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余計なお世話

皆さんこんばんわ。

そしてお久しぶりです。笑

人間ってほっといたら本当だらけてしまう生き物だなと痛感しました。笑

これから少しずつちゃんと更新します!笑

熱狂的大石ファンの皆さん本当すみませんでした🤣

と今日は少し気になったことがあったのでそれについて話していきたいと思います!

YouTubeでプロサッカー選手を諦めた。

という動画を見ました。

大学生でプロサッカー選手を目指してる方で試合のメンバーに入れなかった悔しさからそのような動画を出されてました。

その動画の中でもう一度プロを目指すという結論に至るのですが僕なりの経験を元に話をさせて頂きます。

僕は大学を1年で中退しています。

その1年間公式戦出場0、11月まで仮入部、練習着も貰えず僕だけが自分のユニフォームで練習、Aチームどころか1番下の育成リーグというカテゴリーでずっとプレーしていました。

ここを本当は詳しく書きたいのですが長くなるため割愛します。笑

今度書きます😎

そんな僕がプロサッカー選手を目指し続けられた理由。

ここを書いていきます。

大学では公式戦に出場することはもちろん入部すら出来ない状況が続き苦しい時間を過ごしていましたが、僕はずっとプロサッカー選手になるという目標が揺らぐことはありませんでした。

それは仲間の存在と母親の存在が大きかったと僕は思っています。

仲間からは刺激と競争を。母親からは大きな期待と大きな愛を。

仲間の活躍や仲間に負けたくないという意地はプロサッカーを目指す上で大きな要因であり良きライバルとなっていました。

そのライバルの存在が常にプロサッカー選手になりたいという気持ちに立ち返らせてくれました。

そして母親の存在です。

正直高校でプロになれず家庭の状況が良くなかった僕は親戚や家族に早くサッカー辞めて就職しなさいと言われ続けていました。

いつまで親を不幸にするんだと言われた事もあります。

これは金銭的な面や色んなことがあった上での一言だったことをお察しください。

それを正直に母親に伝えた事があります。

不幸にさせてごめん。俺サッカー辞めた方がいいかな?

と。

そしたら間髪入れず母親はこう言いました。

サッカーやめたら私が許さない。私にとってあなたがサッカー頑張ってくれてることが幸せなの。私の幸せ奪わないで。

とめちゃくちゃ怒られました。笑

あの一言とあの顔は一生忘れません。

そんな母親の存在や仲間の存在がいてくれたからこそプロサッカー選手の夢を諦めることなく頑張り続けられたと僕は思っています。

人に偉そうなことは言えないけどこういう誰かの存在や人の想いを汲むと目指すべき道が見えるかもしれません。

僕はこういう経験を経て大学中退してから5年後の25歳になる年にプロ契約を勝ち取りました。

この5年間も本当は色々あったんだけどね?笑

それはまた追々話します。

長くなるんで。笑

あのYouTubeの大学生やプロを目指してる人達も諦めず頑張って欲しいなーという余計なお世話でした。笑

と今日はこんなとこで。笑

久しぶりの投稿でした!笑

今日も最後見て頂きありがとうございました^ ^

次回は早めに更新します!

たぶん!笑

おやすみなさい(^^)

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