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瀬戸内に潜る 出逢う 2日目 <地中>

はじめに

言語以外の芸術について言語を用いて表現するというのは可能なのだろうか。
そう思うことがある。

以前若いピアニストが「音楽については言葉でなく演奏で語りたい」と話していたからかもしれない。

難しさは「正しく表現できない」ことにあるのではなく、「自身が感じた感覚を人に伝えることで、その人の初体験におけるperspectiveを方向付けてしてしまう恐れがある」ことにあるのだと思う。そもそも芸術の表現において「正しさ」はない。

例えば、とある絵画について「この作品はとても良かった!特に彼の晩年の作風には感じられなかった初期の頃のような若々しさがあった」という感想を目にした後で初めて作品に触れたとしたら、その時僕たちの頭の中にはどうしても「どこが他の晩年の作品と違うのか」「若さや新鮮さ、エネルギーのようなものを感じるところはないか」という前提を持って作品と向き合ってしまうのではないだろうか。
これらの先入観を完全に排除して、作品そのものと向かい合うことは非常に難しいのではないかと思う。

その意味で、これから記そうとする僕なりの地中美術館での体験は、あくまで私的なものなんです。
僕にとってはとても意味のある体験だったけれど、読み手の皆さんにとっては全く賛同できないものであっても構わないし、今後皆さんがこれらの芸術作品に触れる機会を持ったときには、その人なりの色とりどりの受け取り方をされることが自然だと思う。
それが僕の願いであり、それぞれの作品に対する僕なりの敬意の表し方だと、そう思っている。

安藤忠雄による「地中に埋められた美術館」

直島における安藤忠雄建築の最高峰とも言える美術館、「地中美術館」。
実は地中美術館にはシンプルな3つの作家の作品しかない。

クロード・モネ、ジェームズ・タレル、そしてウォルター・デ・マリア。

僕自身は正直に言ってモネ(というか印象派)が好きではなかったし、タレルやマリアのことも、10年前に初めてこの地中美術館を訪れるまで全く知らなかった。
他の場所でこれらの作家の作品に出会ったとしてもここまで大きな感動を得ることはなかったように思う。
ただ、地中美術館で出会ったこれらの芸術家たちの作品は、僕の記憶と身体に衝撃を刻むような感動を与えてくれた。

それほど、地中における芸術は素晴らしかった。


安藤忠雄は直島の自然を損なうことなく美術館を作るために、美術館全体を地中に埋めるという解決策を見出した。したがって、地中美術館は外からは見えない。その姿のほとんどを地中に隠しているからだ。

有名な「住吉の長屋」「光の教会」然り、彼の建築作品においては常に“制約との戦い”があり、その工夫こそが彼の作品の卓越性を生み出しているのだと思う。そこには元ボクサーである彼の不屈の闘争心のようなものが垣間見える。
直島においては、それが“自然との共生“だった。

地中美術館の天井には多くの開口部があり、自然光をふんだんに採り入れる仕掛けがなされている。外からは美術館を認識できないが、中からは自然を完全に認識できるのだ。

地中の世界へと誘うプロムナード

地中美術館のチケットセンターは美術館から離れたところにある。

チケットを買ってから美術館に入るまでの間にしばらく外を歩くような作りになっていて、この時間こそが、入り口から地中の世界観に没入できる仕掛けとなっている。

チケットセンターから地中美術館までの間にはモネの睡蓮をイメージした池と庭園のようになっているちょっとした小径がある。ここを通りながら僕たちは作品の世界へと誘われていくのだ。
モネが描こうとした光、彼が見ていた色はどんなものだったのだろうか。
過去へと思いを馳せつつ、僕らは一歩一歩長い坂を登っていく。

“地中の庭”と名付けられたモネのガーデンを抜けると、いよいよ地中美術館のゲートへ到着する。
入り口には高くそびえるコンクリートの塀があり、その先には狭いトンネルが続く。
トンネルは剥き出しのコンクリ(安藤建築らしい)と自然光のみが存在しており、どこか神秘的にすら感じられる。

そのトンネルを抜けると突然青々とした芝生のような緑の空間が広がる。

灰色と白の世界から突如飛び込んでくる緑の鮮やかさに目を奪われ、その光景が、これは人工物、作品だけを集めた美術館ではない、“自然のmuseum”なのだ、ということを教えてくれるようだった。

緑のエントランスを抜けるとショップがあり、その先にいよいよミュージアムが広がっていく。

今一度深呼吸をして軽く目を閉じ、目を開けて、深く伸びていく廊下に目をやる。

地中の世界に、潜ろう。

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