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赤化世界とデモ・クラッシェ

夕方になっていた。
夕焼けは赤くて素敵だと思った。
ぼくは窓から見ていた。
ぼくの部屋は夕焼けに負けていなかった。
ぼくの部屋はつまり、夕焼け以上に真っ赤だった。


物心ついた時から、ぼくの名前はデモ・クラッシェといった。由来は、わからない。けれど、ぼくの共感覚では「デ」と「エ」は赤い色をしているので気に入っていた。

昔から、赤という色に固執してきた。いまも、これまでのいつの日も。ずっと、ギラギラした鮮やかな赤を好んでいた。

あの部屋で、太い赤色のマジックペンを見つけたその日以来、ぼくはたくさんのものを赤色にしてきた。

そのマジックペンは魔法のペンだった。それを使うと、どんなものもたちまち一面真っ赤になった。ぼくは嬉しくなった。だけどその赤色のインクは、乾くとすぐに、美しくないくすんだピンク色に変化してしまった。

もう一度やってみても同じだった。塗った直後は発色がよくても、それはたったの一瞬だけで、乾くと廃れた。
これではだめだと思った。魔法を永遠にしなければならない。


ぼくは赤魔法を研究した。魔法のペンには二種類あった。
あぶら と みず。
あぶら のほうは、鼻を刺すような強い匂いがした。けれど、目の前のものごとを赤くするためならば、その匂いには簡単に我慢ができた。

やがて、ぼくはついに綺麗な赤を永遠にする方法を見つけた。
油の赤魔法をかけて、それがくすんだピンク色に変化した後に、その上に水の赤魔法をかけるといいらしい。鮮やかさが戻るだけではなく、ツルツルとした質感になって光沢も出る。ぼくはレシピにそのようにメモ書きした。そして何度も、その工程の練習をした。

そのうちに、またぼくの赤魔法のやりかたに変化が起こった。どうやら水の魔法をかける前に、黒い筆ペンで墨を混ぜるといいようだ。そうすると、ぼくの赤のギラギラに、赤黒いところと鮮やかなところといった具合に濃淡が生まれる。そのようにして一面塗られた赤は、よりいっそう綺麗に見えた。


色々なものに魔法をかけた。
まずはじめにぼくの爪とぼくの髪を赤く塗った。それからぼくの部屋の壁、床、ぼくの家の屋根まで赤くした。ひたすら塗り続けた。何もかも赤くなった。大好きな色だった。

ぼくの通う絵画教室でも(ペンじゃなく油絵の具を使ったが)、ぼくのキャンバスの中でモチーフは赤くなっていた。
「フォービスムをやっているのかね」
アンノ先生はそう言った。
「いいえ、これはぼくの赤魔法です!」
モチーフは陶器でできた黒い犬の置き物だったが、絵の中で赤くして満足した。


その後も、ぼくの赤魔法は留まるところを知らなかった。赤以外の色を見るとチカチカするので、ぼくの視界に入るものは何でも赤く塗り潰さなければならなくなった。例えば、家の廊下の壁。例えば、日常的に使用するスプーンやフォーク。自分の左腕一帯も赤く塗りつぶした。塗ることがやめられなくなり、魔法はまるで暴走したようだった。そんな日々を送っていたから、ある日ついに、母親に言われた。
「デモ、家中がくさいのよ。油性ペンの匂いだわ」
ぼくは魔法のペンを使いすぎて、匂いを感じなくなっていた。
「あんたもくさいよ。またやっていたんだね、いい加減にしなさいよ」

そのように言われるわけがわからなかった。リビングと、母親の部屋と妹の部屋だけは、魔法をかけないでおいてやったのだ。なぜそんなことを言う? それどころか彼女らの部屋にぼくは入りもしない。それなのになぜそんな理不尽な干渉を受けなければならないのだ?

「お姉ちゃん、いい加減にしなよ。昨日、庭を赤くしたでしょう。ひどいわ、花壇のお花が見えないのよ。元に戻してよ」
ついに理解者であったリモまでがぼくを非難した。ぼくは憤慨した。花なんて見えなくてもいい、本当に美しいのは赤だ!

実は魔法の解きかたはわからなかった。こうなったらリモの部屋にも魔法をかけてしまおう。ぼくの所有物ではないものでも、他の色をしたものは一つ残らず弾圧しよう。世界中を赤で統一してしまおう。赤をわからないやつはみな敵だ。

本当は、世界を元に戻したかった。赤魔法は絵の中だけで十分だと、あれから幾度目かの絵画教室の時に気がついた。だけど魔法は解けなかった。いくら絵の中だけに魔法を込めても、現実世界は赤いままだった。

ぼくは赤と心中してしまった。全てが赤い世界はぼくの理想だったのに、何だ、この気持ちは。きっと、同じ色ばかりを見ているせいで、もはや鮮やかさを全く感じられなくなったせいだ。そう、実は近頃、変なのだ。確かに赤色のはずなのに、まるで白黒の世界のように見えるんだ。おそらく、他のたくさんの色があったからこそ、赤は赤だったということなのだろう。赤ばかりの世界にいるようになっていまさら悟った。目を閉じると、重い緑色の残像に襲われた。毎晩、うなされたり、金縛りにあったりした。何よりでかいのは、理解者を失ったことだ。ぼくの魔法は妹にさえ理解されなかった。それも悲しかったし、ぼくのやったことはきっと罪だった。ぼくはいけないことをした。それが一番怖かった。それでもなお、ぼくは後悔していないふりをしなければならないと思っていた。やめておけばよかったなんて思ってはいけないと。

途方に暮れた、ぼくは空を見上げた。青い夕方になっていた。ぼくのペンは空には届かなかった。少し安心した。全てを赤くし尽くすことなんて、最初から到底できっこなかったのだ。

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