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プロフィール

note は記事をプロフィールとして設定出来るんですね、知らなかった。
スキが多い人・フォロワーが多い人はしっかりとプロフィールを作りこんでるので僕もやってみます。

ただ最初は記事を書くのが面倒だから Facebook のリンクでも張っておけばいいやと思っていました。
しかし久しぶりに FB の「プロフィールを編集」に入ってみたのですが、なんだか古臭くて・・・

ということでnote専用の自己紹介記事を作成することにしました。

が・・・結果想定外の長編になってしまったので、サクッと知りたい方は、「現在」だけを、見てください。

またこれを見てほしいのは、note をきっかけに知り合った方々は当然として、仕事の関係者ですね。
特に金融機関の担当者さんは2-3年に1回ペースで、担当が変わってしまうので、ぜひ僕の人となりを知っていただきたいです。

現在

アンベル株式会社 代表取締役
2016年4月に会社設立。傘の製造/企画/販売に関連するOEMを主力事業として、現在5期目。過去4期は連続で黒字を出しています。

時々クラウドファインディング Makuake で新しいコンセプトの商品を発表しています。

傘業界では28年間仕事をしてます。(2020年5月時点)

一般社団法人日本日傘男子協会 理事
2020年3月に設立。猛暑日が年々増えていて、男性が躊躇するすることなく、日傘が差せるような社会を目指しています。

1973年生まれ、名古屋市出身、2児の父、愛車はミニのクロスオーバー、バス釣りが趣味ですが、最近は出かけるよりも寝ている方が好きです。

2016年の起業に至るまで

【ここからは長くなるので、本当に興味のある方だけ読んでください】

1991年 4月〜

高校卒業後、進学せず就職しました。
就職先は高校時代のアルバイト先だったパスタ店オーナーから紹介をしていただいた、大手自動車部品メーカー系の下請け工場。
当時は慣れない土地での寮生活がとても苦痛でした。
またその年は湾岸戦争勃発、バブル崩壊など、社会情勢が不安定だったのが印象深いです。
結果1年程度で退職してしまうのだけど、今思えば某自動車メーカーの「カイゼン」や「QC」を学べたことは今でも役立っています。

1992年 5月〜

MH社(あえて社名は書きません、現在は閉業)へ入社。
この会社は創業明治16年の傘の老舗企業。
当時は営業を募集していての中途入社。
傘が好きで入社したのではなく、人と接する仕事がしたかったのと、当時夜遊び好きだったので、名古屋の繁華街に近い立地というヨコシマな気持ちで面接。スンナリと合格してしまい、傘業界に入る。

「入社して三ヶ月は商品を覚えろ!」という昭和のノリで出荷業務を言い渡されたのですが、前職でのPC経験が評価され、出荷業務は実質一ヶ月程度。
その後は翌期の予算組み資料を作成をしていました。
試用期間を終え、大手量販店のサブ営業となり、週2回ペースで東京へ出張する生活に。

1990年代 中盤

サブ営業として紆余曲折し、のちに大手量販店のメイン担当になる。
しかし量販店はPBブームとライセンスブランドブームでした。
当時のMH社は傘メーカーではあったものの、企画が弱く、問屋色が強かった会社でした。
PB商品が受注できるメーカーは中国縫製工場とパイプが強い会社。
傘生地や傘骨の素材から企画提案や開発ができるのが最低条件で、問屋色の強かったMH社は当然ながら売上は低迷。(中抜き現状ってやつですね)
また当時はライセンスブランドブームでもあったので、売れるブランドを持っている会社はどんどん売上を伸ばしていましたが、MH社にはブランドもない。
そこで会社へは、「MH社は企画力の強化、中国縫製工場との直貿易体制を作らないと、売上が低迷します!」と提言したら、返す刀で「じゃあ、お前がやれ!」という流れで企画や仕入の担当に転向となりました。
ただ、これが傘業界に入ってからの転機で、自分は意外と企画立案、商品開発、素材探しをするのが好きなのだと気付いたときでした。

1990年代 後半

仕入業務で二ヶ月に一度ペースで中国や台湾などへの海外出張が増える。
時には韓国へ行くときもありました。
さまざまな工場へ訪問し、製造現場を視察。(現在累計では50社以上の100未満の傘工場視察をしていると思います)
モノを売るよりも、作る方が好きな部分を深める期間になりました。

2002年

2001年頃から世間でブームになっていた、ナノテクノロジー。
その技術を応用した ”強力撥水持続加工” の生地を台湾の大手生地メーカーと共同開発。
傘の不快な部分を改善し、水滴が簡単に落ちるという新しい付加価値を付けた ”機能傘” の入り口商品でした。

2007年 夏

ドイツ発祥の傘ブランドと日本総代理契約。
今までは量販店がメインの取引先でしたが、この商材を軸に専門店の新規取引開拓が進む。

2007年 秋

"風に強く壊れにくい折りたたみ傘" を開発。
当時の常識では「折りたたみ傘に耐風性能を持たせるのは不可能」という考えが一般的でした。

2008年

日本経済新聞 夕刊に "風に負けない傘" として2007年に開発したMH社の商品がパブリシティで紹介されます。
発刊後は会社の電話回線がパンクするほと反響が大きく、とても驚きました。
当時ネットショップもやっていなかったので、電話やFAXで注文を受け、手書きで送り状を書いて大変だったことが思い出されます。
今思えば、あれが ”高機能傘” のブレイクスルーだったと思います。

2009年

ジャンプ式の自動開閉傘に世界初の安全機構を搭載した傘を開発する。
特許モノでもあったので、お客さんから「売ってください」とお願いされることも多く、今までになかった販売チャネルへの開拓が進みました。

2010年

ニュージーランドの傘ブランドと日本総代理契約、風速32m/sにも耐える構造で、耐風傘のトップブランドに。
また単なる代理ではなく、商品開発にも参加。

2013年 春

有名工業デザイナーと日本総代理契約、特徴的なデザインで当時はGoogleのCMやNHKドラマの小道具としても採用されました。

2013年 春〜夏

対決バラエティ『ほこ×たて』より出演依頼があり、放送に向けての商品を準備、予告編の放送まで進んだものの、他の対決でやらせが発覚し、番組がそのものが打ち切りに。
あまり人前に出るのが得意でない私は、ある意味ほっとしました。

2013年 夏

台湾製の完全遮光生地を開発。
当時の遮光生地は高額な日本製生地しかありませんでした。
台湾で製造することで、生地単価を大きく下げることに成功しました。

2013年 秋

今だから言える話で、後述するM&Aの話を当時の社長から聞かされ、M&Aの準備に着手。
その時社長は体調不良で、平の部長の私がデューデリジェンスなどもに関わるなどし、大変に気を使う日々でした。
社内の人には当然誰にも言えない話なので、この期間は辛かったな・・・

2013年 冬〜2014年 春

同業で、まあまあの規模の会社が2社続けて倒産や廃業に。
旧来型のビジネスモデルはほころびが出ており、危機感を感じた年でもあります。

2014年 4月

Y社とM&Aをし、Y社の100%子会社になる。MH社の取締役は総退陣となり、役員以外の上層部として残った私がMH社の取締役に。
子会社になって初めて知ったのですが、M&A前のMH社は、為替デリバティブの損失で債務超過に陥っていました。
前役員はそんな失態をオープンにせず、とにかく売上を作れ的な施策でしたから、そりゃ経営は上手くいかないですよね。
MH社に限らず、当時の中小企業はメガバンクから金融派生商品を押し売りされ、破綻というケースはかなり多かったようです。

2014年 11月

親会社のY社と合併。M&A当初は株主が変わっても会社は存続すると聞いていたのですが、その約束が反故に。(何故かは後述します)

2015年

99gの超軽量折りたたみ傘を発表、大ヒット商品に。

2016年 2月29日

Y社が突然の破産(正式な破産申請は3月上旬に行う)。
結構バブリーな会社だったので、破産と聞いたときは「ウソだろ?」っていう思いしかなく、ただただ驚きしかありませんでした。
実際このY社は粉飾決算をしていたようで、債務超過のMH社を買収・合併することで、その粉飾をうやむやにしようという目論見があったのだと思います。
しかし粉飾をごまかすための買収なら純資産が多い会社を買うのがセオリーだと思うが・・・
なぜ倒産に至ったのかの財務的な全貌は私でもわかりません。

2016年 3月上旬

ここから僕は失業者になるのですが、この時期は梅雨に向けての商品仕込みが完了しているときで、OEMを受諾していたお客様より、「商品をなんとか滞りなく納品してほしい」「今更転注してもレインシーズンに間に合わない」と多数の緊急ヘルプ要請を受けます。
倒産して迷惑をかけた負い目もあり、なんとか納品出来るようにスキームを考え始めます。
結果、商品を仕入れるにも納品するにも会社という「箱」が必要ということで起業を決意。
同業からの転職オファーもありましたが、今思えば起業して正解でした。

2016年 3月中旬

早速 起業準備に取り掛かり、失業中ではあったものの、中国やニュージーランドの取引先へ訪問し、引き続きの取引をしてもらえるよう、お願い行脚の旅へ。
この時の取引先の温かい対応は今でも忘れません。
みなさんに言われたことを総じて言うと

「傘業界に長くいて、これからも傘業界で食っていくつもりなら逃げも隠れもしないだろうし、辻野が起業するなら応援するよ」

と言われたのは印象的でした。
この時ほど、一つの仕事を長くやっていて、良かったと感じたことはありません。

2016年 4月 アンベル株式会社設立

Y社時代に発注していた商品と顧客を結びつけるため、アンベル社を正式に設立。
Y社が倒産するまでは、起業なんて全く考えていませんでした。
以前の会社では役員という立場ではあったものの財務的なことには全く関わってこなかったので、この頃の会社経営開始時にはかなり戸惑いがありました。
しかし、前に進むしかない状況に追い込まれると、人間は何でも出来るのです。

長々とすみません。気がついたら4000文字を超えていました。
これが私が傘とともに歩んできた歴史です。

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