに。
駐車場について雨が激しくなってきたので少し待っていた。ちょうど始まったところで一瞬雨が止んだ。校庭に行くと3人。真ん中に只野くん。手前にマスコミ多数。でも、なんだかみんな笑顔だった。それがとてもうれしくてね。
校庭をひとまわりして大川震災伝承館へ。震災伝承館、、、。震災から起こった事故被害だけど、震災伝承館ってなんか違和感があった。地震災害を略して震災。地震から起こった災害=津波。高田松原では津波の文字を入れている。この点も議論があったんだろうなと想像できる。
何年か前にいったときに立派な慰霊碑があってそこには亡くなった生徒や地域の人たちの名前が刻まれていた。その後、遺構の工事のときにいったら学校からほとんど見えない位置に移設されていた。その場所まで行って手を合わせた。
敏郎先生、あれはやっぱり訳ありで移動したんでしょうか?工事が終わったら戻されると思っていたのに。なんとなく想像はつくけれど・・・。
伝承館の展示はとてもよかった。わかりやすくて簡潔にまとまっていて、事実を事実として提示してある。あれもこれもと、ぼくなら言いたくなるかもしれない。それでも肝心なことは伝えていくこと。その点に関してはとてもいい展示になっていたとおもう。
雨が強くなってみんな館内に入ってきたけれど、みんなの顔が笑顔だったんだよね。なんだかすごくうれしくてね。敏郎先生の姿も見えた。人が集まれる場所になったんだなぁって、ほんとうれしかった。ぼくはただそこに行っていただけ。なにもできてはいないけど、ほんとうれしかったな。
なんで大川小のことを特別にずっと見続けているのか自分でもよくわかっていない。あの震災で多くの人が亡くなったし多くの子供の命も奪われた。大川小だけ特別っていうのはどうしてなのか?
公開されているものはすべて読んだり見たりしている。写真の本はそのおもなもの。裁判の記録、判決分もすべて読んだ。「事故検証委員会」を検証する この本は徹底的に取材をして書いたんだろうと想像できる。
それでも、まだまだ明らかになっていない部分が多すぎる。きっとこの後も大川小のことはずっと見続けるんだろうな。
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