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吃音者こそYouTubeを。

2020年春。

例に漏れず、僕が所属する会社も新型コロナウイルスの影響を受け、3ヶ月ほど対外の仕事が無くなりました。

何か新しいことを始めなければ!と考えていた僕らは、これを機にYouTubeを始めてみました。

3月11日にはじめて編集し公開。

撮影と編集を繰り返し、半年はほぼ毎日新作動画を公開できる予定です。

そこで今回は吃音とYouTubeの話を。


1、YouTubeをはじめたきっかけ

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僕は日頃、幼児や小学生に運動を指導する仕事をしています。

毎週300名ほどの子どもたちと関わらせていただき、毎日子どもの前でどもりながらも喋っています。

この仕事を始めて7年、もう人前でどもることに対しての抵抗は少ないです。

(体調によってはどもりまくる時もあるので抵抗はゼロではない)


そんな中での新型コロナウイルス。

毎日喋りまくりどもりまくりの生活から一転、日によっては一言も発することなく終わることもありました。

ラジオから流れてくるお笑い芸人さんも

「一言も話さないから話が下手になりそうで怖い」

と言っておられたように、僕も活動再開時にどもりまくったら嫌だなと感じていました。

どもりの頻度が高まる心配があるな、、、と不安に思っていたました。


対外的な仕事がストップし、今までできなかったことにじっくり時間をかけようということになった弊社。

YouTubeはその一環で始まりました。

最初は自分が被写体となって撮影することに緊張があり、どもりまくっていました。

今でもどもることは多々ある。


2、吃音者がYouTubeをする意味

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YouTube撮影は

「対人」で相手のリアクションありきで話すこととは異なり、

「対カメラ」で相手のリアクションが無い中で話すスタイルです。

撮影を重ねていくうちに、焦らず自分のペースが掴めてきます。

少しずつどもりの頻度が減ってきたかな?と実感することもあります。


編集は

どもりの頻度が減ってきたかなと思っていても、いざ自分が撮影された動画を見てみると、これでもかというくらいどもりにどもっていることの気づかされます。

自分の「主観」とまわりから見た「客観」の差をまじまじと見せつけられます。

大なり小なり落ち込むこともあります。

でもこれが事実。

普段僕と接している人は、こんな感じでどもりを受け取っているんだ、と把握することができるんです。


誰にでも主観と客観のギャップは必ずあり、自己分析をしてその差を可能な限り埋めていくことはじめて、周りの人に理解してもらえる。

自分が被写体となってYouTubeの動画撮影と編集をすることで、ギャップを埋める作業ができる。

吃音の人こそ、YouTubeに自らの喋りの動画を公開することはおすすめできます。

そして可能であれば

①撮影、②編集、③公開

の3点はすべて自分で行うこと。

最初はどんなクオリティでもOK。まずはやること。


僕は吃音の誰かの背中を、そっと優しく押せる人でありたい。


#吃音 #吃り先生日記

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