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【小説】コスモス

闇の時間と光の時間が繰り返し訪れる世界。

この世界には太陽がない。代わりに、この世界の上空には小さな宙に浮かぶ島があり、そこには大きな柱時計のある、全体的にオレンジ色の内装の「時の部屋」が存在する。
時の部屋に「闇の鍵」と呼ばれる人物がいると地上では夜になり、「光の鍵」と呼ばれる人物がいると日中になる。闇の鍵と光の鍵は交代でその部屋に入り、時の部屋の床にあいた、大きなガラス張りの窓から下の世界を見守っている。地上の世界を見守りながら、夜と朝を管理するのが、「闇の鍵」と「光の鍵」の仕事なのだ。

新しい闇の鍵には、カオ・スペイリーが選ばれた。光の鍵には、コスモ・スラーナが選ばれた。

カオもコスモも、元は普通の人間で、同じ中学校に通う女子生徒だった。
その頃の二人の共通点は、背中に大きな梵字のような不思議な模様があること。それは生まれつきではなかった。その模様は最初はうっすらとしたシミだった。彼女らが中学二年生に進級したばかりの頃から、徐々に濃く現れてきたのだった。カオは、家で一人シャワーを浴びている時、その模様を発見して以来、ずっと一人で抱え込んでいた。家族に心配をかけたくなかったから、背中に変なアザがある、と言い出すことはできなかった。一方でコスモは、家族に言われるまで背中の模様に気づかなかった。カオの模様はうす黒く、コスモの模様は白かった。

その学校ではある時、移動教室という名の学校行事があった。それは中学二年生全員で、外の施設に泊り込むイベントだった。
二日目の夜、宿泊施設の浴場で、カオは背中をなるべく人に向けないようにして入浴していた。その時だった。浴槽から出て頭や体を洗っている人の中に、自分の背中の模様にそっくりな白いアザがある背中を目撃したのだった。カオは息を飲んだ。あれは多分、隣のクラスのコスモ・スラーナさん。名前と存在は知っているものの、あまり話したことはない相手だった。カオは浴場から出ると、衣服を身につけたり、ドライヤーで髪を乾かしたりしながらコスモが浴場から出てくるのを待った。やがてコスモが出てきて、体を拭いたり、着衣をしたりしてドライヤーのほうへ来ると、カオは意を決して話しかけた。
「スラーナさんにお話があるんだけど、今日のこの後の自由時間に、わたしの部屋に来てくれるかな」
この宿泊施設はどこの部屋も三人部屋で、カオは同部屋に泊まることになっている二人の女子が、この後、自動販売機の飲み物を買いに行くのをわかっていた。コスモがカオ一人の待つその部屋に来ると、カオは部屋の中に彼女を上がらせ、自分はベッドの上に膝を折って座った。そして着ていた上着と肌着を脱ぐと、コスモに対して背を向けた。
「これ、見て」「あなたにもあるんでしょう。大浴場で見たよ」
目の前に現れたそのうす黒い梵字を見て、コスモは息を飲んだ。
「同じアザを持つ人を初めて見た! カオちゃん、わたしたちって一体……?」

二人の運命は、この世界の夜と朝の、新しい管理者(鍵)になることだった。

二人にそれを告げたのは、朝と夜を司る、アヨルという名前の神だった。
カオがコスモに背中の模様のことを告げたその日の晩、アヨルは、カオとコスモの夢の中に姿を現した。
「カオ、コスモ、よおく聞け。わたしは神だ。神アヨル。おまえたちはわたしの、朝と夜の鍵となってもらうことになる」
目の前の何もない白い空間に立っている、人の影のようなものがそう言った。カオは何かを言おうとしたが、何の呪縛か、声を出すことはできなかった。隣にコスモがいるような気がしたが、前しか視界に入らなかった。
人の影は続けて言った。
「百年前に太陽が消えたのはおまえたちも知っているな? それなのにこの世界に日中と夜間という秩序があるのは、天の世界でそれを管理している二人の者がいるからなのだよ。その者をわれわれは『鍵』と呼ぶ。いま、鍵として勤めている人間はもう高齢で、そろそろ新しい若い鍵がほしいと思っていた。地上の若者の中からおまえたちをわたしは選び、『しるし』をつけておいた。背に描かれているそれがそうだ。おまえたちのその学校行事が終わったら、わたしがすぐに迎えにゆく。地上での最後の生活を十分に楽しむがよい」

カオはその夢に驚いて夜中にガバッと跳ね起きた。が、そこには眠りにつく前と何ら変わらない、宿泊施設の部屋の中の風景があるだけだった。

コスモも同じ夢を見たが、こんな夢を見たよ、という話はお互いにできぬまま、移動教室は最後の日を迎えた。

不安な気持ちを抱えたまま、最後にバスを降りた直後のことだった。一瞬で、カオは見知らぬ場所に飛ばされていた。コスモにもそれと同じことが起こった。瞬時にして二人を包んだこの空間は、オレンジ色の石でできている広い床と高い壁に囲まれた、天井のない、ホールのような室内だった。壁は巨大な柱時計と一体になっていた。床は中央に大きな丸い穴を有しており、そこだけがガラス張りで、遥か遠くに人間の暮らす町が見下ろせた。家具は、床にあいたその穴が目の前に見えるようにして、椅子が一脚据えられてあるだけだ。
そう、ここは二人の「鍵」の住まう、空に浮かぶ島の小さな神殿の、「時の部屋」の中だった。


それ以来、カオとコスモは、上空に浮かぶこの島に閉じ込められた。
時の部屋には交代で入り、床にあいた窓から地上を眺めながら世界に正しく夜と朝を運んだ。自分の番ではない時は、二人で住むように与えられた家屋の中で、眠ることもできたし、食べ物にも困らなかった。
カオとコスモは、最初こそ戸惑ったものの、数か月経ったいまでは自分たちの運命を少し、肯定的に受け入れていた。他の中学生が高校に進学するために勉強をしたり受験をしたりしなければならないのに比べ、自分たちの仕事はよほど簡単である、と思ったからだ。

だが、二人は本当は、寂しかった。家族や友達に会えないばかりではない。同じ家屋を使用しているとはいえ、交代で休んだり仕事に入ったりしているので、二人一緒に何かをするということは一瞬たりともなかったのだ(カオは夜から働き朝に休み、コスモは朝から働き夜に休む)。
アヨルは、二人に伝えたいことがある時、彼女たちの夢の中に声だけで現れたが、夢にも現実にも、姿を見せることはあの日の夢以来一度もなかった。それでも、自分たちがきちんと仕事をしているか、どこからかアヨルに監視されているような気は常にしていた。二人にとってはそれも苦しかった。


そして。もうすぐ十月に入る頃だった。またアヨルから、夢でお告げがあった。
「神さまたちの集まりに出かけるので、一か月の間留守にするが、仕事はきっちりこなすように」とのことであった。

そんな神無月のある日のことだった。カオが時の部屋に入り、いつも通り床の窓の前に据えてある椅子に座ろうとすると、座面に小さなメモ用紙が載っているのに気がついた。
それはコスモからの置き手紙で、こう書かれていた。
『もし私たちがこの島から逃げ出したらどうなるんだろう? この部屋に誰もいなかったら世界は夜でも朝でもなく、ずっと夕方とかになるのかな。ねえカオちゃん、この島から二人で出てみない?』
アヨルが留守にしているいまだからこんなことをするのだな、とカオは気がついた。
カオはその紙のあいているところに短い返事を書いた。
『飛び降り自殺をするってこと?』
ここは上空に浮かぶ島。島を出るといえばそれしかないのだ。
やがて夜のターンが終わり、次に時の部屋に入ったコスモは、メモ用紙の裏に返事を書いた。
『そう、私たち二人とも、この島から飛び降りて、アヨル様がいない内に、帰るべきところに帰ってしまうの。だって考えてみて? 普通の中学生の私たちに、世界の朝と夜を管理する仕事なんて荷が重すぎるでしょう』

(普通の中学生。そうだ、わたしたちは普通の中学生なんだ。わたしたちがいるべき場所は、きっとここじゃない)

手紙を読んだカオは、弾かれたように時の部屋から出て、住んでいる家屋へと駆け出した。寝室のドアを開け、休みに入っているコスモに、「コスモ、二人で一緒に飛び降りよう! いますぐ!」という言葉を発した。

その日、カオとコスモはどこにもいなくなった。世界の時間は止まり、永遠に黄昏時になった。

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