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聾者との話。

わたしは看護師を離れて、老舗和菓子屋でパートをしていたことがある。
そこには耳の聞こえない人がいた。いわゆる聾者ろうしゃ
幼少期に高熱を出して以来、耳が完全に聞こえなくなったそうだ。

製造パートだったので個人プレイでも働ける。
だが、時間に余裕があるときには従業員同士で少しおしゃべりをしたりする。
そして、できあがった品をばんじゅうに乗せたり、箱に詰めたりしたあとに
どこに置けばよいのかを聞いたり、イレギュラーな対応を伝え合ったりした。

そんな日常の些細なことが、彼女にはできない。
正確にいうと、「わたしたちの輪の中では」できない。
それは彼女の第一言語である「手話」を、わたしたちが使えないから。
急にスペイン語圏に飛ばされてなにも通じない、みたいなものだろうか。
彼女は喋っている唇の動きを読む「読唇術」を利用して
わたしたちとコミュニケーションをとっていた。
しかし、それも流行りの病によるマスク生活で難しくなってしまった。

わたしは想像した。
彼女の世界を。

耐えられないほどではない。
だけど。
伝わらないもどかしさ。
伝えられない悔しさ。

わたしにもあった。
彼女と話せないもどかしさや、悔しさ。
ーーもっと知りたい。

わたしは彼女の第一言語である「手話」を学ぶ決意をした。

有り難いことに、いまはYouTubeに手話の動画が溢れている。
動画を観て勉強しているうちに、皆が辞典をオススメするので
わたしも購入した。グリーンの厚い辞典。

彼女が家庭の都合で早帰りの日が週に1回ある。
わたしは作業を止めて「お つ か れ さ ま で し た」と話した。
彼女は目を丸くした。
「あなた 手話 わかるの?」
わたしは覚えたての手話で言う。
「少しだけ。いま、勉強中です。」
彼女は手話ではなくハンドサインで「Good」とやってみせた。

胸が熱くなった。
通じた。通じたんだ。

わたしの心は踊り、勉強への意欲も高まる。

お店が閑散期になり、1週間の休みに入るので前日に従業員で大掃除をする。
コミュニケーションをとりながら分担しておこなう。
時間があったので、彼女と話す。
「あの人、若いね。」
「学生だって。ハタチ!」
わからない手話は、手のひらに指で書いて教えてもらった。
英会話スクールに通っている人が
ネイティブスピーカーとカタコトながら話せる感覚。
また、たくさん話したい。

手話を第一言語とする聾者は、テレビを観る時に字幕を利用する。
これはわたしたち健聴者にとって
「ローマ字表記での字幕」を読んでいるのに近いものがあると知った。
頭を使うし、目も使うし、疲れる……。
やはり、手話で話せるようになりたい。
手話を勉強している人たちの間では、
おしゃべりならぬ、「手話べり」というらしい。


ーー月日は流れ、わたしは夫の仕事の都合で引っ越すことになった。
それに伴い、パートも辞める。
彼女は持病の影響で仕事を休みがちになっていた。
しばらく会っていない。
会わぬうちにわたしの転居時期が来てしまった。


彼女のした「Good」サインは、
いまでもわたしの中で宝物となっている。
いろんな意味があるとわたしは考えている。
「すごい」「がんばってね」「いいね」「うれしい」
わたしの勝手な解釈が、本当にそうだといいなと願いながら。
これからもわたしは手話の勉強を続けていく。

つぐみ

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