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サロン乗る場のつくりかた【メンテナンス】

「サロン乗る場のつくりかた」シリーズ、ついに最終回です

公演前からスタートし、公演も終了する事はや数か月。およそ4か月にも及んだこのシリーズもついに最終回です。ここまでお読みくださった皆様ありがとうございます!
最終回はその名も【メンテナンス】
今回は公演期間中に起きたこの出来事についてレポートします。

きっかけはちょっとした違和感


記録をお読みいただいてもわかるように「サロン乗る場」はそれぞれのセクションを担当してくださっていた演出家のみなさんはご自身の仕事と他セクションがどう共存しているかの実感がないまま公演期間に入っています。
そのため、公演期間中のどこかで完成版を体験して頂ける形にしていました。

3月某日、聴覚をご担当頂いたカゲヤマ気象台さんがご来場のくださった時の事です。
「演劇っぽさが強くなってる」
「各セクションがはっきりして、それぞれの重なりが濃くなってますね」

もちろんカゲヤマさんは感想として述べていただけで、ネガティブな意味で言っていたわけではなかったのですが、これらの言葉が、実はその少し前から私自身が感じていたモヤモヤを直視するきっかけになりました。

メンテナンスが必要だ!

ちょっと違うなと感じ始めてから早数回。でも上演って日によって変わるものだし、もう少しこの流れの行方を見守ってみよう、と思っていたのも事実。しかし、その手触りがなんというか変わってきた。
「…なんかこの感じ、知ってるぞ?」
例えば、商業演劇など公演期間が長期にわたる場合、作品の質を維持することってかなり大変な事なんだと思います。上演という留めておくことのできないメディアでありながら、同質性を保持する。毎回が違う事でありながら結果として同じ出来事が立ち上がらなければならない。この矛盾した状態を実現するために、俳優はそれぞれに色んな工夫をしてると思います。
それが私に至っては、このささやかな魔法のような作品を毎回立ち上げられなければいけないという思いから、一つ一つの演技を自分自身にも掴みやすいようにはっきり行うようになってしまっていたんですね。振り返ると。で、それは今回に限らず自分が演劇の稽古や公演のときに何度も感じては、その度に「演劇的ではないことだ」と、立ち向かってきた感覚でもあったはずでした。
先のカゲヤマさんの感想は、無意識にそういった方向に流れ始めていた自分にすごく刺さった。
「こりゃやべえな」
なぜなら、コンセプトに振り切った演技こそ、この作品にはふさわしくないからです。作品の本質を自らが損ねている。
わたしは慌ててふるまい担当の渋木さんに連絡をとりました。
幸いにもすぐにメンテナンスの稽古をさせてもらえることに。
少しサロンから離れた方が良いかもな、と直感して、場所は近くのおぐセンター

さあ紐解いてみましょう

渋木さんと待ち合わせたのはサロン開店前のお昼時。おぐセンターのカウンターに並んで二人で話を始めました。この数回、いったいどんな風に変化していたのか。
なんだか上演の手順がマニュアル化している。普通のつじこ、を演じてしまってむしろそれは普通のふるまいじゃなくなってる。など。近況報告を一通り終えた私に、渋木さんはさっそくこんな観点から話しかけてくれました。
「サロン乗る場の最終目標ってどんなでしたっけ」
もう正直その問いかけだけで何かがほどける気持ちでした。
どうしてあんなに準備したはずなのに公演が始まった途端、自分のフォーカスは演技の仕方に収斂してしまうのか。俳優としての未熟さ。
身体が癒されるだけではない、自分自身の輪郭を再発見すること。サロン乗る場でのリラクゼーションはそう定義していたはず。そしてそのリラクゼーションを提供するためにサロン乗る場にいるのはセラピストではなく「分け師」という架空の職人。心と身体が日々の緊張から解放される時間を提供するために用意してきた色々をあらためて思い出しました。
五感セクションの演技にはそれほどブレを感じていなかったのでそのままにしつつ、セリフや演技になりすぎているふるまいについては引き算する。
まず衣裳を身に着けることで「その気」になってしまっている可能性があるので衣裳として身に着けていたエプロンは無くしてみる。
それから、セリフとして言葉が決まっていた箇所については一旦そのセリフを外してお客さんとの会話ベースに戻す。
なにより、針を振り切らない態度がこれらの演技にとって最も重要なポイント。決め直したからといって、その修正にさえ囚われてはまた同じ事になってしまうからです。

「わかられにくい」というプレッシャー

それにしても、時間経過や上演を繰り返したという理由はあるにせよ、なぜ変化は加速したのか。
その一つに「集客のための言葉」を自分が編み出し続けていたことがありました。ご存じの通り上演作品はお客さんがいなければ成立しません。サロン乗る場も同様に、お越しいただかなくては。
とはいえ、この作品自分で言うのもなんですが、とってもわかりにくい側面がある。
リラクゼーションサロンの形態をした上演作品って…
そもそもお店だって、初めてのセラピストの施術受けるのだってリスキーなのにそれが演劇だっていうんだからハードル高すぎるわけで。この作品や自分の試行をどうやったらまだ会ったことのない人たちに届けられるか。
どのくらいわかりやすい言葉で説明できるか、公演期間が始まってからもかなり四苦八苦していました。
加えて、全ての演出を油断すると消えてしまうようなささやかさにしている事で、もしかしたら気づかれないまま終わる、あるいは「わかりにくかった」と思われて終わるだってあるだろう。
そうなっては申し訳ない。どうしたらほどよくわかってもらえ、そのわかりみを楽しんでもらえるだろう。
日々お客さんと対面する中で、次第にそういった自分の中の不安に対処する振る舞いが芽生えていたのだと思います。演劇作品である以上、スペクタクルへの期待を裏切りたくない、そんな事さえ考えていたと思います。
しかしそうしてしまうと、上演の設えを理解してもらう事はできたとしても、その中で起こりうる固有の体験を受け取りにくくさせてしまう。振り返ってそんな反省も出てきました。

つじこさんにももみほぐしが必要だ!by渋木さん

話をメンテナンスに戻すと、つまりコンセプトを何度も語り直してきたことで、自分が作ったはずのサロン乗る場というフィクションに溶け込んで自分自身が輪郭を失いかけていたんですね、きっと。
言葉で語っている方をだんだん信じ始めてしまって、今度は語っている内容に自分を寄せていこうとしてしまっていた。これは「売る」と上演を一人で同時に行っていたためにわかりやすく表れたことかもしれません。
ちょっとしたハレを提供するはずのサロンが、いつの間にか私にとってケになっていた。没入していることにすら気づかなかった。気づけたならばそのフィクションから降りなければ。
いずれにしても、その時の私自身がまさにサロン乗る場が定義するもみほぐしを必要としていたのは間違いない。苦笑い。

もみほぐしっていいものですね…涙

もみほぐし、とは言ったけれど何ももみもみしなくたって
ほぐれる事はあります。
おぐセンターのカウンターで、わたしは渋木さんとの対話の中で自分の輪郭を取り戻し、すなわちすっかりほぐされたわけです。
エモーショナルな事を言ってしまうと、対話中、「ああ」自分はここにいるな、ほぐれたな。と感じたその瞬間、ふいに涙がこぼれていました。
ただ等価交換として行うサービス提供がしたいわけじゃない。この「ああ」とまさに感じるその瞬間のためにサロン乗る場をやっていたんだ。
その「ああ」は人によって手触りや味わいが違うものかもしれません。
その皮膚の内側で起きていることを、本当の意味で知ることはできません。
私にできるのは他人の体に触れたりその「ああ」を想像する事だけです。
でも、だから、演技という一つの技術を通じて、触れえないものを触れることなく動かせるように私はなりたい。この人の中に今「ああ」が起こった気がする、たとえそれが想像だったとしてもそう思えることそのものが私にとってうれしい。という現実は生まれる。

批評が出ました!

メンテナンスの後も数回の上演を重ね、3月25日の20時、無事にすべての回を終えることができ、その後
ローチケの「演劇最強論-ing」<先月の1本>にて批評家の植村朔也さんに「サロン乗る場」のことを取り上げていただきました。
この文章は渋革まろんさんのポスト劇場文化論に対する批評から始まっています。植村さんのこの一年の批評活動の総括やポスト劇場文化論を経、「その手のもとに劇場はある」の章で締めくくられるこの批評文は、接客部分が上演として捉えられがちだった今作の本質を見事に表してくださっていると感じ、本当にありがたかったです。また、このもみほぐしと演技の探究のかなり初期に渋革まろんさんに「言い続けたところに新たな概念は立ち上がる」と言っていただいたことは、この活動を続ける大きな原動力となりました。この場を借りてお礼申し上げます。
実はサロン乗る場には、前回の「乗る場のもまれ処」に対する植村さんの批評へのアンサーソングみたいな側面もありました。こうして再び取り上げて頂けたことは、単純に批評を受けるという経験に留まらず、見てくれる人との共同を自分が真剣に考えるきっかけになっています。


ネクストほぐしばい!

演技ともみほぐしの相互関係の探究。これまでは「もみほぐしに見えるが実は演技」という方向を深めてきましたが、今度はいよいよ「演技に見えるが実はもみほぐし」という方向に伸びていきます。
見ているだけで体がほぐれる「ほぐしばい」
そんなものが一体可能なのか?やってみないとわかんない。
そんなわけでほぐしばいのネクストは、
円盤に乗る場presentsのイベント「NEO表現まつり」で朗読作品を発表します。その名も「ほぐしばい~実話怪談編~」

怪談って体にクるよな、実話怪談ってほぐれるかもしれないという直感を得た辻村が乗る場メンバーに実際にあった「いまだによくわからない話」や「ある事にまつわる固有の感覚」を取材。執筆に柿内正午さんをお迎えし、伝言リレーのような形で上演テキストを立ち上げました。
さらに演出協力を、浅倉洋介さん(俳優)田上碧さん(歌手)中尾幸志郎さん(散策者主宰)涌田悠さん(ダンサー)という、それぞれ異なるジャンルで言葉と体に取り組んでいらっしゃる方々にお願いし、稽古を重ねます。

🛸イベント会期🛸
2023年6月23日(金)〜25日(日)
(「ほぐしばい~実話怪談編~」は
①23日13時~15時の間
②25日13時~15時の間
③25日18時~20時の間
※24日の上演予定はないのでご注意ください)

🛸イベント会場🛸
円盤に乗る場
おぐセンター2F
サロン梅の湯
(「ほぐしばい~実話怪談編~」の会場はおぐセンター2Fです)

🛸イベントチケットのご購入はこちら🛸
円盤に乗る場 | Peatix
🛸イベントHPはこちら🛸
NEO表現まつり | 円盤に乗る場presents (noruba.net)

乗る場に参加する様々なアーティストの表現が見られるお祭りです!ぜひ遊びに来てください!


またね~!!

では、本当に長くなりました。これで「サロン乗る場のつくりかた」はおしまいです。読んでくれてありがとうございます!
多分、きっと「ほぐしばい~実話怪談編~のつくりかた」とかいって創作プロセスのレポートとか書いてる自分(そして書けなくて唸る様)が容易に想像できますが、ひとまずこのへんで!また~!

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