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 あなたはとある研究所の前にいます。人里離れた山の中腹、周りには木々が生い茂り、その主な部分を構成する杉は軽度とはいえ花粉症であるあなたの鼻を、目を苦しめるであろうことは想像に難くないでしょう。そんな場所にぽっかりと佇む無機質な建物。直方体を組み合わせたようなそれは真新しい頃はおそらく特異な違和感を醸し出していたでしょう。しかしまるで川に運ばれる石の角が丸まっていくように時間という大きな流れの中でその違和感が削り取られ風景の一部として少しだけ涙目の視界によく馴染んでいます。あなたはここに仕事でやってきました。確かにあなたは若手のホープとも言われる研究者でここは研究所ですがあなたはここに研究に来たわけではありません。あなたはかつての恩師である年老いた男性に頼まれてこの場にやってきたのです。彼は先月の暮れにあなたに一通の手紙を送ってきました。その手紙を受け都市部から電車を乗り継いで3時間、バスや歩きで遠路はるばるこのような片田舎の里山にやってきたあなたはどうしたものかなと少し思案します。何せ手紙以外にはこの研究所のキーも誰か案内人がいるのかも一切持っていないし知らないのですから。普段机上に向かっている人間が山登りをしてすぐにいい考えを思い浮かぶわけもなくどうしたものかなと思い悩むあなたに研究所の方から声がしました。

「お客様ですか?それとも道に迷われましたか?」
目線を声の出所に向けるとそこには1人の女性、人によっては少女にも見えるかもしれません。ショートボブで少し大きいのかもしれない眼鏡をかけた小柄な彼女はゆったりと微笑んでこちらを伺っていました。
──北山先生に少しお願い事をされて。
「お父さんに?」
先ほどまでの対応と比べると少しだけ固くなったように見える彼女の表情にあなたは慌てて大学時代の恩師なんだ、と付け加えます。
なるほど、と少し考えを巡らせ
「それはよくお越しくださいました。父の依頼ということであればお手伝いさせていただきます。」
そういう彼女の顔は少しだけ悲しそうに見えますがすぐに先ほどまでの笑顔に戻ります。
「申し遅れました。私の名前はノイ、北山ノイと申します。父と母が残したこの北山研究所の管理をしております。」
カードキーを読ませあなたは促されるままに研究所へと足を踏み入れます。辺りに置かれた実験器具はしっかりと整理整頓され埃もかぶっていません。
ここを1人で?疑問に思ったあなたに
「えぇ。昔はもっと賑やかだったのですが誰もいなくなってからは私が管理させていただいています。」
まあ管理なんて名ばかりで基本は掃除なんですけどね、と彼女は笑います。そんな彼女を見て貴方は少し俯きます。
──北山ノイ。あなたは静かに反芻しました。

かつての恩師の娘。

ただ1人でこの建物を管理する少女。

そして、

あなたに殺される少女の名です。

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