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アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』における「夜/朝」「闇/光」の描写について

概要

アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』における「夜/朝」および「闇/光」の描写を整理することで以下の対応関係を確認するとともに、本作品が暗喩的に描いた「後藤ひとりにとってのバンド活動」を考察します。

  • 夜・闇
     →ギターヒーローの活動・孤独な創作活動

  • 朝・光
     →結束バンドを中心としたバンド活動

「夜」と「朝」

アニメ本編において

劇中では夜のシーンは数多くありますが、その中でも後藤ひとりのギターヒーロー活動のシーンはほとんど一貫して夜間に描かれており、とても印象的です。そもそもギターを始めるのを決意しブラックビューティー(後藤父所有の黒のレスポールカスタム)を構えたのは中学生時代の夜のシーンでした。
もっとも昼間は学業やアルバイトなどの社会活動があることから、ギターを弾く時間はもっぱら夜中に集中することは自然なことですが、オフの日の昼間にギターを弾いていたのは第9話の短いシーンのみであり、夜間以外のギターヒーロー活動の描写はある程度意図的にオミットされていたのではないかと考えています。

ブラックビューティーを初めて構える中学生時代の後藤ひとり第1話「転がるぼっち」より引用
ブラックビューティーを初めて構える中学生時代の後藤ひとり
第1話「転がるぼっち」より引用
ギターヒーロー活動に勤しむ後藤ひとり
第1話「転がるぼっち」より引用

また、夜は後藤ひとりの創作活動(とりわけ作詞)の象徴でもあります。第4話にて一度は作詞に行き詰まる後藤ひとりですが、一週間経っても全く作詞が進まない姿を昼間に描いており、その後にボツにされるものの一旦歌詞を書き上げたのは夜中のことでした。最終的に「ギターと孤独と蒼い惑星」を作詞したのも、〈ここのところ作詞に夢中になって、その、寝るの忘れたりして……〉の発言から、作業は夜間に集中していた可能性が高いと推察できます。
これには脚本の意図とリアリティの追求の両方があると見ています。創作活動の経験のある方は共感されるかもしれませんが、昼間よりも夜中に筆が乗るタイプは少なくないと思います。心の内の感情や概念を言葉に書き現す作詞についても、誰にも邪魔されない夜中は後藤ひとりの性格を差し引いても相性のいいことでしょう。

作詞に行き詰まる後藤ひとり第4話「ジャンピングガール(ズ)」より引用
作詞に行き詰まる後藤ひとり
第4話「ジャンピングガール(ズ)」より引用
押し入れで作詞に励む後藤ひとり第4話「ジャンピングガール(ズ)」より引用
押し入れで作詞に励む後藤ひとり
第4話「ジャンピングガール(ズ)」より引用

一方で、朝方のシーンは第12話最終盤(ED「転がる岩、君に朝が降る」が流れてから)で強調されています。ここで注目したいのは購入したパシフィカを登校前に構えるシーンであり、劇中で脚本上の意図が最も色濃く感じられる場面です。というのも、御茶ノ水で購入した当日の夜間にパシフィカを構える時間は十分にあったはずで、山田リョウの直帰の提案を合わせて考慮すると、行動の整合性を優先するならばこのシーンは寧ろ夜中に差し込むのが自然だと言えます。(余談ですが、山田リョウの件の発言はギタリスト心理を本当に的確に突いており、作品のリアリズムに強く貢献していると感じました。)更に、原作では購入日の夜のシーンであり、朝にパシフィカを構えたのはアニメでの改変です。以上のことから、直前の流れに逆らって、また原作からわざわざ改変してまで、パシフィカを朝に構えさせた脚本的意図が存在すると考えます。

パシフィカを構える後藤ひとり直前の後藤ふたりのセリフから、朝の登校前のシーンだと分かる第12話「君に朝が降る」より引用
パシフィカを構える後藤ひとり
直前の後藤ふたりのセリフから、朝の登校前のシーンだと分かる
第12話「君に朝が降る」より引用

ここでパシフィカの役割を改めて考えると、第12話の文化祭ライブでペグが故障してしまったブラックビューティーの代替機として購入されたギターですが、(アニメ以降の原作のネタバレになりますが)以降の後藤ひとりののメイン機として活躍し続けることとなります。ブラックビューティーとの二項対立を検討すると、ブラックビューティーを後藤父から借りていた点に着目すればパシフィカは後藤ひとりの自立の象徴であり、ブラックビューティーがギターヒーロー活動を支えていた点に着目すれば今後のメインギターがパシフィカになることでギターヒーローから結束バンドへと活動の重心が移り変わることを示唆しているとも考えられます。
いずれにせよ、アニメ全12話を通して後藤ひとりが一人前のバンドマンとして踏み出したこととメインギターのパシフィカへの移行は(夜/朝の概念を導入しなくとも)強く結びついており、その上で、前述した第12話最終盤にて「パシフィカ=朝」の図式が脚本により強調されています。よって、パシフィカを経由することで朝=バンド活動の等号も成立しますが、こちらの関係性は楽曲の歌詞を参照することでより深く考察することができます。

(ここで注意しておきたいのが、単純に結束バンドの結成によって後藤ひとりがバンドマンになれたわけではないということです。朝の場面が描かれたのは最終話である第12話であり、結束バンドに参加した第1話でも、オーディションを乗り越えた第5話でも、後藤ひとりのスタンドプレーでライブを成功させた第8話でもありません。第12話で後藤ひとりが成し遂げたものは、喜多郁代ないしはリズム隊によるフォローを前提としたボトルネック奏法によるギターソロです。つまり、バンドを結成しただけ・スタンドプレーでバンドを救っただけでは真のバンドメンバーとしては不十分であり、他メンバーによる支えを信じること・受け入れることで結束バンドへの真の意味での加入が成立したと解釈できます。)

楽曲において

アルバム『結束バンド』においても夜/朝の概念は印象的に用いられていますが、ここでは「Distortion!!」と最後の3曲である「星座になれたら」「フラッシュバッカー」「転がる岩、君に朝が降る」に着目します。

「Distortion!!」はギター始めたての初々しい衝動が眩しい歌詞とは裏腹に、〈誰も心の奥には入れないけれど/期待してしまう そんな夜〉〈ひとりの夜 鳴らすコード〉といった孤独な夜を過ごす姿が表現されています。ただし〈君も同じかい?〉と続くように、孤独な夜をそれぞれ経験することを打ち明ける救いが軽快に描かれてる点は非常に特徴的だと思います。

「星座になれたら」は喜多郁代もしくは結束バンドメンバーを空に輝く星と見立た上で「星座になりたい」と希求する歌ですが、歌詞の舞台設定は明らかに夜であり、また歌の主人公の孤独な人物像から、星座が輝く夜空=恋焦がれた人間関係と対比した地上の孤独な夜が逆説的に描写されています。

「フラッシュバッカー」は一転して明け方が舞台となっています。(〈光る朝〉という歌詞から明らかであり、また〈薄明〉は日の出直後と日の入り直前の両方の意味があるようですが、ここでは後者を取る方が自然でしょう。)この曲では孤独あるいは人間関係を示唆する直接的な言葉はほとんどありませんが、〈君の言葉がずっと/離れない 離れない〉と歌われるのはサビ、つまり〈光る朝が 朝が/あまりに眩しい 眩しいからさ〉というラインに象徴されるように、人間関係の思い出を肯定的に噛み締めているのは他ならない「朝」であることがわかります。

ASIAN KUNG-FU GENERATION原曲でありつつも、「転がる岩、君に朝が降る」もまた重要な示唆を含んでいます。〈そんな夜を温めるように歌うんだ〉の文脈、さらに〈君の孤独も全て暴き出す朝だ〉と歌われるように、孤独な夜を氷解するような柔らかい朝の訪れが詩的に表現されていて、後藤ひとりの孤独な人生に対して朝=結束バンドがもたらしたものに重ねることができます。また第12話のタイトルでもある"君に朝が降る"を劇中シナリオから解釈すると、全12話を通じた後藤ひとりと結束バンド=朝との出会いを物語っているようで、原作者の選曲ではあるものの、最終話のEDとしての強い必然性を感じ取ることができます。

以上より、アルバム『結束バンド』において、「夜」は孤独の象徴として描写されており、また「朝」は最終2曲において孤独な夜を癒やすようなモチーフとして取り扱われており、アニメ本編での最終話の朝の描写と大きく重なる印象をもたらしています

「闇」と「光」

それぞれの言葉のイメージから闇=夜/光=朝の対応は簡単に取ることができるため、前述した夜/朝と重複しそうな内容もありますが、ここでは闇/光の描写を直接整理していきたいと思います。

アニメ本編において

「闇=暗い場所=一人になれて落ち着く場所」は後藤ひとりが好む場所として、劇中では頻繁に描写されています。理由としては彼女の「陰キャ」的な性格からくるものが大きく、それ故に大半はギャグ描写と共に強調されています。

一方で、「光」が象徴するのはほとんど一貫してバンドの輝きです。ここで指すバンドとは結束バンドに限定されません。第1話冒頭のインストームスのパフォーマンスにあてられた発言〈バンド組んだら、私みたいな人間でももしかしたら輝ける……!〉や、第10話のSICK HACKのステージ後の発言〈でも、お姉さんキラキラしてて、私なんか……〉が該当します。

SICK HACKのステージへと手を掲げる観客第10話「アフターダーク」より引用
SICK HACKのステージへと手を掲げる観客
第10話「アフターダーク」より引用

また前項と同じくブラックビューティー/パシフィカに着目するために、第12話最終盤におけるライティングを確認します。
後藤ひとりが登校するシーンにおいて、押し入れの闇の中に佇むブラックビューティー(および宅録機材)のカットが挟まれます。また、パシフィカを担いだ後藤ひとりが照明が消された暗い家から光に満ちた明るい屋外へと出発する演出が成されています。これらのカットおよび演出は「後藤ひとりが登校する」というシーンに必須ではなく(後者については、後藤母などの在宅している家族がいるため玄関の明かりをつけたまま家を出てもいいはず)、ブラックビューティー=闇/パシフィカ=光の対応を意図的に暗示していると捉えることができます。ここで、ブラックビューティーはギターヒーローでの、パシフィカは結束バンドでの活動を主に支えていたことを踏まえることで、第12話最終盤の描写においても闇=孤独なギター演奏/光=バンド活動の対応を見出すことができます。

暗い押し入れに置かれたままのブラックビューティー第12話「君に朝が降る」より引用
暗い押し入れに置かれたままのブラックビューティー
第12話「君に朝が降る」より引用
パシフィカを担いで登校する後藤ひとり暗い家から明るい外へと出ていく演出が成されている第12話「君に朝が降る」より引用
パシフィカを担いで登校する後藤ひとり
暗い家から明るい外へと出ていく演出が成されている
第12話「君に朝が降る」より引用

楽曲において

アルバム『結束バンド』においては、「闇=孤独な空間」を詩的に描写しつつも、「青春コンプレックス」「あのバンド」では暗闇を照らす光を歌うことで孤独感に苛まれる主人公に与えられたバンドの輝きが感覚的に表現されています。
またアニメ本編の描写を整理したことで、「あのバンド」における"後光"とは歌詞における"あのバンド"の鬱陶しい輝きであり、また学校生活における孤独感を謳った「忘れてやらない」の情景描写として曇りの日=薄暗い日が採用される必要があったと推察することができます。

・歪な線が闇夜を走った (青春コンプレックス)
・もやもやと 闇に潜る理由 (ひみつ基地)
・目を閉じる 暗闇に差す後光 (あのバンド)
・太陽は隠れながら知らんぷり (忘れてやらない)

楽曲における「闇」の表現の一部
アルバム『結束バンド』より引用

また、しばしば登場する「月」「星」についても、"遠くで輝く光"と捉えることで後藤ひとりにとってのバンドへの憧れの暗喩だと理解することができます。「フラッシュバッカー」にて〈擦り切った白いチョークが/はらはらと落ちていった〉様子を〈まるで 星屑みたいだと〉直喩したのも必然的で、自らが綴った言葉が少しでもバンドらしいもの(=〈星屑〉)だったと感じ取れた肯定的な心情が込められていると考えられます。

・海の底にも月があった (青春コンプレックス)
・君と集まって星座になれたら/星降る夜 一瞬の願い事 (星座になれたら)
・暗闇を 照らすような/満月じゃなくても (星座になれたら)
・まるで 星屑みたいだと/見とれていたんだ 嗚呼 (フラッシュバッカー)

楽曲における「月」「星」の表現の一部
アルバム『結束バンド』より引用

最後に「光」そのものの描写を整理します。
まず最終2曲に着目します。「フラッシュバッカー」での〈光る朝〉は若干重複表現めいていますが、「光」「朝」が共通して指し示すのは結束バンドであり、結束バンドへの想いの強さが二重に表現されていると解釈できます。また「転がる岩、君に朝が降る」でも"光り輝く朝"のイメージが描写されており、劇中の文脈を考えると「フラッシュバッカー」と同じような解釈ができるでしょう。
次に「青春コンプレックス」「Distortion!!」での表現も確認します。〈ファズ〉(歪みエフェクターの一種)や〈ディスボード〉(恐らく自分のエフェクターボードのこと)を「光」と形容しているのは何故でしょうか?エフェクターが"光っている"ように見えるのは暗い場所、すなわちライブハウスの暗いステージと推察できます。つまり、歌の主人公は自宅やスタジオなどの明るい場所ではなく暗いステージでパフォーマンスしており、ライブ活動を鼓舞している表現と受け取ることができ、前述の「光=バンド活動」の暗喩にもちょうど整合します。

・かき鳴らせ 光のファズで/雷鳴を轟かせたいんだ (青春コンプレックス)
・ディスボード 電源を繋ぐ/星灯りのように光り出せ (Distortion!!)
・光る朝が 朝が/あまりに眩しい 眩しいからさ (フラッシュバッカー)
・あの丘を越えたその先は/光り輝いたように/君の孤独も全て暴き出す朝だ (転がる岩、君に朝が降る)

楽曲における「光」の表現の一部
アルバム『結束バンド』より引用
筆者のエフェクターボード暗い場所ではエフェクターの電源ランプだけが見える
筆者のエフェクターボード
暗い場所ではエフェクターのランプだけが見える

以上より、楽曲においても闇=孤独なギター演奏/光=バンド活動の対応は劇中と同様に表現されており、また最終2曲で強調されていた「光」のイメージの取り扱いを確認することで後藤ひとりのバンドに対する心情をさらに押し量ることができます

(余談)反例を挙げておくと……

ひとつめは「夜」に関して、結束バンドの活動(練習およびライブ)の時間帯も多くは夜に行われていました。先述のとおり昼間は学業があるため夜にバンド活動を行うのは必然的なことではありますが、ギターヒーローの活動→夜の対応は時間帯の描写から、バンド活動→朝の対応は脚本や演出からそれぞれ汲み取っていたため、バンド活動の時間帯の描写は考慮していないのは恣意的とツッコまれてしまうかもしれません……

ふたつめは「光」に関して、"キラキラ"や"輝いている"と表現されていたのはバンドについてだけではなく、後藤ひとりの憧れる人物像(いわゆる陽キャ)に対しても多用されていました。(それ故に「星座になれたら」の〈星〉は喜多郁代を指しているという読解も可能です。)後藤ひとりの憧れの擬音は、その対象を問わず"キラキラ"なのかもしれません。ただ、先に確認したとおり楽曲の歌詞の「光」の表現の大半はバンド関連のものだと解釈できるため、劇中における"キラキラ"の表現も同様にバンド関連について注視することが重要だと考えます。

まとめ

アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』におけるの描写を整理することで、以下の対応関係を確認しました。

  • 夜・闇
     →ギターヒーローの活動・孤独な創作活動

  • 朝・光
     →結束バンドを中心としたバンド活動

また、「朝」「光」のモチーフはアニメ第12話およびアルバム『結束バンド』最終2曲にて強調されて描写されていることから、アニメ本編全体を通じて後藤ひとりが真の意味で結束バンドに参加できたことや、アルバムを締めくくるテーマとしての後藤ひとりの結束バンドへの強い想いを解釈することができました。

楽曲の歌詞については多数の作詞家にまたがる共通のモチーフを考察しており、制作側がそのような意図をもって歌詞をディレクションしていたかは未だ定かではありませんが、バンドマン・創作者・"ぼっち"な人間の共通認識と重なる表現から、もしかすると先述のモチーフの一貫性は自然発生的なものかもしれません。またアニメ本編との整合性がある考察を提示させていただいたことから、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』やアルバム『結束バンド』の視聴への少しばかりの助けになれば幸いです。


アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の今後の展開としては、2023年5月21日に単独ライブ「恒星」開催2023年5月24日にシングル『光の中へ』発売が予定されています。どちらのタイトルも「光」のモチーフが関連しています。劇中やアルバム『結束バンド』の文脈を踏襲する内容かはさておき、今は今後の結束バンドの活躍が純粋に楽しみでたまりません。

結束バンドLIVE「恒星」 告知画像
結束バンドLIVE「恒星」 告知画像
結束バンド シングル『光の中へ』 ジャケット
結束バンド シングル『光の中へ』 ジャケット

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