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バンジーを飛んだ日

2022年8月某日。その日は決戦の日だった。

ここでいう決戦とは、一ヶ月ほど前に勢いで予約したバンジージャンプに挑むことをいう。見届け人 兼 撮影担当の妻との休みが合う日がこの日しかなくて、「行こう!」と思った日からかなり日が開いてしまった。
前日は「本当に飛ぶのか?」とドキドキとワクワクで眠れなかった。それこそ小学生の遠足前、巌流島の決闘前、の感覚に似ていたと思う。

バンジーを行なっている会場までは車で向かう。車内では平静を装っていたが、内心は緊張が止まらなかった。妻には悪いが、道中の職場の愚痴などは、一切私の耳に入ってはいなかった。私は妻の言葉尻に併せて適当な相槌を打つおもちゃと化していた。

バンジージャンプの受付に着くと、そこにはもう既に飛んだと思われる大学生くらいの3人のメンバーがいた。3人ともゲッソリとした顔をしていた。そこに、笑顔は、ない。

受付のお姉さんが彼らに身につけられたハーネスを外しながら、「どうでしたか? もう一回飛びたくなりましたか?」きゃぴ☆ と言った。3人ともが互いに目を合わせると、再び節目がちになって、ゆっくりと首を横に振った。飛んだ時のことを思い出していたのか顔を引き攣らせていた。

おいおいおいおい。若者でもそんなんなるんかぃいいい。
帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい。
ノリでバンジーを予約した日の自分を恨んだ。

心中はそんな状態でも、ポーカーフェイスの私だ。
「お兄さん初めてですか?バンジー怖いですか?」きゃぴ☆と聞かれても、まるでバンジーには興味もないというような顔を作って「まあ、余裕っしょ」と返した。言いながら、唾を飲み込んだ。さすがにきゃぴ☆、とはならなかった。

きゃぴ☆姉さんはそんな調子ながらも、テキパキとバンジーの準備を進めてくれた(テキパキとしなくてもいいのに!)。誓約書、保険の加入、ハーネスの装着、飛ぶ時の注意、飛んだ後の引き上げ方法など、もう何百回とはしたことがあるであろう説明をハキハキと分かりやすく行ってくれた。

ハーネスをつけてもらう。
お姉さん、しっかり頼むよ!

お陰で、あっという間に飛ぶ時間となった。受付から実際にバンジーを行うところまでは少し歩いて移動しなければならない。
私が予約した時間にはもう一人女性の方もいた。1番目に飛ぶのは彼女になった。バンジー台までは彼女と話しながら歩く。

私「いや~怖いですよね~ドキドキしますよね~」
女「え? そうですか? 私、飛びたくて飛びたくて仕方なかったんですよね☆」
いや、☆じゃねーわっ! この子、真性のスリル狂じゃんっ!

実際、スリル狂の彼女は私が見る限り、見事なジャンプを見せた。姿勢も綺麗だったように思う。わーとかきゃーとか言って笑いながら引き上げてもらっていた。(この人、余裕だ……!)

私は彼女と一言交わしてからジャンプ台に行きたかった。いま飛んだばかりの彼女に勇気の出る声をかけてもらってから飛びたかったのだ(参考にはならないかもしれないが)。
だが、手練れのインストラクターは鬼畜だ。ジャンプ台に構えるお兄さんは「はい、次の人~」と言って、彼女が帰って来る前に私をジャンプ台へと誘導した。

妻にジャンプの瞬間を撮影してもらうため、私のiPhoneを手渡す。動画にでも残さなければ、このジャンプ、割りに合わねえ……! 私は、ふぅ、と軽いため息をついてジャンプ台へと歩き出した。

お兄さんに連行される、私。

ジャンプ台の先端に立つと、想像以上に高さを感じた。
サスペンスドラマなどで橋から川へ落ちるスタントシーンを見たことあるが、普通に◯ぬやろ。助からんだろ、これ。
と、フィクションはやはりフィクションであるという当たり前の定理に気づく。

ここに立つと本当に怖い。

先端に立った私の後ろでインストラクターが私に指示をする。
「腕を広げてね~」指示の通り、私は腕を広げる。
「つま先もう少し出して」つま先をジャンプ台から少しはみ出させる。怖い。つま先をはみ出させる意味ある?まあいい。と、もう一息つこうとした瞬間。
「はい飛ぶよ~」飛ぶ⁈え!心の準備ってものが……!?
「はい数えるね~」か、数える!?
「ごよさにいち…はい!」はい⁈

「………〜〜んんぐんぐぐぐんんんんんんん〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!」


はい!の掛け声に私は飛んだ。あのインストラクターの高速のカウントに思わず飛んでしまった。
その後悔の次に襲いかかってきたのはG。すなわち重力だった。正確には自重×G×加速度 。身体の重さに比例して落下の速度はグングン上がった。

落下、というのは思った以上にスピードが出る。スピードが速くなればなるほどに視界が狭くなる。橋の上から見た川は、絨毯のように大きく広がっていたのに、落下中はそれが点に見えた。もはや私は何に向かって落ちているのか分からなくなっていた。空気が通りすぎるスピードが余りにも速いため、もはや呼吸はできない。吸いたくても、吸えない。

苦しい…! ふんぐぅ…! と変な声が出る。

その次の瞬間、ぐぃぃぃぃいん! と身体に巻きつかれたハーネスに沿って、身体に衝撃が走った。
ついに最落下点まで到達したのだ。

バンジーのゴムの跳ね返りによって、私は再び宙を舞った。しかし、それにはもう恐怖を伴わなかった。
「私はハーネスによって守られている」。
そんな確かな安心感が、物理的にも精神的にも私を包んだ。

何回かのバウンドを繰り返し、ついにゴムも伸びきって、ただの宙ぶらりんに状態になる。その時、やっと私は繭から蝶が孵化するかのように両手足を広げた。「気持ちいい~」などと、先ほどの恐怖心なんてなかったかのように呟いた。無論、ぜんぜん気持ち良くなんかない。

ここで「気持ちいい!」みたいなことを言っている。

飛んだ後は楽なものだった。
飛ぶ前に教わった手順を踏んで、上から引き上げてもらう(宙ぶらりんの状態で、ちょっとした作業が必要)。橋まで引き上げてもらうと、インストラクターさん達がナイスジャーンプ! と拍手と歓声で迎えてくれた。
まだ恐怖と興奮の狭間にいた私は、ウィー! ウィウィーウィー! などと、わけのわからない言葉で返したように思う。

たった数分前には足は地面にあったというのに、ジャンプ後に降り立った地面は変な感じがした。うまく足に力が入らない。ガクガクと、周りの人に分からない程度に足が震えた。これが恐怖を感じた者の身体反応なのだろう。

 ジャンプ台から受付に歩いて向かう道中、妻に感想を話しながら、私は一種の無敵感を得ていた。

「今の私なら、なんでも出来る」。

誇張ではなく、本当にそんな感覚があった。
そもそも私は何をするにも躊躇する人間だった。
チャレンジする前にチャレンジ自体を辞めてしまうような人間。

今回のバンジーだって、ジャンプ台に立たされた瞬間、恐怖で逃げようと思った。だけど、インストラクターさんの速いカウントが私の足にジャンプをさせた。

人生の選択というのは、バンジージャンプのようなのかもしれない、と急に悟る。Aという道に飛んでも、Bという道に飛んでも、その先の幸福は保証されていない。一度飛んでしまえば、もうなるようにしかならない。
ならば人生は、飛ぶことが大事なのではないか。時には思考を停止して、あの速いカウントでジャンプしてしまうことが大事なのではないか。

今なら飛べる。私なら、飛べる。そんな無敵感があった。

…などと、私が感慨深く考えていると妻が申し訳無さそうに声をかけてきた。

「あのさ」
うん、どうした?

「バンジージャンプの動画を、ちゃんとiPhoneで撮ってたんだけどさ」
うん、ありがとう。上手く撮れた?

「それがね、まさに飛ぶ瞬間ってときに手が滑ってさ……」
うん?

「飛んでる動画、撮れなかった。最後、宙ぶらりんになったところしか撮れてない。そして私も見れてなかった。…ごめん、もっかい飛んでくれん?」

ふんぐぅ…!

変な声が出た。もちろん、飛ばなかった。

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