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尖閣漁船衝突事件-双方の透明性不足が事態をこじらせた

写真は2020年9月2日付けの日経新聞だ。なぜ今ごろ中国漁船衝突時件の話かと思ったら、10周年だという。そうだった、事件は2010年9月に起きたのだった。

引用”中国の温家宝首相が「強制的措置を取らざるを得ない」と表明したのは交渉決裂の翌21日だった。この日、日本向けレアアース輸出の通関手続きが滞り始めた。23日には邦人4人が軍事管理区域で撮影したとして拘束されたことが判明した。日本企業には中国側から商談の中止が相次いだ。中国が尖閣と無関係と主張しても、そうは受け止められない。あらゆる手段で圧力をかけてきた中国に日本は困惑した。”中国が尖閣と無関係と主張しても、そうは受け止められない。あらゆる手段で圧力をかけてきた中国に日本は困惑した。”

「中国はあらゆる手段で圧力をかけてきた」のか?

イエス。国務院として思い付くかぎりの方法を総動員した印象があった。 ノー。解放軍というアクターが控えているのを忘れてるでしょ?

たしかに、あの矢継ぎ早な圧力のかけ方は理解に苦しんだが、補助線を一本引けばハラ落ちする。「船長の裁判を国務院の手で止められなければ、大人しく後ろに下がってくれ、後は我々の出番だ」という圧力が、軍と保守派から温家宝総理にかかっていたのではないか?という補助線だ。

確かめる術がなく仮説に過ぎないが、私はきっとそうだったと考えている。だから温家宝は「(国務院の)あらゆる手段を講じて、日本に裁判を止めさせろ」と命じたのだろうと。

司法管轄権の行使はそれほど「重い」ことか?

日本は巡視船にぶつかって来た酔っ払い船長を「公務執行妨害」で立件して裁判にかけることを、それほどの大ごとだとは考えていなかった(「略式裁判な訳だし…」みたいな)。「粛々と(裁判にかける)」と繰り返した、時の担当大臣の言葉がそれを物語る。「事を政治化しない」の言い換え、のつもりだったのだろう。

理屈の上では、たしかに「主権の行使」に当たるが、それほど目くじらを立てる話か?という思いが日本にはあったが、中国はそう考えなかった。日本は読み違えた訳だ。

「読み違え」には無理からぬ事情があった

その頃、中国で地殻変動に喩えられるような、大きなメンタリティ(意識形態)の変化が起きていたことを海外は知らなかった。それが読み違えを誘った憾みがある。

2008年9月、リーマンショックが起きて、80年前の大恐慌以来の衝撃波が世界経済を襲った。中国もいっとき「天が崩れ落ちてくるような」恐怖を味わった。
2009年、米日欧の先進国は青息吐息のままだったが、中国は「四兆元投資」の刺激策が効いて独り景気急回復、おかげで「世界経済の救世主」と讃えられた。この明暗の対照が、永年劣等感を引きずってきた中国人の心理に「地殻変動」的な大変化をもたらした。
この年、胡錦濤主席が内部講話で、鄧小平の遺訓「韜光養晦、有所作為」(注1) に微修正の4字を加えて「堅持韜光養晦、積極有所作為」(韜光養晦を「堅持する」が、必要に応じて「積極的に」対応することもある)と述べた(2009年7月駐外使節会議)。胡主席は、基本は引き続き「韜光養晦」のつもりだったというが、後ろに「積極」の2字が追加されたのを見るや、南シナ海での領土領海権益拡張、2009年12月のCOP15合意粉砕など、あちらこちらで「待ってました!」とばかり「対外硬」のスイッチが入ってしまった。

「核心利益」が国家指導者の辞書に正式採用

そのことを象徴するのが、「核心利益」が国家指導者の辞書に正式採用されたことだ。核心利益とは、国家の主権、統一そして領土領海の保全といった利益を指し、そこで譲歩したり妥協することは許されない、とするのが「核心利益」論の主張だ。

心理の地殻変動的変化が起きた2009年頃から、中国の論壇でよく唱えられるようになったが、当初は在野の対外強硬派が叫ぶ「アブナイ」系言説だった。

では、国家指導者が国際外交の公式舞台で初めて「核心利益」に言及したのは何時か?

私の知る限り、温家宝が2010年の国連総会一般演説で用いたのが初めてだ(注2)。

”中国は友好を重んずる一方で、原則も重んずる。国家の『核心利益』を揺るぎなく守っていく。主権、統一そして領土保全の問題について中国は決して譲歩も妥協もしない。”(温家宝総理の国連総会一般演説「本当の中国を知ってほしい」2010年9月23日)

この発言は中国国内でも驚きを以て迎えられた。核心利益論を標榜してきた強硬派論者も温家宝がこの時この場で言及するとは予想もせず、ネットのチャットルームでは、発言を評価しつつも「おい、総理が言っちゃったよ!」といった受け止め方だった。

ところで、この演説の日付に注目してほしい。そう、この日経記事によれば、日本政府高官が戴秉国国務委員と行った交渉が決裂した9月20日の3日後だ。この日付が近接していることも、私が冒頭に記した補助線を引くきっかけになった。

温家宝は、国内の軍や強硬派に対して「自分は不退転で日本に裁判を止めさせる決意だ」と示し、日本にもそういうシグナルを送るつもりで、言わば思い余って、この言葉を採用したのだろう。しかし、この発言には日本政府に方針を変えさせるほどの効果も時間的余裕もなかった。中国で起きた心理的地殻変動の規模が如何ばかり大きいものかを海外がじゅうぶん悟るには数年の時間を要した。透明性がなさすぎたのだ。

日本側も透明性がなかった

透明性がなかったのは、日本もお互い様だった。

2008年12月,中国公船2隻が尖閣諸島周辺の我が国領海内に初めて侵入したほか、中国や台湾漁船の違法操業も頻発し始めたことに危機感を強めた海上保安庁は、今後警告指導に従わないだけでなく反撃してくる等、悪質な漁船は公務執行妨害で立件する方針を固めて政府内の了解も取ったが、その方針を中国側には伝えなかったと言われる。

2010年9月の漁船衝突事件は、この方針が初めて適用された事案だった訳だが、そうとは知らない中国側は、当初「船長は遠からず強制退去処分で戻ってこれるはずだ」と楽観していたという。

それは小泉政権下の2004年、尖閣諸島に上陸した中国人活動家が「出入国管理法違反だが、他に犯罪を犯していない」ということで、強制退去処分で帰された先例があったからだ。酔っ払い運転で巡視船に衝突してしまったが、まさかそのことで主権の争いに火の付くような強硬策は日本政府も採らないだろうという考えていたのだろう。

もし、日本が事前に「悪質事案は立件する」方針を伝えていたら、どうなっただろうか。中国は「そんな真似をすればたいへんなことになるぞ」と威嚇する一方で、「尖閣の敏感な海には近付くな」というお触れを漁民に出したのではないか。

相手に勝手読みを許すようなコミュニケーション不足は、往々にして「不測の事態」を招く。漁船衝突事件はその一例として記憶されるべきだ。漁船の衝突事件があんな顛末を辿らなければ、石原元都知事が東京都で尖閣の島を買い上げる話も具体化しなかったかもしれない。それでも尖閣での日中衝突は早晩起きたかも知れないが、違った展開になったかもしれない…そんな思いで10年目の9月を迎えた。

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注1:「韜光養晦、有所作為(タオグァン ヤンホイ、ヨウスォ ズオウェイ/とうこうようかい、ようしょさくい)」は、鄧小平が1990年、旧ソ連崩壊を見たタカ派が「いまこそ中国が社会主義陣営の先頭に立たねば!」といった主張をしたのを戒めて述べた言葉と言われる。十分な力を蓄えるまで、中国はローキィを保つべきで、決して先頭に立つ大将になろうなどと考えてはならない」といった趣旨。その後の中国の外交姿勢の重要な指針になったが、国力の増強に伴って2010年代に顧みられなくなった。

注2:2010年3月、南シナ海に関して戴秉国国務委員が「南シナ海は中国の核心的利益に属する」と、米政府スタインバーグ国務副長官へ伝えたとされるが、中国側は否定している。

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