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1/27 深夜のぼやき

文章にしたい事象がぽんぽん頭に浮かんでは消えていく。

頭の中のマインドマップを広げるのが得意だし、何ならその能力だけ異常に長けすぎていると思っている。ひとつのことを考えたら芋蔓式にその枝が10にも広がって、それぞれの先で分岐して巨大化する。それは完全に無意識のうちに行われていくもので、私は巨大化する脳内マインドマップをただ茫然と眺めていることしかできない。
多分その一個一個を全て捉えることができる人のことをアイディアマンと呼ぶのだろうし、そしてそれを形にできる人のことを創作者と呼ぶのだろう。
私はその全てを捉えておくことはできないし、どうしてもどんな言葉で表現すればいいのか分からなくなる時もある。世のアイディアマンや創作者たちはどうやってそのスキルを身につけるのだろう。努力でどうにかなるものなのかな。

「これnoteに書きたいな」と思うことが、毎日少なくとも5個くらいある。毎日その中でひとつだけ、文章として綴りたいものを選んで書いている。あぶれた4つはいつの間にか頭から消える。忘れてしまう。
ごくごく稀に、忘れた頃にまた思い出すこともある。そう言えばあんなこと書きたかったな、と。しかしその日もその日で別のめざましい出来事や別の思考に追いやられて消えてしまう。
そんな感じで追いやられがちな事象がたくさんある。

たまにメモをする。いつか思い出して書きなよ、と未来の自分に託すつもりで。
しかし私はデジタル媒体でのメモがとにかく下手くそで、このnoteの下書きにも「文章とは案外だいじすぎる」とだけ書かれたメモが残っている。
当時は「文章とは案外だいじすぎる」から枝を伸ばして文章を書こうと思ったのだろうけど、今となっては「そうだね」以外の感想が思いつかない。私にとって文章が大事なのは当然なので、そこから何か特筆すべき論に転じる余地が見出せない。
当時の私は何が言いたかったのだろうか。どうして「文章とは案外だいじすぎる」と思ったのか。「案外」に込められた文脈は。

3日前のメモだった。たとえ3日前でも、過去の自分はまるで別人のように思える。

最近、自分の頭の中に浮かぶ事象が常に文章の形を伴って現れる。
頭の中にぽんとイメージが浮かんだ時、何やら難しいことを考えようとしている時、もう既に文章は構築されている。この文体が、そのまま頭に浮かぶ。

そんな時に頭に溢れる文章を書き留めておかずに忘れ去ってしまうのは勿体無いなという気持ちになる。そんな時にnoteって便利だな、と思う。とりあえず思考のメモというか、文章として形にできるというか。

今後も何か浮かんだら下手なメモに単語を残すのではなく文章にしたいな。そうすれば他人のような自分の思考も分かるはずだ。文章とは基本的に他人に読んでもらうことを前提に成立するから。
「文章とは案外だいじすぎる」って、もしかしたらそういうことだったのかもしれない。
いかがでしょうか、3日前の私さん。

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