見出し画像

澄江堂主人の生誕祭

 はしがき

 私は最近、夢の内容を忘れてしまう。
 故に、詳細には書けない。
 確かに自分はさっき、夢をみたんだ。ということだけが、心に残っている。
「なにを書き遺したいのか?」
「この世になにをしに生まれたのか?」
「問いて、考えてごらん。何がしたいのか?」
「小説の最初の文章は、こだわりを持ち、それでいて、さらっと読みやすく。難しくしすぎても、それを読む者は限られる」
「まあ、案ずる前に書いてご覧よ」

一、澄江堂主人の生誕

 澄江堂主人が生まれたのは、三月一日のことである。この日の131年前に、その文士は生誕した。
 彼の作品を幼い(おそらく小学4からあたりだと記憶しているけれど、それより前に朗読を聞いた気がする)全集で読んだ記憶があるので、その作品のひとつひとつの素晴らしさは理解できている。が、私は作家の生活や生い立ちについてなんて調べるようなことは一切をしてこなかった。祖父が「これを書いた者はな、無花果が好きなさ。大の甘党なのだろうね。しかし、彼は胃腸が弱くてね……」などと、親しい友人を紹介するように教えてもらったことがある気がするが、私の祖父の話は長いうえにあまり好きじゃなかったので、そのほとんどを忘れてしまっていた。
 最近、調べているうちにその祖父のことを思い出すことがすこし増えた。祖父は、もうすでに亡くなって、この世にいない。けれど、記憶の中では確かにいたんだなあという感じで残っている。

 ひとは、記憶の中で生き続けることができるかもしれない。と、同時に記憶をもつ者がいなくなると、そのひとの記憶に生きているひともいなくなってしまうのか……なと、少し考えた。

 生誕祭を祝うことも、忘却させないためのイベントなのかもしれないなと考えるといろんなことが脳内をめぐったけれど、まとめることはできなかったので割愛させていただくことにする。

二、体調

 今年の二月は、気温の変化が激しく。三月も早朝と深夜は、寒さがある。昼間は、陽がのぼるとあたたかいが、それが幾日かあるという具合である。変化の多いのは気温ばかりだけでなく、気圧もそうで、体調の不調はかなり気が滅入った。が、私は医者に通う類が苦手で健康診断もいやいや受けた。貧血と言われて、参った。こっちに来て二年目で、私の心境や環境は大きく様変わりをしておいつけないままにしていたら大きく体調を崩してしまった。
 『note to a friendを観た感想』と題した、オペラ鑑賞の感想は未投稿のままである。
 投稿するには、あまりにも書けてなさすぎる。と、思い未だ投稿できていない。
 脱線したので話を澄江堂主人の生誕に話を戻すことにする。今年は西暦で2023年、和暦で令和5年になる。澄江堂主人は生誕131年目なのだ。
 澄江堂主人のゆかりの地を巡ることになっているので、待ち合わせ場所へゆく。焦ることはない。ただ、ひとつ疑問なのは昨日のかなりの不調が、今朝になって不思議とさっと憑きものがとれたようになくなっていたことだけだった。

 三、巣鴨にて

 巣鴨駅でW氏と合流し、澄江堂主人の眠る墓へとやってきた。枯れた花や墓石を拭き掃除している横で私はぼうっとしてしまっていた。ある程度終えると、枯れた水受けに桶の水を入れ、持参した四季花である花束をひろげ活けている。そこでようやく、自分ははっとしてすこしだけガーベラのフィルムを外したりする作業を手伝いをしだしたが、少しも手伝いになってはなかった。
 タバコを備えている横で、私はお供えするものを持ってきていなかったことを思い出す。が、ポケットに入れたままのチョコレートと愛煙を供えることにした。チョコレートは虫がたかる原因にもなると、おさがりでいただくことにした。
 行きの途中もだが、猫がいた。帰りの途中も、やはり猫が見守っていた。

 四、ぼんやりとした不安について考える

 電車に揺られている間は、このことを考えていた。ぼんやりと……した不安。ぼんやり、と言うと輪郭のない絵を思い描く。不安を具現化すると私はきっと、それは名状し難いもやのような気がする。もやのような不安は風にのってやってきて心の隙間から侵入するのかもしれない。と思ったり、考えてみたりしたけれど、そんなものが澄江堂主人の言う『ぼんやりとした不安』ではない気がしている。
 まだ私は、勉強不足なんだなと、思った。それからそう思いつつ、電車の窓を見ては、流れる街並みを過ぎ去る時間と共に鑑賞し。電車内のひとたちの会話や、一緒にゆかりの地をめぐる化粧や遠近両用の話やら、たくさんの会話があったけれど誰も不安は口にしなかった。不安は言葉にできないのかもしれない。わからない。
 わからないからこそ、私はそのわからないことを理解したい。理解すれば、恐ろしいものでも何でもなくなるから、と私は考えた。

 五、田端にて

 田端には、芸術家・文人・画家など様々な著名なひとたちが住んでいた土地であり不思議と上り坂と下り坂の多いこの地形にすこしだけときめいていたりする。幼い頃から、そんな凸凹とした土地には惹かれる傾向にあった。自転車で下り坂をざーっとこいでみたいなという衝動にかられるが、今回の目的はそうではなかった。一服し、田端文士村記念館へ入館すると、ドナルド・キーン氏についての展示と小穴隆一氏たちの絵が展示されていた。のらくろというキャラクターの展示もあり、漫画が展示されていた。
「彼は、漫画を描いたりしなかったのでしょうか?」
「え、ああ。でも、彼の絵をご存じ?」
「お鼻がぐるぐるしている絵なら……」
「ふ、そうではなくて。水彩のほうです、素敵ですよ」
「へえ、それは調べて拝見しますね」
 と、私は答えたが調べると確かに綺麗な色合いに明暗のはっきりとした素敵な絵が検索結果にでてきた。と、同時に亡き姿を描いた記事までもみつけ少しだけ無言になった。
 命の重さ、罪の重さ、書くことへの覚悟。様々な面で、まだ私は甘えていると思う。

 お昼は浅野屋さんで天麩羅そばをいただいた。店内はお昼時の忙しさで客は忙しなく入れ替わりをしていた。
 甘いお菓子がついてきていて、あら?
 そう首を傾げると
「お誕生日ケーキね、きっと」
 そう話してくれた。食べきれなかったので、それは持ち帰り食べることにした。
 浅野屋さんの天麩羅は油っぽくなくて、あっさりとしていていつも食べやすさを感じる。具も大きく、ざまざまな具材の食感や味が楽しめるけれど、タバコを解禁して食べているものにたばこの味も追加される。
 満腹になる頃には、すこし眠気がうとうととしてきた。が、帰って眠るのはもう少しまだ早い時刻。引き続きW氏と途中合流したEさんと散策をすることにする。
 店を出た時に、ふと風があたたかく感じた。

 六、日本近代文学館にて

 寄り道があったものの今回の記事には関係がないので割愛をする。が、かなり長く、寄り道をしてしまった。寄り道がありつつも目的につき様々な展示室の展示された資料を閲覧し、歩いた。歩きながら展示物を閲覧し終えると、どっとなにかがのしかかる感じの重さを感じ、耐えかねて椅子に座って休憩をしていた。その間、話しかけてくれたので、私は助かった。ひとり座ったままならそのまま変にnegativeな想像を展開させて、そのまま憂鬱さに逆戻りしてたかもしれない。
 外に出て、家に帰る頃にはなまぬるい風が吹いていると感じた。つめたさのなかに暖かさがあるような風だった。途中、クリスマスローズの花言葉は「追憶」と「私を忘れないで」と「私の不安を取り除いてください」だった。
 まるで、なにかを伝えたいかのように咲いていたクリスマスローズが書いている間にも記憶の中に残っている。甘い香りがした、その香りがどこか懐かしく感じた帰り道であった。

 あとがき

 私は布団のなかで、この冒頭を書いた。そして、眠る前に本文を書き、次の朝にこの後書を書いている。
 目覚ましが鳴る前に、不思議な夢を見た気がした、それで目を覚ましてしまった。
 三月一日の前の夢の内容は、かなり記憶を手繰り寄せてもぼんやりとしている。が、かすかに、自分はその夢の中で煙に巻かれて、右往左往していたような気もする。
 三月一日の後も夢を見た気がするのに、指先から煙がこぼれるように掴めない夢だった。
「君のタバコケース、もらってゆくね」
 微かにと、言われたような気がした。実際、家に帰って机に置いていたはずのタバコケースは消失していた。

 拙い記録をここまで拝読してくださり、ありがとうございました。

 私はここで一旦、筆を置き。この記録を終わらせます。

2023年3月1日〜2日
記録者:辻島治

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?