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感想*『Remain』

 16万いいねされた可愛い動物動画だって、私のタイムラインには流れてこないことがある。Twitterというのは、常に情報過多な上で、それなのに流れてくる情報はものすごく偏っていて、しかも見る分にはかなり受け身になりがちなツールだ。だから、どんなにバズッたツイートも、知り合いの中でなぜか自分だけは見ていなかったりする。そうすると、ものすごくタイプな絵を描くイラストレーターさんの作品が私の全く知らないところで愛されていて、けれど私には一切見つけられないことも珍しくない。

 淵゛さんも私がずっと見つけられていなかった「私の知らないところで愛されていたイラストレーターさん」のひとりで、「にわかファン」の私は、お名前を「ぶちさん」と読むのを三週間ほど前に知ったばかりだ。触れられそうな質感のある世界の中に、美しい光を描く方だなあと思った。

 先日のCOMITIA130で、新刊『Remain』を購入した。家に帰って一度読んで泣き、また何度も前からめくっていってはじんわりと泣いて、今も感想をまとめるために読み返してじんわり来ている。覚書なので、体裁がとっちらからないよう、書くことをひとつに絞って感想を書いていこうと思う。

 『Remain』の中には「生と死は等価値」というタイトルのイラストがある。Twitterにも投稿されているので、未見の方にはぜひ見て欲しい。穏やかな表情で目を伏せた少女が、アパートのベランダ、欄干の上を歩いているイラストだ。ノスタルジックと言ってしまうと乱暴だが、描かれた路地はどこか懐かしくて、でも少し遠く見えて、なのに世界に直に手が触れているような近さがある。この、この絵と添えられたこのタイトルが、刺さりまくって、御本のあとがきも相まって私はボロボロ泣いてしまった。

 知り合いに「死にたい」というような、そういう部類のことを真剣に言ってしまった経験のあるひとは、この世に溢れていると思っている。そういうひとは大抵、「死ぬな」とか、「そんなこと言うな」とか、「死」を抱いたあなた自身のこと、そして「死」そのものを否定されるのが普通じゃなかろうか。それはまっとうな愛だと思う。だって、そんな馬鹿なことを考えるのはやめて、あなたに生きて欲しいから。けれど、そうすると、「死にたい」と思ったことが罪のように思えて、「死にたい」と思うように生きてしまう自分が罪を犯し続けているように思えて、苦しくて、苦しいので手一杯なのに、自分が苦しくあってしまうことが悪のように思えて、毎日罪状が更新されていくことになる。愛ある否定は、倫理的で正しくて、けれど正しくあろうとする人には、ものすごく厳しい。

 「生と死は等価値」という言葉は、そして目を伏せた少女の微笑みは、そうして正しくあろうとする不器用な人間の苦しみを、ずうっと軽くしてくれるものだと思う。「死ぬな」と言われるよりもずっと、「どちらも同じ重さなのだ」と言ってくれるなら、あわいにいる彼女が微笑んでいるのなら、ああなんかこれからもふらふらはしてしまうだろうけど、それでも綱渡りのように人生を歩んでいけるような気がするな、と、私は身体がずっと軽くなった。結局私の話をしていて恥ずかしい。でも、覚書なのでいいのかもしれない。

 私は生きづらい世界だなと思って今も生きているけれど、こういう作品を生み出して発信してくれる人がいる宇宙なら、ここがそういう宇宙なら、なんかまだ生きていける気がするかも、と思う。淵゛さんが描き出して守ろうとしている世界は、ご本人が予期していないかもしれないところで彗星みたいに眩しく優しく降り注いで、確かに私みたいな人間の心を救っている。そういう世界に寄り添っていたいし、そういう世界を描いてくれる人に存在し続けて欲しいな、と思う。ご本人の知らないところで長々とこういうことを書いているのってちょっとしたホラーだけれど、ほんとうにそう思いました。どうかそこに居続けてください。


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 『Remain』通販ページへのリンクを貼ってしまいますが、大丈夫だろうか……。こっそりと消していたらすみません。

https://qooo00fragile.booth.pm/items/1700648