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2024/04/18 ほとんど、ユイカへの弔辞

私の本名はわりと珍しい苗字なので、初見では読み間違えられることがかなり多い。新生活が始まり、人間関係を新たにスタートさせるにあたって自分の苗字の奇特さを身に染みて実感している。どれぐらい読みにくいかと言えば、どうでしょう、少なくとも「津田」よりも遥かに読みにくい苗字だ。

思えば、下の名前で呼ばれることが本当に少ない。古くからの付き合いの友人からこの春から知り合った同期・上司に至るまで、驚くほどに周りの皆が私を苗字で呼ぶ。「なんかこの苗字似合うよね」とよく言われる。苗字が似合うって何なんだろう、と思うけども、言いたいことは分かる。言葉の響きが自分に馴染む。何なんだろうとは思いつつも、自分でもこの苗字を案外気に入っていたりする。

でもそうなると下の名前がどこか忘れられているような気持ちにもなり、少し切ない。というかそもそも私のことを苗字で呼ぶ人々の1割近くは私の下の名前を知らないんじゃないか、とすら思う。現在私のことを下の名前で呼んでいるのは、親族とごく一部の友達と恋人くらいだ。ここから下の名前に因んだあだ名で呼ぶ人を除外すれば、もっと人数は減るだろう。

そのため、自分の下の名前が己のものである実感があまり無い。苗字とは対象的に、あんまり私に似合っていないなとすら思う。自分でそう思うし、人に言われたこともある。
そもそも名前の由来が好きじゃない。コンピュータ姓名占いでの結果が良かったから、という命名理由らしいがあまりにも面白くなさすぎる。幼い頃、友達が嬉々として自分の名前の由来を語るのを羨ましく思っていた。「〜な子に育ちますように」「〜な風に生きますように」と祈りが丁寧に込められた名前たちは、一つ一つが尊く思える。そんな由来が私には無い(こたないだろうけどあまりにも薄い)。かと言って蔑ろにされたら少し切なくなる。面倒なことだ。

憧れの名前ってありますよね。

中学時代、占いツクールで夢小説を読むときには「もしも改名できるならこんな下の名前がいいなぁ」と思っていた憧れの名前を登録していた。「ユイカ」という。
女の子らしくていいな、と思っていた。漢字は特に決まっていなかったけど、「ユイカ」の「カ」が「花」であることだけは決まっていた。今でも時々ユイカという名前を思い出しては、その響きに思いを馳せる。きっとユイカは目が二重で、華奢で、手指がすらりとしているのだろう。なりたい理想像そのものを叶えた自分のペルソナが、ユイカという響きには重なっている。
ということで、バーで働いていた時に「ユイカ」を源氏名に使っていたこともあった。どれほど気持ちが悪いことを言われても、「でも言われてんのはユイカだしなー」と思うと少し気持ちが軽くなるのだ。そして店の人間には、極力名前を明かさないようにしていた。

私の本名と「ユイカ」はカスってもいないので、バーのオーナーは当然不審がる。店で働く女の子たちは皆本名と同じか、限りなく本名に近い源氏名を名乗っていたので「ユイカ」を名乗る私は浮いていた。なんでユイカ? と聞かれるたびに「こういうのって遠ければ遠いほど良くないですか?」と返していた。オーナーは首を捻っていた。別の名前で呼ばれることで、日常との区切りがはっきりと生まれる。源氏名が必要になるような環境で働くことを日常の一部にしたくなかったのだ。
ユイカというペルソナを持ち合わせていて良かった。カゲプロが好きだった時代に作った、いわゆる「自代理」なので、ユイカはいつもパーカーを着ている。目をどうする能力を持っていたかまでは、もう覚えていない。

職場には、結婚して改姓してもそれまで使っていた所謂旧姓を仕事で名乗ることができる仕組みがある。現時点で結婚する予定は無いから当事者になることも無いだろうけど、良い仕組みだなと思う。馴染みのある名前だけ奪われて、自分である実感のない名前だけ残るのは寂しいことだ。家自体に愛着があるわけではないけれど、この苗字の響きには愛着がある。

けれどもし下の名前を改名できるなら。ユイカ以外がいいな。ユイカはいろんな場所で使われすぎて、もうほとんど私の手から離れてしまっている。なんか無いかな。ブルアカの生徒一覧でも見るか。ノノミって言葉の響きめっちゃ良くない? ノノミ、なんだか優しそうでいいな。次はノノミでいきます。占いツクールを開く時、私はノノミです。

おやすみユイカ、もう会うことは無いでしょう。

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