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【実父のコレクション整理記録】(前説)父の他界と思い出

2019年12月16日に、実父・塚口誠が他界しました。享年77歳。

2018年は2月に母方の祖父が、3月末に妹の夫(吉田正高)が他界したので、2年連続です。

そういう年代になったのだな、と思いましたし、入院と手術を繰り返していた父の他界は、どこかで覚悟はしていました。ただ、思っていたよりは多少早く、本当に覚悟ができていたのか、今でもわかりません。

吉田正高ほどではありませんが、父も収集が好きな人で、趣味はカメラとガジェット、PCぽいもの。あと航空機(主に戦闘機)。

家には戦闘機のプラモデルとかありました。着色もしてね。雑誌『航空ファン』も一時期マメに買っていたはずです。
我が家は小学生低学年まで、埼玉県入間市に住んでいて、入間基地から飛ぶブルーインパルスを一緒に見上げたような記憶があります。カメラも構えていたんじゃないかなあ。

そうだ、カメラといえば私が乳児の頃のパネルもあったはず。まだ家にあるのかな……(いま気づいた。震える)
私は第一子だったので、特に幼少期の写真の多い子らしいです。当時はたぶん、自分で現像もしていたらしい。押入れを暗室にして。カメラもいろいろ持っていました。

PCも好きな人でした。小学生(1970年代後半)の頃にはもうNECのシリーズが購入されていました。記憶にあるのは 80シリーズ、88シリーズ、98シリーズ。その前のもあったかもしれませんが、覚えてないなあ。
初期にあったメディアはカセットテープと8インチディスク。カセットテープでゲーム再生するとか、いまでは想像もつかない(笑)

時折、秋葉原に一緒にいきました。当時はほんとにリテラシーが低い時代で、違法コピーが店で売られたりしていました。5インチディスクに山盛りいろんなソフトが入ってるんです。確か1980年代です。恐ろしい時代だ。

さて、まあ、そんな人だったので(雑にまとめる)、とにかく物が多く、つまり、こういうことです。

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これはリビングの一角。父アイテムエリアです。氷山の一角でス。
両親は趣味がまったく違うので、このあたりは母が触れないところ。

もちろん、一気に処分してしまうこともできるのですが、
結局、自分は父と似たところがあって、
「いやこれは価値がある(気がする)から捨てるのは最後の手段」と思ってしまったものですから。

たいていは気のせいだと思いますが(笑)今は、捨てる捨てないの選択をゆっくりしながら、地道に進んでいきたいと思います。

最後に、改めてお願いしておきたい。

「オタクは死ぬ前に自分のコレクションに向き直っておいてください、遺された我々のために」

そしてわが身を振り返り、「片づけよう……」と思うのです。

※見出し写真は、大学病院の霊安室。造花の向こうに父の遺体が安置されています。漠然と想像していたよりも明るい、綺麗な空間で、軽く感銘を受けた覚えがあります。
棚?に置かれているのは、献花です。最後に担当してくださった医師や看護師のみなさんが来て献花してくれました。東京女子医大のみなさま、本当に最後までありがとうございました。

吉田正高コレクション整理記録。オタク教授の他界、そしてその親族や知人たちの奮闘記録。