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発言者属性で再解釈される140文字

スタートアップから大企業になろうとしているある会社の人事担当者のTwitter投稿(のスクリーンショットを貼った別の人のTweet)炎上しているという記事に、難しい思いを抱いている。こういう内容だ。

採用は“採ってはいけない人”を見極める仕事だ。最近意味がわかってきた。

僕の周りの人の反応を見ると、むしろこれが炎上したことに驚いている感じが強い。イキった発言というより、スタートアップ系の人事論では言い古されたセオリーに聞こえるからだろう。

文化定義に合わない人を効率よく排除する

古典と言えそうなところでは、ジム・コリンズは著書「ビジョナリーカンパニー 2 - 飛躍の法則」(2001年)の中で、一章を割いて「誰をバスに乗せるか」が重要だと説いている。

偉大な企業への飛躍をもたらした経営者は(略)まずはじめに、適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、そのあとにどこに向かうべきかを決めている。

ビジョナリーカンパニー 2 - 飛躍の法則」第三章

はっきりさせておきたいが、この章の要点は適切な人材を集めることだけではない。それだけであれば、新しい点は何もない。まず初めに適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、そのあとにどこに行くかを決めること、これがこの章の要点である。もうひとつ、第二の要点として、偉大な企業への飛躍には、人事の決定に極端なまでの厳格さが必要なことがあげられる。

ビジョナリーカンパニー 2 - 飛躍の法則」第三章

そして実現のための第一の実際的な方法として「疑問があれば採用せず、人材を探し続ける」を挙げる。靴のオンライン販売で急速に成功し、後にAmazonの傘下に加わったザッポスは、この「誰をバスに乗せるか」を徹底した典型例に挙げられるだろう。書籍「ザッポスの奇跡(改訂版)」では、より直接的に(あるいは過激に)こう表現している。

堅固な企業文化をつくるためには、その組織の文化定義に合った人を選んで迎え入れることが第一のステップになってきます。反対の言い方をすれば、人事採用の役割は「文化定義に合わない人を正確に見極め、効率よく排除する」ことであるとも言えます。

ザッポスの奇跡(改訂版)~アマゾンが屈した史上最強の新経営戦略~」第三章

誰を採用しないかが重要とは古くから説かれており、それを少しきつく表現すれば「効率よく排除する」とか「“採ってはいけない人”を見極める」という言葉にもなる。

厳格に、しかし冷酷ではなく

二つ注意しておきたいのだけど、まずジム・コリンズは「飛躍を遂げた企業は学歴や技能、専門知識、経験などより、性格を重視している」と指摘し、ザッポスも「文化定義にあった人を選んで迎え入れる」ことを人事採用が役割として担うとしている。つまりこうした企業にとって、”採ってはいけない“とは、能力より性格、もっと言えば性格の良しあしではなくお互いの性格の相性の問題だ。

次にジム・コリンズは「人事の決定に極端なまでの厳格さが必要」と書いているが、同時に「これら企業の文化は冷酷ではない。厳格なのだ。この違いはきわめて重要である」と指摘している。

いずれにせよ自行ではうまくやっていけないことが目に見えているのに、他に仕事を探すのに使える貴重な時間を無駄に使わせるのであれば、それこそ冷酷である。早い時期に結論をだして、それぞれが再出発できるようにするのは、厳格であって冷酷ではない

ビジョナリーカンパニー 2 - 飛躍の法則」第三章

ザッポスは、「ザッポス的ではない人」を採用しないために細心の注意を払い最大限の便益を設ける。能力等を判断するのは採用部門の役割で、人事部門は文化的に合うか否かを判断する役割を受け持つ。能力を見込んでCEOが連れてきた人材でも、文化的に合わないと人事部門が判断すれば採用されない。

採用された新入社員は4週間の研修で「ザッポス文化」を叩き込まれるが、研修後に「この会社は合わないな」と思ったら採用を辞退できる。しかもこの場合、2,000ドルの採用辞退ボーナスが支払われる。別の相性のいい職場を見つけるまでの当座の資金だ。このことは研修期間中に提示され、「オファー」と呼ばれる。さらに研修終了後3週間までは、実際の業務についてみて「これではない」と思ったら自主退職を申し出られる。この場合のオファーは3,000ドル。

ザッポスでは、相性は会社が採用時に一方的に判断するものではなく、社員も研修と業務初期を通じて判断の機会を与えられる。そして会社側が気付かない相性が悪い採用が起きてしまったら、従業員側からそれを解消するための機会を設ける。それも肩たたきのような冷たさではなく、別の旅に向かう仲間を温かく送り出すように。そこまでを含めて人事採用の役割ということになる。

発言者文脈で再解釈される140文字

冒頭のTwitter投稿の話に戻ろう。「採用は“採ってはいけない人”を見極める仕事だ。最近意味がわかってきた」という言葉は、こうした文脈で考えるなら「誰をバスに乗せるか」というセオリーの大切さや、そこで求められる「冷酷と厳格の違い」といったことが分かってきたという意味だろう。もしかしたら投稿者の心中ではこうした文脈があったかもしれない(というか所属企業や部署からすればあったんじゃないかなと思う、推測だけど)。

ただ、この投稿は140字単体で存在していて、読み手から見たら文脈から切り離されている。あるいは前後にそうした文脈を思わせる投稿があったかもしれないけど、スクリーンショットになっているとそれもわからない。代わりに「発言者は企業の人事採用の人」という情報だけが加わっている。その文脈で、企業 vs 応募者の構図、企業側に立ち応募者を採点し不合格の判断を下す役割のような解釈がされて、忌避されてるように見える。説かれているのは企業と応募者のよいペアリングに心をくだく仲人の役割なのに。

これも大げさに言っちゃえば、文化のミスマッチだ。スタートアップの人事論なんて文脈が通じる範囲なんて、文化としては所属する人が少数派のマイナー文化圏でしかない。だからと言って、その文脈で投稿した人が雑だったと断じるのも、ちょっと息苦しい。不幸な出会い、不運な事故だったのではという思いが強い。ただ、Twitterで公開投稿すればこういうことも起きるんだなと、それだけは意識しておこうと思った。


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