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2023/01/30の日記 シチューをご飯にかけるか1人論争

 明日賞味期限を迎える牛乳を消費するためにシチューを作った。普段、「焼く・炒める・レンジでチン」以外の調理法を回避しているくらい料理に対して消極的な私にとって、「煮込む」という行程はかなり料理らしいもののように感じる。
 美味しかった。土曜日にもバイトのまかないで食べたけどやっぱり冬はシチューに限る。
 そしてシチューといえば、これを読んでいるあなたに聞きたいことがあります。

シチューをご飯にかけますか? かけませんか?

どうですか?

ディベートで決めましょう。



かける派のターン

 ちなみにこのnoteの筆者は「かける派」の家で育った。シチューはカレーの対義語で、二つは陰陽のように表裏一体の存在。そう思っていた。ちなみに陰がカレーで陽がシチューだ。
 ちなみにネット上の対義語辞典である「worddrow」でもカレーの対義語はシチューであるとされている。

意味は全く対になっていないな

 特に日本の家庭で多く食されている家庭用カレー(私はこれを「日本人のカレー」と呼んでいる)と日本の家庭で多く食されている家庭用シチューの具材は基本的に同じだ。鶏肉または豚肉、たまねぎ、にんじん、じゃがいも。

※今回はあくまでも「家庭の食卓に出るシチューはご飯にかかっていたか」が論点なので、派生元であるインドカレー、またビーフシチューなどは争点に持ち込まないこととする。

 こんなにも具材が同じで、違うのは見た目と味だけだ。ちなみにこのふたつは
・見た目 : 白と黒で完全に対になっている。まさに陰陽。
・味 : 牛乳を使ったまろやかな味わいのシチューとスパイスを使った刺激的な味つけのカレーで完全に対比構造が完成している。ちなみにシチューはヨーロッパ発祥のブイヨンを味の軸にしており、インド(アジア)のスパイスに対して地域としても対になっている。

 というように、シチューとカレーは具材を中心として対になるが味は全く異なる、まさに点対象の関係にあるのだ。
 シチューはカレーの対義語であると分かってもらえただろうか。「カレーライス」という名称でも親しまれているカレーはご飯ありきの料理だ。そのカレーに対をなす存在たるシチューにご飯をかけないなどアシンメトリーでなんだか気持ち悪い。
 あとご飯にかけて美味しくならないものはない。絶対ご飯にかけたほうがいいと思います。


かけない派のターン

 貴重なご意見ありがとうございます。
 どんな詭弁を呈するのかと思ったら想像以下で笑ってしまいましたわ。シチューはカレーの対義語? だからシチューもご飯にかけないとアシンメトリーで気持ち悪い? シチューに対してあまりにも礼節がなっていないんじゃないか。
 シチューはそれ単体で美味しい食べものである。カレーを軸として物事を考えるなんてシチューに失礼だと思わないのか。シチューに対する価値観をもカレーに依存させてるだなんて、そんなのカレーも荷が重いだろ。

 まず、シチューはヨーロッパで生まれた食文化だ。シチューにとってみれば本家本元のヨーロッパ食文化が本来の食文化として正しいものであるはず。
 ヨーロッパの人たちが米にシチューをかけて食べているとでも? そんなわけがない。ヨーロッパの人たちはシチューはシチューとして単体で食べる。たまに付け合わせのパンにつけるくらいだ。
 そもそも米は日本の食文化だ。郷に入っては郷に従え、ヨーロッパの食文化たるシチューには同じくヨーロッパからやってきたパンを合わせるのが道理なのではないだろうか。

 シチューはカレーのバーターなんかではない。独立した料理で、生まれも育ちも全く違う。それを日本人の都合で勝手に対にして、シチューに申し訳ない気持ちにならないのか。「カレーの対義語はシチュー」なんて言ってるのなんて日本人くらいだ。世界に対して胸を張って言えるのか。

 そしてご飯には何かけても美味いのは認めるけど、じゃあご飯食べながら牛乳飲むんですか? あなたは。という話になる。米は米、シチューはシチュー。それぞれ別の楽しみ方があるのだから、わざわざ一緒にしなくたっていいだろう。


あなたはどっち派ですか?
また、どちらの論が強いと思いますか?
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 ちなみに私はご飯もパンもどっちも好きです。今日はパンをつけて食べた後ご飯にもかけました。
 満腹!

恐山のディベート力、すごい。

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