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八幡水力電気株式会社について①
口明方地区の山裾に、昔の小水力発電の発電機が放置してあることをFBにて、ご報告しました。保存するための活動をしていこうと呼びかけたわけですが、駒田さんより、メッセージを頂きました。
以下、メッセージの冒頭
私は先祖調査の一つとして、「八幡水力電気株式会社」について、ネット(SNS含む)、文献を通して調べておりました。
調べている中、本年3月30日の小森様の投稿を拝見し、この2020年の今、
八幡水力電気株式会社について②
さて、2回目。
岐阜県史 史料編 近代3 第3章 鉱工業の振興 第7節 電灯」 P.749〜752より抜粋。
乙姫滝の発電所ができることになる顛末が書かれています。
此鉄道(明治廿九年頃金城鉄道=越美南線北線のこと)の設計は、澁沢、大倉等実業家の賛成得て、工学博士渡邊嘉一氏其局に当り、沿線の町村民も大に意気込みて奔走し、金沢市の有力家も共に力を添へたれども、中々実行さるる機運に致らず、水野氏此
八幡水力電気株式会社について③
大岡氏について。
かくて、大岡氏の尽力にて工事間もなく落成して試験送電をなせるに、機械の不良なりしか、据付の不完全なりしか、発電所内に線香の如き火光を発するのみて、二三日試験せるも容易に電灯らしき光力を発せず、大岡氏の曰わるるには、水車にリングベルトを用ひしかば、其為めならんとて色々工夫を凝したるも面白からず、其翌朝早く大岡氏の旅宿を尋ねて、更に意見を聞かんとせるに、宿屋の女中曰く、大岡さまは
八幡水力電気株式会社について④
乙姫滝の水力だけでは、雨量の多い時年間1~1か月半しか発電できず、
石炭火力の動力を入れて、運用されました。
「岐阜県史 史料編 近代3 第3章 鉱工業の振興 第7節 電灯」 P.749〜752より抜粋の続きから
かかる不完全なる機械を運転しながら、開業後四十年の拡張まで九ヶ年間、初めの二ヶ年を除いては、毎回年五分つ、の利益を収めたりしとは、殊勝といふべし
”五分”とあるので、年5%の利益
八幡水力電気株式会社について⑤
郡上市内に当時あった電気事業者の紹介の続きです。
上ノ保川水力電気㈱は、現在の大和町内にありました。発電所は電気年鑑の文字が潰れているので判別難しいのですが、当時の西川村名皿部と川◇という地名の2か所に発電所がありました。
郡上のお年寄りは、八幡以北の長良川のことを上ノ保川と呼びます。上ノ保川と吉田川が合わさって、長良川と昔は呼んでいました。そのため、長良川鉄道の八幡以北の鉄橋の名前には、上
八幡水力発電所について(番外:和良水力発電)
⑤にて、追記とい形で和良水力電気㈱の情報を付け加えました。
というのも、昨日(4月22日)に和良おこし協議会の加藤真司さんから情報をもらい、水力発電の跡地に連れて行ってもらいました(ちゃんと感染予防して)。番外編として、アップします。それと、電気年鑑に記載無いと書いてしまいましたが、見落としでして、189コマにありました(駒田さんより指摘)。失礼しました。
和良村史(近代百年版)から、
中島