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【日記】 8月10日 久々の再会で感じたこと


最近、何年も会っていなかった人と約束を取り付けて会う機会が2回ほどあった。

高円寺の小さなビストロで出会った料理人見習いのお兄さんは、今は銀座の人気店でシェフをしていた。出会った頃は3歳だった男の子は、小学校6年生になっていた。

変わってしまった部分と変わらない部分が混在している。社会的な立場は変わっていても、核になる雰囲気は皆あまり変化がなかった。

たまに行く同窓会でも同じようなことを感じるから、きっと皆そうなんだ。だから久しぶりの再会でも、すぐにいつかの続きみたいに仲良くできる。

こんな風に久しぶりの友人と再会して別れた後、いつも思うことがある。10年前の私はこんな風に再会するなんて夢にも思わなかったよねって。

日々生きていると、目の前のことに必死で、中々後ろも振り返られない。けれど、良くも悪くも自分がやってきたこと、出会ってきた人たちの思い出や記憶はちゃんと残っている。

自分の未熟さのせいで、仲良くできそうだったのにそれが叶わなかった人もいた。反対に、ひょんなことからするすると仲良くなって、物理的に距離が離れても、未だに連絡を取り続ける人もいる。

以前、高名なお坊さんの説法をYouTubeで見た(凄い時代だ)

その中で「縁が切れるというのは、その人との関係の中で勉強することが無くなったということ」と言っていて、最近それが頭からずっと離れない。

誰かとの出会いは海の満ち引きに似ている。近づいたり離れたり、グラデーションを描きながら、私たちは関係性を積み上げる。

今は物理的な距離イコール今生の別れにはならなくなった。いつでも連絡が取れ、近況を知ることができる。

それでも、そもそも出会って言葉を交わし、何か行動を共にしたことが奇跡的だということは何も変わりがない。

今出会った人との縁を、私はこれからどれだけ大切にしていけるだろう。

久々に動き出したLINEのトークルームを眺めながら、そんなことを感じた。

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