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由真(続)

ユマが久しぶりに、自分のいた小さな無人島に戻ると、もぐらは島の地下に人間の大人が三人入れるほどの広さの空間を作って待っていた。いつかユマが帰ってきた時のために、ユマの部屋をこしらえたのだった。部屋といっても、もちろん家具は何もない。ただ土の壁と床に囲まれた洞穴のような空間でしかない。ユマはその空間を見ると苦笑して、もぐらにこう語りかけた。

「私の部屋を作って待っていてくれたのはありがとう。でもね、私はまだ旅を終わりにはしないの。この間、とある街でこんな噂を聞いたんだ。
ルビーの王国というところには、たいそう豊かな王さまと王妃さまが住んでいて、その方たちが持っている、『魔法の鏡』を使えば、私の両親の顔がわかるかもしれないの。こうするのよ、『鏡よ、鏡。私の父親と母親の姿を映しだせ。』って。鏡は魔力のある者の言うことしか聞かないみたいだけど、それなら私はクリアしてる。あのね、もぐらさん、私、あのあと——」

ユマは十三歳の時にこの島を出てからの遥かな旅路を、一晩中もぐらに語って聞かせた。もぐらはユマがこの島を出るきっかけとなった喧嘩について謝り、「仲直りをしよう」と持ちかけたけれど、ユマは「そんな喧嘩のことなんて、すっかり忘れてた!」と笑って、差し出されたもぐらの茶色の手をぎゅっと握った。二人はそれだけでも幸せだった。だがユマは、やはりまた旅に出ると言う。
やがて夜が明けると、一睡もしていないのにユマは、島を出て行こうとした。
「眠らないの? ユマ。心配だわ」
「平気だよ」
「そう……あのね、ユマ。またここに帰ってくる?」
ユマはもぐらを見つめて頷くと、荷物を全て持って、身一つで空に舞い上がった。
「まさかあの子が空を飛んで帰ってくるなんて、夢にも思わなかった」
もぐらは呟いた。

ルビーの王国の玄関口は港町になっていた。入国するや否や、門番をしていたガタイのいい男がユマに詰め寄った。
「そこの旅の者。武器を持っているな?」
ユマは頷いた。
「この国には銃刀法という、武器を携帯していては罪に問われる法律があるのだ。たとえ旅人であっても同様だ。入国の間は預からせてもらう」
ユマは、両親の形見のナイフを、門番の男に預けた。そして、国の中心地へ向かった。

「陛下、お初にお目にかかります。私はユマと申す者です。どうか陛下のお持ちの、魔法の鏡を使わせていただきたいのです。」
王と王妃は、ユマの丁寧な態度に気分をよくしたのか、親切に答えてくれた。
「そうでしたか、そうでしたか。ですがね、ユマさん、魔法の鏡は王家の家宝で、お客さんに触らせてはならない決まりなのですよ。鏡へお願いがあるのでしたら、そうですね……」
王は豪華に飾られた黒い机の抽斗から、短冊ほどの大きさの白い紙を二枚取り出して、ユマに渡した。
「ここにお願い事を書いて渡してください。王である私が自ら読み上げて、鏡に伝えてさしあげましょう」

ユマは『ユマの父親と母親の姿を知りたい』と書いた紙を王に渡した。王はたくさんのルビーで飾られた懐中鏡を取り出して、「鏡よ、鏡。」に続けてそれを読み上げた。鏡は、ある男の顔を映し出した。ユマは促されて、王の手元の鏡を覗き込んだ。
「これは……」
「これはそなたの父親ですな。」
鏡に映った男は最初は顔が大きく映し出され、徐々にカメラは引いていく。肩、胸、腰、下半身まで映り込むと、彼の背景にどこかの町まで映り込んできた。
「あの、陛下。母は……?」
「この鏡は存命の者しか映し出さない。お母上は、おそらく……」
「亡くなったのですか」
王は無言で頷いた。

ユマは息をあげて国のゲートまで走った。門番の男からナイフを返してもらうと、泣きながら笑って、助走をつけて空に舞い上がった。

     ◇

ユマの父親は、ウズという町で鍛冶屋を営む店主だった。
彼はある日工房で作り出した、非常に出来のよい真っ赤な刃をしたダガーナイフを、もうすぐ生まれる娘の護身用にプレゼントすることにした。妻はちょうど、ユマを身籠っていた。夫婦は仲がよく、娘が生まれたら色々なところに連れて行きたいね。そう話していた矢先のことだった。妻は、もともと体が弱かった。ユマを出産したショックで、死んでしまったのだ。夫は娘以上に、妻を愛していた。だから、娘の誕生を喜ぶ前に、娘を憎んだ。
「お前が勝手にベルカナの体の中にやってきて、お前がベルカナを殺したんだ!」
「お前を俺は許さない。どっか遠くへ行きやがれ、俺の前から消えやがれ!」
大きな声に驚いて泣く赤子を見て、次いでその脇のナイフを認めると、一瞬、殺害しようかと考えたが、それは行わないことにした。
「ああ、そうだ。お前のナイフだよ。」
男は、同じ町に住むパイロットの友人ラドに、布に包んだ赤ん坊と赤いナイフを預けると、「捨ててきてくれ」と頼んだ。ラドは夜の黒い海の上を飛んで、人のいない孤島を見つけると、三本並んで立っていた背の高い木のうち真ん中の木の根元に、赤子とナイフを置いた。赤子をくるんである布は、近い将来、ユマが頭と腕を通す穴をナイフで開けて、着ることになる、大きめの白い布である。
ラドは去ろうとして、足を止めた。名前くらいつけてやらないとかわいそうな気がしたのだ。ラドはメモ帳を取り出すと、十五秒だけ考えて、こう書いた。「名前はユマです」。そのページを切り取ると、ナイフの下に置いた。そして一人で飛行機に乗り込み、飛び去った。

土の中で眠っていたもぐらが、地上に出てユマを見つけたのは、翌日の朝の光の中でのことである。


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