2023/10/08 ポエムを許せ

自分が書いたnoteを読み返すと「ポエムすぎキッツ!」と思うことが多々ある。
自分の心象をそのまま文字にしているのである程度ポエミーになるのは理解の上で書いているけれど、それはそれとして改めて自分が書いたものを読むとゾワゾワしてしまう。ゾワゾワしてしまうものと、ゾワゾワしないものがある。この違いって一体何なんだろう。

主観客観に問わず、文体の問題なのだろうか。思うに、「〜である」とか「〜だろうか」とか「〜なのだ」のような読み手を意識した常体が行き過ぎるとゾワゾワするのかもしれない。なぜなら実際に私が口に出す言葉たちとの乖離が激しすぎるから。それでゾワッとしてしまうのかも。

逆に、たった今書いたばかりの「〜かも」のように口語に近い表現が多用されているものはあまりゾワゾワしない。自分の実態に近いからだと思う。
かと言って、何もかも口語的表現に揃えてしまえばいいわけではない。口語表現が続くと(私の場合は)表現の限界が来る。どうしても回りくどい表現をしたい時とか、カッチリした言葉を使いたい時とか、そんな時に口語的表現では対応しきれないこともある。だから少し大仰な常体を使って文字を綴る。当然だけど、私は普段から「〜である」とか言ってるわけではない。だからゾワゾワする。

しかし、自分が生んだ文章に対してあまりにもゾワゾワしすぎてしまう時もある。イーッ!! こんなん厨二病と変わらん!! と身悶えたくなる時がある。でも自分で生んだものだから仕方がない。投稿した当時は「良いな」と思ってその文章を世界中に公開したのだから。

しかしどうしても全身が痒くて仕方ない時は、noteの「おすすめ」に出てくる記事を少し読むことにしている。noteにはいろんな記事がある。私のアカウントのアルゴリズムは優秀なのでおすすめ記事のほとんどはアイマス関連の記事に偏っているが、それにしたって多種多様だ。顔見知りのnoteもたまに流れてくる。全く知らない人のnoteも当然流れてくる。

そして、その中の3割くらいはガチポエムだ。

私が書いた「ポエムすぎるウワー!!」と小っ恥ずかしくなるような文章なんて、ガチのポエムには太刀打ちできない。そのnoteたちは「ポエムを書くぞ!」と意気込んで書かれているのだから。

それらを読むと、「だよな、noteってポエムを投げる場所だよな」と安心できる。noteは使い道の選択肢が幅広いプラットフォームなので、チラ裏にしようがポエムノートにしようが使い道はユーザーの勝手だ。

それを確認するたびに安心する。
もし私の文章を読んで「ウワポエムすぎ笑」と思う読み手がいたとしても、まあそれがnoteですし……と受け流せるから。その根拠となる。

なんか予防線を張りまくった性格の悪いnoteになってしまったな。
とにかく私がいきなりポエムすぎる文章を書いたとしても許してください。せめて、チラ裏なんかじゃなくて読み手が読みやすいようにきちんとした常体で書くから。
そんでまたポエムチックな文章になり、ゾワゾワしてしまうのだろう。ポエムnoteのウロボロスからはもう抜けられないみたいだ。

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