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傷つくことを過剰に恐れる理由

三十路女子研究所のつじりです。

4月も中旬に入り、桜も見頃を終えたというのでしょうか・・・。

わたしはというと、アスファルトに散った花びらが結構好きだったり、新緑と少し残る花のコントラストの美しさに惹かれたりと、まだまだお花見を楽しんでいる今日この頃です。

さて、今回はタイトルにある通り「傷つくこと」に関して綴ってみたくなりました。

わたしたちの番組をたまに聞くのですが、(基本的にリリースしてからは、聞き直さないタイプ)時々過去の自分の心理状態を紐解くのに役立つことがあります。

ひとつ気づいたことが「なんか、わたし過剰なまでに傷つくことを恐れているな。」という点です。

この「過剰なまでに」がポイントだと思っています。

人間やっていると、おそらく多くのひとが傷つくことに対して好意的ではないのかなと思います。

では、わたしはなぜ過剰なまでに傷つくことを恐れているのでしょうか・・・。

おそらく否定されることで自分の信念や行動に迷いが生じて、ぐらぐらしてしまって不安に陥ってしまうからかなと、現段階では思っています。

すごく簡単に言うと「自信がない」のだなと、今書いていて気づきました。

そして少し落ち込みました・・・。笑

では、「自信がない」ことはネガティブに捉えることなのでしょうか。

わたしの答えは「NO」です。

自信があるひとはとても魅力的だと思います。

堂々としているひとに憧れます。

(ちなみにわたしが素敵だと思っているあのひとも、自信があるとは限らないですよね。だって、わたしが見ている相手なんてほんの一部でしかないのだから。本当のところはそのひとにしかわからないもの。)

わたしも全てにおいて自信がないわけではありません。

自分の好きなところもあります。

でもついつい嫌なところに目を向けてしまいがちなのは事実です。

例えば、正確性と速さを求められる仕事を入社一年目はうまく回せなかったのに、翌年にはできるようになっていた場合、わたしは自分のことを褒めていませんでした。

それよりもさらに粗探しをしたり、もっと○○であるべきなどと決めつけて自分に課題を課す・・・。

できるようになった自分の努力は一ミリも認めず、うまくいかなかったことに焦点を当てる・・・。

さらには周りと比べて、自分にお尻をたたく・・・。

もっともっと努力しなさいーと・・・。

嗚呼、自分ごめんなさい・・・。と今なら素直に謝れます。

でも、「今でもその癖がひょっこりはんで顔を出す時があるのだ。」と番組を聞いていて思いました。

そりゃそうですよね。物心ついたときからそういうマインドでいたひとが、短期間で変われない。

気づいたときからでいい。少しずつ生きやすいい方向に進んでいければいい。

とても尊敬する方から「いいんですよ。わたしたちは揺らぎながら生きているのだから。」と言われたとき、涙が止まりませんでした。

過渡期にいるひとは、時に壁にぶつかったり、すごくいい状態になったり、いろんなことを体験します。

そうやってチューニングしながら「自分にとってちょうどいい」を見つけていくのだと思います。

だから、いいんです。今日は「昔のわたしひょっこりはんだわ!」って思う日があったって。

番組内でもいろんな自分の状態が顔を出していい。

そこを否定して、ごりごり前に進めようとするから自分がしんどくなってしまう。

過去を振り返った時、「あのときのわたしすごく強がっていたな。」とか「いいひとぶっているな。」とか、ぷぷぷって笑えるくらい軽やかでいたいです。

自信がない日があったっていいじゃないか。

そういう側面を見せたっていいじゃないか。

揺らぐ日があってもいいじゃないか。

わからない、うまく言葉にできないっていう気持ちを素直に出してもいいじゃないか。

そんな風に軽く軽くなれば、きっと過剰な恐れは薄まっていくのではないかと思う今日この頃です。

「ま、この考え方も変わるかもしれないしね〜。」ってくらいな感じで、自分に伝えてあげよう。

そして、傷つくことがあっても「わたしはあなたの味方だよー。」って自分に言ってあげよう。

「ちょっと甘いものとお茶でも飲んで、一服でもしますかね。」って、ご機嫌をとってあげよう。

甘いものは「値段やカロリーなど気にせず、食べたいものをさぁお選びなさ〜い。」って付け加えようっと。

ひひひ。

最後までお読みいたただきありがとうございました。

三十路女子研究所
つじり




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