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一文は無文の師、他流勝つべきにあらず 昨日の我に、今日は勝つべし  essay

柳生石舟斎の言葉である。昔は岡大空手道部でも「克己」という言葉で己を律し、自己の向上に努めてきたが、意味としては似たようなものだろう。前半は吉川英治の「我以外皆我師」に通ずるものがある。彼の作品のモデルである宮本武蔵本人は、五輪書に「万事において我に師匠なし」という言葉を残しているが、「師匠がいない」というのは「みんなが師匠」というのと結局は同じことを意味しているのだろう。人は一人では生きていくことはできないが、一人でしか生きることはできないのだ。

武道に限ったことではないのかもしれない。「試験にこれが出る!」「君の弱点はこの教科のこの単元だ!」…。「敵を知り己を知らば百戦危うからず」という孫子の言葉がある通り、「敵」と「己」の両方を見極めて勝つ方法を伝授し、常勝の戦士を育て上げることは、現実の厳しい競争社会を生き抜くうえで、とても大切なことだとは思う。私は有能ではなかったが、大雑把に言えばそういう指導をする環境に、教室の指導者として長く身を置いてきた。

しかし、果たして「敵に勝つこと」が自分の向上につながるのだろうか。敵に勝つための対策に自分を合わせることは、単に自分の好奇心や向学心という本来人間に備わっている学問的探究心を捻じ曲げているだけではないのか。それはまさに、「他流勝つべきにあらず」そのものではないのか。(ここで私は自分の勤めている会社を批判しているわけではないのはご理解いただけると思う。念のため。)

大学に入るための勉強と大学へ入ってからの勉強は本質的に異なる。真逆だと言ってもいいくらいだ。縁あって岡山大学空手道部の門を叩いた現役部員諸君よ、大学に入るまでに身につけたものは全部捨ててほしい。そして、夢や希望を自分の胸の中から見つけ出して、つかみ取ってほしい。君たちは一般の空手道場に入門したのではない。大学の空手道部に入部したのだ。ニッポンの未来はまさに君たち学生の拳の中にある。

         令和5年度 岡山大学空手道部広報誌「押忍」掲載記事

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