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【吉田正高コレクション整理記録】3/31~足場の確保

2018/3/31に他界した吉田正高は、私の義弟である。享年48歳、私の2歳上。突然の、早すぎる死去だった。

妻はイラストレーターのこさささこ(私の実妹)。

娘・むぐ(小学1年生)、息子・はつ(保育園)の2人の子供がいます。
二人のための育英基金を、同僚のみなさまがたが立ち上げてくれました。2018年7月末日まで稼働しているそうです。よろしくお願いします。

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正高死去の連絡を受けて、横浜から山形にやってきた私が目の当たりにしたのは、噂にだけ聞いていた「吉田正高コレクション」。

山形に暮らして数年たつ吉田家、この家は2軒目。1軒目のころは、正高コレクション用に倉庫的な家を借りていたといいますが、2軒目のこの家に引っ越してくる時に、倉庫を引き払いました。

ここには、「吉田正高コレクション」のすべてがあるはずです。

……まあ、あるんじゃないですかね。これがすべてであってほしいですね。現時点で途方に暮れる量です。
上記の写真を見ていただきたいのですが、実は、床にもVHSビデオが山と積まれています。棚と棚の間のこのエリアだけ、ではないのです。部屋のほとんどの床は、見えないのです。

そこで、初日3/31は、こつこつと「足場の確保」から始めました。

メイン部屋はカオスすぎたので、もっとも小さい「風流部屋」から手をつけました。この部屋は(そこそこ)ジャンルがまとまっていたからです。

大雑把には、こんな感じ。

・風流な天袋にLPとソノシート

・床は成人向け雑誌
・棚にはグッズ(これらは美しく飾ろうとした形跡がある)

あ、これらの写真は、「まとめ後」です。
ちらばっていたものを種別「LP/ソノシート」「雑誌」「グッズ」をまとめながら場所を作り、積み重ねました。

多少スペースができたので、このあと、メイン部屋の床に重ねられていたLDを、たぶん 200~300枚ほど移動させました。

ちなみに、雑誌が写っている写真、右の棚にあるのは、彼の妻こさささこが作った陶器。数日後、ささこに移動してもらいました。

この日は、これで精一杯でした。

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3/31といえば、正高さんが死去した当日。「こんなことやっている場合じゃないだろう」という気持ちがなかったわけではありません。
しかし、この時点で彼の遺体は検視解剖のために警察にいて、吉田家にできるのは「待つ」ことだけでした。

この時、ささこは「今後のこと」をしきりに気にしていました。
姉として、「正しい」と思いました。

彼女たちはこれからも生活していくのです。

そうやって考えると、小さな子供2人と暮らすささこに、この大量のコレクションを整理するのは難しい。このまま置いておくわけにもいかない。

「全部捨てるか売り払うか寄付するか」

どの選択肢をとるにせよ、このままでは何もできません。

実母も山形入りしていてくれたこともあり、彼女たちの日常生活のサポートは母にお願いできました。

吉田正高という人は、私にとって「オタク教授」です。

うんちくが多く、早口で、話がどんどん広がっていく。一人で楽しそうに話している。「ザ・オタク」といった感じの人。

彼の自慢はこの「吉田正高コレクション」です。私にも、こんなことを言っていました。

「僕はこれを集めるのが使命だと思っているんですよ、お義姉さん」

私はこの部屋を見た時、鮮明に思い出したのです。
この言葉を。
彼の口調、彼の声で。

吉田正高コレクション整理記録。オタク教授の他界、そしてその親族や知人たちの奮闘記録。