見出し画像

私のこと、性のこと

最初に。


私のこと。これは頭の中の整頓。
今回は私のジェンダーに関する覚書のようなもの。
苦手な人は読まないでね。

私が自分は当たり前に男の子を好きになることがないんじゃないか、と気づいたのは中学生のときだった。
前に書いた中高一貫の学校は、その地域では有名な所謂お嬢様学校だった。
女子校、お話であるみたいなことが実は本当だったりするところ。
他の女子校がどうかなんて知らないが。
女子しかいないそこでは、とにかくなんか距離が近かった。
私はそこに、友情だけではないなにかを感じることがあることに気づいた。

その頃はまだ漫画や本を通してだけれど、早くも所謂腐女子の沼に片足を突っ込んでいた私は、その感じたなにかに違和感を覚えることはなかった。
ぼんやりしたものだったけれど。
空想好きな私のことだから、同性が同性を好きになることって別に当たり前にあると思っていたし、例えばそういう創作物の中でも悪い風に言われるような描写が出てきた時に、どうしてこんなふうに言うんだろう。となんとなく思っていた。
最初にも言ったけどお話みたいな環境のそんな学校にいた、というのもなんか現実味を帯びさせたのかもしれない。
ただぼんやりと。別にいいじゃない。悪いことなの?
その学校で初めて、同じ考え方を持つ子に出会い、彼女と私はいつの間にか付き合う、みたいな関係になっていたかもしれない。
あの時に感じたどきどきは本物だったと思うし、まちがいなく私は彼女が好きだったから。彼女の親にバレてまずいことになるまで、だったけど。
私の人生において最初の修羅場というやつである。

不健全、気持ち悪いもの、変なもの。
そういう目があることを意識したのはその時だ。
私はその後もかなりオープンだったと思うけど、軽々しく誰にでも言っていいことではないことをなんとなく理解していた。

今思えば、彼氏とかいないの?とか聞かれるのなんか気まずかったから親戚の集まりにいくのは嫌だったとかだった気がするし。
おばあちゃんやおじいちゃん世代に言ったらひっくり返るだろうことは想像できていた。優秀だと思う。

つまり、ここでも私は普通でなかったのだ。
オープンにしている、けれど言わないときもある。
それは普通ではないから。後に、性的マイノリティという言葉を知り、私はどうやたその辺に分類されるらしいことを知ることになるのだ。

その次に、


私自身が当事者であり勉強もしているものの、こればかりは本当に人にによって多種多様すぎて正直、とても私の知識だけでは書ききれない。
LGBTQ、という言葉だけは収まりきらないくらい、マイノリティと分類(これもなんか変な言い方なんだよなあ)される中でも本当に人それぞれだから。

そういや最近、多様性 という言葉がよく使われるけれど、これもなんとなくで意味を捉えている人のほうが多いんじゃないかな。
この言葉が出てきて、世の中にじわじわと浸透しているだけでも私はとても嬉しいし、世の中の思想の変化を感じる。
ただ、多様性だよね。と言葉を使うことで曖昧なまま、いつのまにか小さな差別として切り離さないで考えないでほしいな、とは思う。

いや、でも切り離してでしか考えられないのかもしれない。
私にもどうしても理解できないものがあるのと同じように。
私はただ、こういう人たちもいます。という存在を遠くからでもいいから知って、それをあまり否定しないでほしいだけ。
いや、否定してもいいけど。それを言葉にして発するって危険だよ。
自分の隣に座っている人がもし、そう、だとしたら…ちょっとどうかと思わない?
多様性という言葉を使うなら、それぞれをあるものとして、少しだけ頭の隅においてほしいだけ。
そんなふうに思う。

そしてね、マイノリティであることは、悪いことじゃない、よね?
どうでしょう?
生産性がないだのと言われるけれど、例えば同性同士でもしようと思えば子育てはできるんです。自分たちで一人の子を社会に出ていくまで育てることはできるんです。
実際にそんな家族もいるんです。

少し話がそれたけど、私達は病気なんかではない。
ただ生まれ、育ってきた。みんなと同じように。
私のように、育ってきた過程を経て今こうであるだけの人も沢山いるんじゃないかと思う。

あ!トランスジェンダーの方のことについては、書くのを控える。
なぜなら多様性という宇宙を漂う違う星の人達の話になるから。理解をどれだけしようとしてもしきれないから。
悪い意味ではなく、その星の専門家に私はなりきれていないからである。

ちなみに私の今の分類といえば…。
レズビアン寄りのバイセクシャル、といったところで。
もうこれだけでも はぁ? と思う人はいるだろう。どっちなの?どこまでが?
なんとそれを本人すらもわからないくらいには。
それだけ私達は多種多様なんだ。

最後に。


あああー難しいよね。すごく頭を使って考えた。
頭の隅においておいてほしい、なんて書いたけど。
やっぱりセンシティブなことには変わりはないと思っているあたり、私もまだまだです。

生きていきたいな。
空気がないよう。苦しいよう。って水際でぱくぱくする金魚みたいにじゃなくて。
少し新鮮な空気の循環はあるぞ、って思ってきたけど、
深くて青い海の中を自分なりの呼吸でのびのびと泳ぎ、生きていたい。

私について。
というか話がとっちらかったけれど、私の考え。は、こんな風です。

ここまで読んでくれた人、ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?