引退して初めてそのVtuberを推してたと気づいた

今日、とあるVtuberが引退配信をしました。
私はそこまでVtuberに詳しいわけではなくVtuberオタクをしているわけでもありません。
でもそのVtuberはデビューから見ていたし、良いなと思っていた人です。
元々一般職に就職していた(?)人なので不祥事等はないだろうと思って安心して見ることができている人でした。投稿動画や配信からも人柄の良さが出ていたものあります。

ただ、私自身のポリシーというほどではありませんがしっかりと”推す”ということは(おそらく意図的に)していませんでした。
引退したあとにできる”心の空虚感”が嫌だからです。
これはVtuber以外で実際に感じてきました。
引退、という言葉は違いますが、好きなアニメが最終回を迎えた時とか、好きな小説が作者死去のため未完で完結した時とか、そういう経験をしてきてその後に心にじんわりと残る苦しさを感じたくなくて一歩引いたところからそのVtuberを見ていました。
だから動画も全部見ていた訳では無いし配信も毎回見に行っていたわけではありません。
そこまで熱心に追っていないから”好き”だけど”推し”てはいない認識でした。

そして先日引退の通知がSNSで発表されました。
それを見た時は、一歩引いていたこともあって「やっぱそうなるよね…」程度の感想でした。”やっぱ”というのは、なんとなくそうなることを予見できていたからです。
それからも今までと変わらずに一歩引いたところから彼女の動画などを見ていましたが、引退日が近づくに連れて「このままじゃ後悔する」と思いここ数日は配信日をチェックして見ていました。
そして先程卒業配信が終わりました。
終始明るく、しんみりとした雰囲気は出さずに終わりましたがそのVtuberが配信終了する時に「またね!」と言って終わってから私の心をじわじわと締め付けるような空虚感を感じ始めました。
これを感じた時に私は彼女を推してたんだなと認識しました。
こうなることが分かっていたので意図的に距離を空けてましたが、もっと推しててもよかったのではないか、と思わずにはいられません。

私の”距離を取る”という判断が間違っていたとは思いません。過去の経験から自衛策を取ることができていたからです。それ自体は良いことだと思います。
それ故にというか、それと同時に後悔しているのも事実です。
どうするのが正解だったのか一生答えは出せないんだろうなと思います。
ただ、失って初めて分かる存在の大きさを肌身に沁みて感じています。
ここまで自分の中で大きな存在になっているとは思ってもみませんでした。

こういう気持ちになるのが久しぶりすぎて、こうなるのが嫌なはずなのにこの気持ちを忘れたくなくてこれを書きました。

ファンアートとか描けばよかったな、とか、もっと配信見に行けばよかったなとか延々と考えてしまいます。活動は終わってしまいますがもしかしたら何かの拍子に見てもらえるかもしれないのでファンアート、描いてみても良いかもしれません。

また声が聞けたら良いな


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