強迫性障害とうつ病 病気に対する態度について

私は強迫性障害とうつ病で、薬物療法とカウンセラーとの曝露反応妨害法と別のカウンセラーとのゲシュタルト療法に取り組みました。現在は治療終了してます。

病気の最中は特に加害恐怖が強く、恐怖のあまり食事を十分に摂ることが出来ずに身が削られるように痩せしまいました。当時は死んだ方がマシだと思っていました。

でも絶対に負けたくないとも思っていました。人の真価は苦境に立たされた時に分かるものだからです。今がその時だと考えていました。心の支えとしていたのは態度価値と言う考えです。

精神科医、心理学者のヴィクトール・フランクルによれば人間が実現できる価値は創造価値、体験価値、態度価値の3つに分類されるそうです。態度価値とは、病や貧困やその他様々な苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ(体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が人間に残されていると言う考えです。

どの様な苦境にあっても人間らしい尊厳のある態度を取り続ける自由があります。

強迫観念に怯え、うつで自分の存在の小ささに震えている時もこの辛さから解放されて幸せになれるんだ、治療に取り組むんだと歯を食い縛っていました。病気の最中でも人を呪ったりせず、冗談が言える人間になりたいし、そう言う人間なんだと信じていました。

態度価値について考える時、亡くなった母方の祖母を思い出します。祖母は静かだけど茶目っ気がある可愛らしい小さな女性でした。酒席ではカチャーシーの様に両手を上げて上手に踊り出す様な所もありました。私は立ち会えなかったのですが臨終の際、祖母は「おじいちゃんのとこへ行ってくるね」と笑って息を引き取ったそうです。立派な態度だったと思ってます。

精神疾患は自分で自分の精神のコントロールが出来ない事があるので態度価値のお話しは少し酷な所があります。とは言え、病気に対する態度を決めることは出来ると思ってます。

病気に負けて欲しくないです。病気なんかより私達の方が大きい存在です。

態度価値に関してはウィキペディアから文章をお借りしました。ご興味があり方は検索ください。

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