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過ぎ去りし2020年のこと。

もう毎回言ってるけど、ブームに2週遅れてしか乗れない。
なんで年明けてから #note書き初め のタグで2020年の総括をしてるんですかね…。まあしょうがない、文章を連ねていくのならばまずは総括から始めるべきかな、と。
メンヘラ恋愛譚は書くか悩んだけど一切書かないことにした。需要ないと思うけど、聴きたかったら個人的に聴いて。

1月

2019年NF期の軽音+料理サー+ビジコンで週5外泊生活になってキャパリ芸は懲りたはずだった…
しかし時間があるなら「活用」したくなるもので、元旦から
 1/1 05:30-10:00開店業務→大阪に移動して昼から母方親戚とあけおめ
 1/2 07:00-12:00開店業務→滋賀に来る父方親戚とあけおめ
とかいう詰め込みムーブで幕を開ける。

そして学校が始まると期末レポート地獄。履修24コマ、期末レポート10本!!結果は19勝5敗。思ったより落とした。特に主専攻科目のゼミをレポートの存在忘れてて落としたのカス。今思うと、週3で対面1限出てたのは学期初め週5だったことを思えば弱体化したけどそれでも偉すぎる。

2月

何してたっけ。
とりあえずそこまでやることもなかったので週4くらいでドーナツ揚げてたのは覚えてる。この時期はある程度フッ軽で後述のようによく京都いってた。

まず総人同期募ってカラオケした。このあたりからいろいろ外向的に出向いては消失していたぼくが学部に戻ってきて学部同期のtwitter広報係っぽい立ち位置になってきた。

カレー部×Bar Katharsisコラボ企画に副菜担当として参加。好評でうれしかった。あとカレー部でレシピ本を出版することになって、ぼくの洋食mix文脈からそれっぽいのを適当に量産してたりもした。クオリティ低いのも多いけど、ポタージュ×カレーは相性かなり良さそうなことはよい発見だった。

推し講義アンケートを実施。2020前期は忘れてたけどまた後期にまとめてやります。

"人"に"成"る。実感がわかんけど合法的に酒が飲めるらしい。しかしこの後コロナで飲み会の機会が消滅。さらに実感が消える。

3月

そろそろコロナがヤバくなってくる。
京産大でクラスター発生。京都行きとりやめ。家にこもるのとミスドに出勤することの繰り返しの生活。

得意の緊縮財政と強欲資金調達で毎期黒字捻出して積み貯めた貯金から下宿でも探すかと思ってたが全計画をチャラにする。2回生はキャンパスライフの華になる気がしてたがはたして…。ミスドでもドーナツにカバー掛けたり、生活が少しずつ変わっていく。

コロナ対策で京都大学のカスさに気づく。このあたりから京大の現状に危機感を覚えはじめ、何とかできないかな~って考える。京大の合格発表以後、後輩とtwitterを中心につながり始め、少しずつ教務情報botをはじめていく。

興味を社会学に移し、(大学における)将来を考え始める。去年詰め込み履修は懲りたはずが、去年は少し違うこと学んでたので新しい先生を求めてまた効率的詰め込み履修を考え始める。

4月

京大のクソデカ手のひら返しにより急遽1ヶ月の休講と前期オンライン化が決定。ガチでカス。ちょっと普通に絡める後輩も出てきたタイミングで、基本的に後輩という存在が好きなこともあり、この大混乱の状況を全力でサポートすることを決意。

まず総人タテ交流用のLINEのオープンチャットを作り、暇なときに全レス即レス。SNS中毒者の悪いとこが出てるね←。別にそれ以外のこと話してくれてもよかったんだけどぼくがあまりに履修相談の質問に答えるから実質それ専用のグループになった。後にも「あのおぷちゃの塚本さん」って呼ばれるようになった。結局先輩後輩合計で100人くらい入ってくれてなかなか機能した。

総人ツイッタラーZoomタテコン・通称「謎会」を開催。Zoom社の教育ドメインの時間制限撤廃特例ありがとう。おかげで毎回深夜4時とかまで続く大盛況に、大学生活の最初から生活習慣崩すの頭悪い。ある程度twitterとかに生息するインドア派側の面々に新しく知り合う場とコミュニケーションの場を提供できたように思う(アウトドア側は生命力強くてコロナ禍でもお構いなく生きていくね、すごいね)。Zoomとかdiscordとか、ネットでコミュニケーションをとるツールの使い方を学んで広げれたことも大きかったのではないだろうか。しかしネット起点は難しく、コミュニケーションを成立させようとせず叫んだりする荒らしに頭を悩ませることにもなる。

また、サークルが無くて暇なので総人同期ともかなり仲良くなる。将来について語ったり、恋愛について語ったり。コロナ禍でいきなり人間関係大きく変わった。

5月

とりあえずGWはバイト三昧。過疎るイオンモールとそれでも来るお客さんに、何が正しいのか考えさせられる。緊急事態宣言のこともあり、ほんとに京都に行かなくなる。

GW明けて授業開始。オンライン授業のタスク管理の難しさに潰れる。毎週課題、軽いといえば軽いけど重すぎ(25コマフルで入れんなって話でもある)。大学側も不具合満載。PandAが毎週落ちてた日々懐かしいねComfortable Pandaとかいう優秀なPandAビジュアライズツールに助けられる。

前期はオンライン交流会がほんとに盛んだった。木曜サロン(総人半公式タテコン)がオンライン隔週開催になって謎会の役目が引き継がれる。ご飯食べたりお風呂入りに行ったり自由な環境でぬいぐるみを見せ合うブームやお酒を紹介するブーム、当局の現状と悪口などいろいろなコミュニケーションが生まれて楽しかった。みんな夜になってから饒舌になるもんで、先生が去ってからもホストが学生に引き継がれて2次会。早く終わって2時。生活習慣的にはこの時期もかなりヤバかったけど、コロナ禍において適応的で非常に有用な交流だった様に思う。

月末、ついに京都に行く。

6月

後輩に呼ばれてデルタに行く。コミュ強すごい…1回生とついに初リアルエンカ。アコギの布教をする。何人かマジで買ってギターを始める。よし。あと兵庫住み実家勢をジビエに連れて行く。実家勢同士ほぼ京都これないのにツイ廃同士初エンカの感じがしなくておもろい。
とりあえずほめるbotが誕生。この辺りからツイ廃がさらに加速し、FFに軽率に絡める機構をいろいろ作り出していく。

前期のほうが教職科目で埋まった後期よりは授業楽しんでたっぽい。寿長実況ツイートが数多く見つかる。実際この時期いろいろ新しい分野にふれて新しいこと考えられて良かった。ハリー・ポッターを丹念に読み込んで物語の機構を考えたり、政治学から歴史の大切さを学んだり、心理学概論の来年転任する先生と延長戦個別ゼミ開いてもらったり。結局社会学はなんもわからん。とりあえず経済学の柴山桂太を推せ。後半になるとレポート地獄が後ろから追いかけてくる時期。
大学の存在意義について考え始めた記録が残ってた。

カレー部のレシピ本がついに出版。本を書くという夢が一つ部分的に叶う。次は単著を目指すぞ…!

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7月

レポート地獄!!オンラインでさらに大変!!!7/31〆のが5本(計10500字+数学9問+形式不問)重なり、タスク管理の下手なぼくは選択と集中()をついに行使した。せっかくコロナ禍でとくに夏休みイベントないだろと思って全日程申し込んだ集中講義の抽選はすべて落ちる。
なお前期の結果は23勝1敗1延長戦。件の選択と集中以外すべて取り切る。卒業単位充当まで2回前期にして、残り専攻4コマ言語2コマと卒論まで迫る。ぼく偉すぎるだろ。

基本的に(ものすごく空白と虚無の時間を溶かしながら薄い密度で)レポートを執筆するために部屋にこもっていたが、どうやら3分で終わる用事のために京都に行くフッ軽さは健在らしい。

8月

授業がなくなり、去年と違い夏休みイベントもないので性懲りもなくナイトのシフトを詰め込む。これで朝型に…なるはずが地獄の7/31を4勝1敗で乗り切っていこうモチベが壊滅し期末レポートの残党討伐に手こずりよくわからん混沌とした生活をまだ続ける。

初めて女友達に顔面キャンバスにされメイクされる。自分で言うのもなんだけど、(ちゃんと使えば)いい素材してるので活かしていこうと決意する。半年ぶりに髪を切りに行き、ついに自分で服を買いに行く。この回はきっと大成功。珍しく母妹にも褒められてハッピー。ゆるふわで薄い色合いの服がほしくて半分レディースを選ぶ。しかし一歩誤ればその辺のおばさんになるので難しい、ファッション何もわからん。

タスク管理に押しつぶされてキャラがぶれる。とち狂い具合はこのnoteの過去の投稿に現れてるから見てくれ。#総人自分語りブロガー部、ナニモンだよ。周りも狂って女児大学生が「つかもとゆうた愛好会」を結成したりする。なにこれ。

9月

学部とILASゼミの集中講義。同一テーマについて3コマ連続Zoom講義は鬼よ。ほぼ溶けながら受けてた。

京都大学"本当に"おすし大好きクラブが出来て、初期メンバーになる。この辺りから熊野寮界隈・左京区界隈と接近する道筋①が出来る。初めての総会の出席者が熊野寮生×3、自宅生(滋賀)×1って何。この界隈の人たち生命力がつよすぎて魅力的すぎる。

統合情報理論の自主ゼミやキャンベル生物学の自主ゼミに入る。後にキャパ不足でぶん投げることになるが、学問に真面目勢と生活を共にすることにも成功する。

この辺りからいわゆる「コミュ障だがフッ軽」の総人同期・後輩ツイッタラーのつながりがついに対面イベントに向く。
アフタヌーンティーパーティーを主催する。完全自作。天才か?

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海に行く。ガチで青春じゃん?

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伝説の顔面キャンバス会。お前誰?

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先輩主催の総人オンライン交流会(総人合宿の代替)の運営に協力する。ラジオ企画の自炊パートを担当したりする。えらい。ぼくは既にかなり総人生とネットでつながってるので今更感があったが、いざやってみると案外新しい交流ができて、イベント企画の大切さを知る。

10月

後期が始まる。
スタートダッシュに失敗してまた授業に押しつぶされる。
教職科目を詰め込む時期なのもあってモチベが永遠にあがらずグダグダし続ける。n回行ってるが月曜1限教職理学部棟対面はカス

去年は大学生活なんて長いんだからゆっくりやればいいと思ってた。コロナ禍でキャンパスライフが消失して、日常なんて続かないんだと知った。なので対面授業で京都行くときに積極的に京都ライフを楽しもうとした。人気の定食屋とかいろいろ回るようになった。オンライン授業はよいぞ。1コマあたりモバイルデータ50MBくらいと引き換えに、外食とかの出先で授業が受けられる。

指導教官候補の柴田先生の社会学基礎ゼミに先着で飛び込みトップバッターで発表する。テーマは迷ったが「大学教育」を選ぶ。ちょうど京大当局が代替わりした後だったり、学術会議問題が燃えたときだったのでタイムリーだった。まず先生と二人がかりで論文が見つからない。教育学系の先生だと探し方知ってそうだけど、少なくとも社会学的に考察されることはすくないのかな。大学の意義って何なんだろね。発表に使った論文は、世論調査で教育に対する意識を相対的に調査するもので「子育て世代も大して(とくに高等)教育に税金を使う気はない」んだとか。絶望だね。今ぼくが唱え続けている「大学を変えるなら真の本丸は国民意識」という主張が形成される。

リバ邸でクリスマス会。いろんなルートから左京区界隈への人脈が増えていく。お互いの人脈の広さからこれが後に集約していっておどろくのはまた後の話。

11月

引き続きぼーっとしながらギリギリで授業課題をこなしてたら過ぎた気がする。たいして記憶がない。それなりには京都に行ってたはず。早稲田から大学生カレー界隈の大物が来るので深夜日付変わってからチャーシューカレー作ったり、女児大学生に無限くら寿司会によばれたら女児はいなくて海賊団を名乗るヤバいやつと出会ったり、偶然柴山先生の講演会に行ったり。

時計台コンパを起点に自治界隈のFFが急速に増えるのが11月末の頃。

12月

突如「カレー売らない?」ってLINEが来て熊野寮祭に出店する。熊野寮でちゃんと交流を生んだの実は初。次の日バイト入れてるの忘れてて限界徹夜明け始発バイトする羽目になったが、する価値は十分あった。無駄にtwitterで知られてるもので大エンカ大会になる。熊野寮いいな。

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それにしても一人で大型出店ほんと大変だわ、しばらくやらん。これ毎週やってる我がカレー部の総料理長すげえ。

さらに処分撤回集会でお気持ち表明したらtwitterが燃える。これについてはここでは多くを語らないことにする。コミュニケーションって難しいね。

そんなこんなで自治界隈にさらに急接近して、自治界隈等諸々のLINEグループに入れられたり、同学会文化部が噛むコンパで熊野寮にお邪魔していろいろな人と喋ったり。思ったよりつかもとゆうた知られててびびる。

以降クソ忙しい年末を過ごす。熊野寮祭でカレー売った回のお疲れ会で高級料亭行って、梅田でプログラミングスクールの入試を受けてライティングの仕事請け負って、カレー部総料理長の家で忘年会してライオット初参戦して、高校同期とクリスマス粉砕集会して、25の夜には一日遅れでクリスマスディナーデート出来て、ついに白馬亭にお邪魔して限界徹夜明け始発バイト(2回目)して、ライト商会お邪魔して四条大橋で警察の捜査受けて1回生をつなげる会の京大新年イブ祭に二言だけ参加して、大晦日こそ休むかと思ったら総人の後輩に呼ばれたのでせっかくだし女児のバ先で年越しそば食べて…
なおこの間に二日に一回のペースで社員さん無しで休日を含んで朝7時からバイト行ってる。スケジュールバグか?マジで死ぬかと思った。

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年明けはいろいろミスって京都市営地下鉄東西線・東野駅で迎えました。なんで…。

コロナ禍でいろいろ生活が一変した一年でしたね。でもなんかいろいろ見えるものもあって楽しかった。
2021年もよろしくお願いします。フッ軽ですがコミュ障なので軽率にいろいろ誘ってくださるとすごい喜びます(他力本願)。いや、自分でもいろいろ面白いムーブメントを起こしていこうと思う所存です、乞うご期待。

このエリア140文字以内なんだね、実質twitterじゃん