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【Skeb依頼執筆記事】私の輪郭をつくる6つの話

skebにこんな依頼が届いた。

影響を受けたな…と思うコンテンツ(人物でも可)について、語ってほしいです。 アニメ、ゲーム、マンガ、美術、といったコンテンツや、友人、偉人、親族、何でもよいです。1つに絞るのが難しければ、「少年マンガ」「少女アニメ」のようなカテゴリでくくっても大丈夫です。
例:「このアニメを見てこういうオタクになった」「ある友達の影響でこう考えるようになった」等  

「1番影響を受けた」と言い切れるものだとすごく嬉しいですが、難しければパッと思いついたものでも大丈夫です。  

自分は歴史とか伝記とかを読むのが好きで、特にある人の思考や生き方の「型」みたいなのが作られたエピソードが大好きでして。他人のブログを読んで、その人の文章が好きになると、そういう系統の文章や記事を探探してしまうんです。ぜひ、津田さんのこれをテーマにした文章を読みたいなと思いました。  

文字数の制限はありません。

いつもnoteの投稿楽しみにしております。 今後は社会人になられて、いろいろと大変になるでしょうが、気が向いたら今後もnoteの投稿をしていただけると非常に嬉しいです。

うれっし〜〜〜〜〜…………。
マジで嬉しい。依頼をくれたのは私がnoteに日記を書き始めたかなり初期の頃から私のnoteを読んでくださっている読者の方で、そもそも私のnoteを読んでくださっているだけでも嬉しいのに、こうしてバックグラウンドを知りたいと思ってもらえるなんて……。
本当にありがとうございます。マジで嬉しすぎるぜ〜!!

ということで、「影響されたもの」について書きました。けっこう長めの文章になったが、それでもかなり削ったかも。これ以上書くと収集がつかなくなっていたと思う。

堂々とした自己開示をご覧ください。それではどうぞ。



 私が影響を受けたものについて書こうとしてこれまで私を作り上げてきたものたちを振り返ってみたら、思ったよりも多くてびっくりした。
 私の人生に影響を及ぼしているものたちは、きっとそのほとんどが無自覚的なものだろうと思う。自覚できているようなものはきっとほんの僅かだ。知らない間に影響を受けていたり、大したこと無かったと思っていた経験が行動指針となっていたり。多くの人がそうだと思う。
 しかし思い出せる範囲だけでも、あまりに私は多くのものに影響を受けすぎているような気がする。私はチョロい(影響を受けやすい)性格をしているので、人生の中で自分で確立したスタイルが占める割合はかなり小さい。私はほとんど誰かの考えや行動に倣って生きている。

 全てを書こうとすればおそらく収集がつかなくなるだろうと思ったので、「思考」「アイドル」「音楽」「文章」この4つに絞り、それぞれ1つか2つのトピックをピックアップして書きます。対よろ。


思考

友人Yの話


 自分にも他人にも、あんまり期待しない。私の最も大きな行動指針はこれだ。
 なるだけ人に期待しないようにしようと心がけ、期待を向けないようトレーニングしていたらいつのまにか無意識にできるようになっていた。まるで昔からそうだったように。

 分かりやすい例、無いかな。
 私の恋人はかなりLINEの返信が遅い。なんでもない会話の途中でぷっつり返信が途絶え、その後丸2日音沙汰が無い、なんてことが割とザラにある。
 と、いうことを友人などに話すとありえない! と驚かれることが多くある。まあそうだろうよ、と思う。それが一般的な感性だろう。
 私は恋人がそんな人間であることを知っていて交際を始めたので、改善してほしいとかそんなことをあまり思わない。早めに返事が来たらラッキー、くらいに思っている。綿密なコミュニケーションを期待していないのだ。恋人もそれを知って「期待しないでね」と私によく言う。だから私は、恋人にあまり多くを望まないようにしている。たぶん、この凹凸がうまくいってるから私たちはなんとかギリギリ恋人でいられているんだと思う。

 では昔から人に多くを望まない選択を容易にできたのかと問われれば、そんなことはない。およそ4年前、まだ大学生になったばかりの頃までは人に期待することをどうしてもやめられなかった。
 私がコンスタントに文章を書き始めたのはちょうどこの頃で、二次創作をガリガリ書いてはほぼ毎日のようにインターネットに投稿し、承認欲求を大爆発させ読んで読んで読んで読んでー! とツイッターで大暴れしていた。毎日。当然棒にも端にも引っかからない作品もある。投稿してから1時間待ってもリツイートの一つも来なかったりとか、私よりも後に投稿された知らん人の作品の方が反応が良かったり。
 毎度毎度、律儀に落ち込んでいた。同人あるある、「どうせ私なんかが書いても……」思考のループに嵌り、ガッツリ病むこともあった。

 Yという友人がいる。アイマスについての記事を書く時、常に登場するアイマスのオタクだ。彼女と出会ったのもちょうどこの頃で、私たちは暇さえあればもくり(作業通話アプリ)で喋りながら二次創作をバリバリ書きまくっていた。彼女は絵を描くオタクである。絵と漫画、どちらも上手い。Twitterも面白い。
 私は彼女のインターネットスタイルがとくに好きだった。今も好きだけど、出会った当初の衝撃はかなり大きかった。彼女のTwitterや二次創作は、他者に見られているという前提をまったく感じられないのだ。憧れた。彼女のツイートを真似して呟き「私のマネしたでしょー」とあっさり看破されたこともある。Twitterという土俵で一番影響を受けた人物も、もしかしたら彼女かもしれない。

 私が例によって承認欲求をうまく満たせず激病みしている時、彼女が「他人に期待するのをやめればいいんじゃない?」と言ってきたのをはっきりと覚えている。
 さらっとなんてことを言うんだこの人は、と思った。「それができたら苦労しないよ」と返すと「人に期待しないの、楽だよ〜」と言われた。そりゃそうだろうけど……。
 しかし、確かに彼女がチケット落選以外で落ち込んでいる姿をあまり見たことがなかったのも事実だった。じゃあいっちょ人に期待しないように頑張ってみるか、と思った瞬間が人生における大きな転換点となった。
 気をつけたのは次の二つ。

 ① 全ての行動は自分のエゴである自覚を持つ
 ②なるべく許す立場に立つ

 ①は割と難しい。たとえば恋人とのLINEがすぐに返ってこない時に「まあ返すのは相手の自由だしな……」と思うような調子で、「自分がこうしているんだから相手もこうするべきだ」というコントロール的な思考をやめる必要がある。私がどんなに早く恋人からのLINEを返しても、それは私のエゴだ。自分は自分、他人は他人という線引きをハッキリと引く。自分の言動と他人の言動に無意味な相関を求めない。かなり、かな〜り努力して意識して心がけて、最近ようやく無意識にできるようになってきた。全てのことは、相手のためではなく「自分がやりたいから」していることなのである。見返りを求めるのを当然としていると、期待した見返りが来なかった時に悲しくなる。期待しなければよい。

 ②、許せる立場に立つ。これが割と重要。人と対立した時、意見が食い違った時。折衷案を見つけることができれば一番よいが、そうそう上手くいくことは少ない。いきなり意味のわからないイチャモンをつけられてしまった時とか、相手が聞く耳を持とうとしてない時とか。
 もう、どちらかが許すしか解決の道は無いのだ。訳のわからないイチャモンをつけられても、ハイすみませんでした。とどちらかが言わなければいけない。そんな時、できる限り許せる側に立ちたいなと強く思っている。

 しかしこれら二つのどちらも、「コミュニケーションを諦める」と言い換えることもできる。②なんて分かりやすく相手に対話を期待していないのがモロ分かりだ。
 でも、めちゃくちゃ気持ちは楽になる。あんまり人に期待しないで、他者への干渉を控えると生きやすくなる。他人に期待しない精神は、トレーニングで身につけられる。
 しかし思考は不可逆的なので、他人に期待することで得られる大きな成功体験はもう手放すしかありません。ポジティブなコミュニケーションを諦めてもいいやって人にだけ、オススメです。

 ともかく、私の価値観のベースは彼女によって作られたと言っても過言ではない。もちろん1ミリたりとも人に期待していません! とは言えないが。誰にも期待しない考え方を完璧に実行できたらそれは最早悟りの境地ですからね。
 文章を書くときも、基本的にこの価値観が揺らぐことはない。「あんまり人に期待しない」の道を提示してくれたYにはめちゃくちゃ感謝しているし、住む場所がもうちょっと近所だったら良かったのになと強く思います。毎日飲みに行きたい。 


アイドル

でんぱ組.incの話


 私はかれこれ人生の半分以上の時間をアイドルの応援に費やしてきた。アイドルのことが大好きだし、私の人生に大きすぎる影響を及ぼしたアイドルがたくさんいる。初めてできた「推し」の峯岸みなみさん、初めてアイドルのライブというものを教えてくれたももいろクローバーZ、しばらく私の精神をめちゃくちゃにし続けたZOC、などなど。影響を与えたアイドルだけでなく、ただ純粋に大好きなアイドルも数えるとすごいことになってしまう。本当に、たくさんのアイドルを見てきた。

 アイドルオタクになったのは2012年の冬のこと。ももクロが紅白に初出場した年です。当時発売されたももクロのシングル「サラバ、愛しき悲しみたちよ。」がかなりヒットしももクロは紅白初出場を果たしたのだが、それくらいの頃にWOWOWで2012年ももいろクリスマス(ももクロのクリスマスライブ)のライブ映像が配信されたいたのだ。ももクロのライブを見てしまったことにより、私は完全にファンからオタクへと移行してしまった。振り付けを覚え、コールを覚え、円盤を親にねだり(幸い親も一緒にももクロにハマってくれたのが救いだった)、推しのメンバーカラーを身につけるようになった。

 それから月日が経ち、2014年。私はでんぱ組.incにハマった。仲の良い友人に勧められ「でんでんぱっしょん」のMVを見て、公開されたばかりの「でんぱーりーナイト」のMVを見て、最後に「W.W.D」のMVを見てしまって、好きになった。

 この考えは今も昔も変わらないが、私はアイドルのことを「選ばれた女の子にしか許されない職業」だと思っている。おいそれと簡単になれるものなんかではなく、生半可な覚悟で挑めるものでもなく、簡単に頂上を臨める世界でもない。AKBを知った頃からずっとアイドルは「手の届かないところにいる憧れ」であり、そうであってもらわないと困るのだ。

 これに類似した考えとして、アイドルの「清純さ」にこだわる人はかなり多いと思う。特に女性アイドルの女性ファンにはその傾向が多いんじゃなかろうか。生まれた時からぱっちり二重で、肌が綺麗で、幼い頃からアイドルを目指しレッスンに励み、読んで字のごとく青春のすべてをアイドルに捧げてきた女の子。そんな女の子にこそアイドルとして活躍してもらいたい! ……みたいな。
 私も同じような感情を抱いていた。アイドルの幼い頃の写真などがメディアに載るたび嬉しくなった。自分とはまるで違う、可愛らしい顔に蝶よ花よと愛されたことがありありと分かる写真を見るのが好きだった。アイドルは選ばれた女の子たちのもの、という価値観を確かめる証左となるからだ。

 しかしその価値観をブチ壊してくれたのがでんぱ組.incだった。

 マイナスからのスタートなめんな! というW.W.Dの中でも使われているフレーズが、まだかなり前面にプッシュされていた頃のことである。オタクはそもそも前提として、元ひきこもり、元秋葉原のメイド長、元コスプレイヤー兼踊り手、などなど。あらゆるマイナスなステータスを引っ提げて登場したアイドルに、当時の私は少しギョッとした。だってこの人たちは、アイドルなのに私と似ているのだ。

 今でこそオタクを公表し、さらにはそれを己のアピールポイントとしているアイドルは多くいる。「少なくない」ではない、多くいるのだ。しかし2014年当時はかなり少数派だった。もちろん、アイドル戦国時代の真っ只中だったわけなので多少いたはいただろうけど、それでも少なかった。理由は一つである。「オタク」に対する風当たりが今の数倍厳しかったからだ。

 でんぱ組.incはみんなオタクで、それでいてアイドルに崇高なものを見出していなかった。センターである古川未鈴ちゃんが分かりやすい例である。「アイドルになっていじめてきた奴らを見返したい」。彼女がアイドルを志すに至った、サイコーの動機である。そのために未鈴ちゃんはいくつものオーディションを受けまくり、落ちまくり、高校を辞め、でんぱ組.incのメンバーになった。アイドルになりたい理由なんて「多くの人に希望を届けたい」なんて清らかなものでなくてよいのだ。

 アイドルとは私にとって手の届かない存在だった。魂・精神の構造から違うと思っていた。神秘がそこにはあった。けれど違う。でんぱ組.incは人間だった。人間がもがいてもがいて努力して、現実と向き合いながらようやく掴んだ秋葉原ディアステージから大きな舞台へ羽ばたいたのだ。オタクでも、コミュ障でも、アイドルになれるのだ。アイドルになりたいという強い気持ちを持ち続けられるのであれば。アイドルを目指す権利は特権階級のものなんかではなく、全ての人間が持ち得る基本的人権なのだ。そんな単純なことに気付いたのは、でんぱ組.incに出会ってからのことだった。

 じつは、本当のことを言うと、ほんの、ほんの少しだけ、アイドルになりたいという気持ちを抱え込んだまま、これまでの人生を歩んできた。
 でんぱ組.incに出会い、人間からでもアイドルにはなれるのだということを知り、アイドルに対する憧れが明確なものとなり、それは「可愛い」への執着となり、ちょっとしたコンプレックスになり、そして今でも私の人生を蝕んでいる。私が思う最高の可愛いを実現したい。もう社会人になったというのに、未だにアイドル衣装を着てみたいという願望を捨てられない。

 しかし「なりたい」と思うことができるというのはある意味嬉しい話で、なぜならば自分と違う存在にそう思うのは、割と難しいことだからである。
 AKBやももクロを追っている時には、アイドルになりたいと思うことすらなかった。私とは全く住む世界が違う女の子と自分を並べることなんて、できなかった。私が地元の公立中学校に進学して吹奏楽部の練習に励んでいる間、アイドルを目指す子たちはレッスン室で夢を叶えるため努力しているのである。自分の日常と彼女たちの生活も同じ日本時間で進んでいるはずなのに、それが地続きであるということが理解できなかったのだ。
 初めて「私」もアイドルになれる権利を持っているのだと理解した時、世界がまるっと変わってしまったかのような感覚に陥ったのを覚えている。私の人生の転換点の一つは、でんぱ組.incによって作られた。

 私は今年で23歳になる――なってしまうのだが、一般的なアイドルのオーディションの年齢制限は満22歳までだ。もう、きっと私がアイドルになることはない。今就いている職業を気に入っているし、私はアイドルに耐えられる人間ではないから。歌うことも踊ることも好きだけれど、でんぱ組.incの彼女たちのようなまぶしい魂は持ち合わせていないのだ。
 結局、精神論の話をしちゃった。アイドルってビジュアルとかスキルとかいろいろな尺度で評価されるけど、結局向上心や不屈の心などに表れる魂の気高さがカッコ良くて憧れるんだよな。アイドルは魂。死ぬ気で痩せたり、心無い発言から心を守ったり、めんどうなスキンケアに丁寧な時間をかけたり、ダンスや歌のスキルを磨いたり。そういう一つ一つに私は尊敬の念を表する。私はきっと、アイドルになるための魂の練度が足りなかった。言い換えると、覚悟が足りなかった。
 アイドルが好きです。きっと、私はこれからもアイドルに憧れ続ける。しかし彼女たちも元は人間で、ただの普通の女の子で。しかし生きる全ての若者が持っているアイドルになれる権利を捨てず、諦めず、戦い続けた、気高き覚悟を持った女の子たちなのだ。それを理解しているかしていないかは、大きく違う。それを教えてくれたのはでんぱ組.incだった。

 来年1月にエンディングを迎えてしまう、でんぱ組.inc。なぜ彼女たちのことをこんなにも大切に思っているのか、今のうちに書き残しておきたかった。でんぱ組.incというアイドルが、ずっとずっと大好きです。


音楽

大森靖子と宗教の話


 好きなアーティストや影響を受けたアーティストはたくさんいるし、好きな作曲家や楽曲もたくさんある。そのどれもが特別で大切だが、「特別」の枠をも越えてしまって、もはや私が信仰する神のような存在になってしまった音楽の話をしたいと思う。大森靖子というアーティストの話です。
 今はもう、彼女を信仰していません。

 中学生の頃に米津玄師にハマり、芋づる式にRADWIMPSやback numberなどの邦楽ロックに夢中になり、私は人生初のTwitterアカウントを作った。「ふぁぼ」が「いいね」に切り替わった直後くらいのことである。まだアイコンは四角形だった。当時、米津玄師なんて超マイナーな歌手を知っている同級生など学校には存在しなかった。とにかく同じ趣味を語り合える友だちが欲しかったのだ。
 大森靖子は、フォロワー・Hちゃんがよく聞いていた歌手だった。Hちゃんは私の4歳年上の女の子で、絵が上手く、歯に衣着せぬツイートばかりするのになぜか年下の女には優しく(つまり私に優しく)、たまに載せる自撮りがめちゃくちゃ可愛く、そしてTwitterで出会った31歳のバンドマンと付き合っていた。今考えるとその31歳男性は本当に本当に気持ち悪いけど、私にとっては憧れだった。Hちゃんはカリスマだった。そんなHちゃんが好きだったのが大森靖子だった。
 憧れる人がよく聞く音楽なんて、どうしたって興味を止められないものである。初めて見たMVは「マジックミラー」だった。衝撃だった。Hちゃんが聞いてたから聞いたのに、聞いた瞬間大森靖子以外の女のことなんてどうでも良くなってしまった。

 だってこの曲、私に向けて私のために歌われているんだもん!

 と、いう勘違いにがっつり囚われたまま他の曲を聴いたら他の曲も全部全部私のことを歌っているのでびっくりした。そのまま全てのMVを見て、どっと疲れて、Twitterには何も書かずに泥のように眠った。春休みだったから、母が夕方に仕事を終わらせて帰ってくるまでずっと眠っていた。疲れていた。それまでの短い人生の中で、曲と目が合うという体験に遭ったことが無かったから、びっくりしたのだ。大森靖子――靖子ちゃんが、私の目をまっすぐ見つめて逸らさずに、人差し指をこちらの顔に突きつけて歌っている。そんな感覚が怖かった。と、思っていたら「この歌あたしのこと歌っている」という歌詞が聞こえてくるから恐ろしい。やはり靖子ちゃんは私のことを見つめているのだ!

 当時の私は思春期らしくそこそこまあまあ色んなことに悩んでいて、自分の中にある気持ちの悪いフラストレーションを言語化する機会をずっと欲していたように思う。今はもういない――と思ったらステマツイートしまくりアカウントと化していた胎盤ちゃん(現:たいばんDJ)、みやめこ、などなどかつてメンヘラ女のカリスマ的存在となっていたアカウントをフォローして、彼女たち(仮)が異常な家庭環境や社会に迎合できない感覚を言葉にするのに自己投影して、なんとか精神的な逃げ場を作っていた。あの時胎盤ちゃんたちを追っていた女たちは、皆ちゃんと生きているのだろうか。
 それを音楽というサイコーの手段で全て解決したのが大森靖子だった。すぐに夢中になった。歌詞だけじゃなく、彼女が作るメロディも好きだった。「ハンドメイドホーム」という曲が特に好きだった。毎日それなりに悩んで、毎日それなりに死を意識して生きていた私にとって、私と同じ目線の日常を綴りながらそれでも生きようとする歌詞は希望そのものだった。靖子ちゃんが生きろと言うのなら生きるしかない、と思っていた。視野が狭い中高生にとって、大森靖子の姿はあまりにも劇薬すぎた。一瞬にして、私の全てになってしまった。

 もう今は無いアカウントだが、大森靖子がフォローしやすいようなポエティックな一言をbioに記載し、見事大森靖子からのフォローを勝ち取り即鍵垢にした、フォロー1フォロワー1、大森靖子と私しか知り得ないアカウントを動かしていたこともある。今も昔も大森靖子はファンとの距離が近く、それも私を熱狂的なファンにした理由の一つだった。

 大森靖子の音楽を聴いている間は、自分の気持ち悪いところを肯定してもらえているような気持ちになっていた。私だって分かっていたのだ。私は今いわゆる「メンヘラ」になってしまっていて、それは決して褒められるようなことではなく、いずれ私の足枷となる。私は大人にならなくてはいけない。友達ができないことも、周りが私のことを理解してくれないのも、問題があるのは他者ではなく私の方なのだ。それでも靖子ちゃんは肯定してくれるから、どんどん私は靖子ちゃんから離れられなくなる。自分の非を認め変化するために努力するのは恐ろしいことだ。その恐怖から逃げ惑うことを許してくれる人なんて、その時の私には靖子ちゃん以外見えなかったし、見ようともしなかった。

 大森靖子への信仰が崩れたのは、彼女がプロデュースするアイドルグループ「ZOC」がたびたび炎上するようになってからのことだった。
 もう詳細を覚えてはいないが、当時ZOCのメンバーだった戦慄かなのが問題発言・行動をしまくり、ちょっとした問題になっていた。しかしどんなに批判を受けても大森靖子は戦慄かなのの肩を持つのを辞めず、あまつさえ批判するこれまでのファンを貶すような言動が目立ち始めたのだ。私も、「これまでのファン」の一人だった。
 そして巫まろに対するパワハラ音源が流出し、とうとう大森靖子は神様ではなくなった。
 じつは、私が大森靖子の音楽を頼らざるを得なかった最も大きな理由は親からのDVだった。流出した大森靖子のパワハラ音源は親の怒鳴り声そっくりで、うっかり聞いてしまったことにより軽めのPTSDが引き起こされてしまった。
「この人は私の味方ではないのだ」と直感した。大森靖子は私を加害する人間なのだと。極端。大森靖子は私のことなんてきっと覚えていないのに、名前すら知らないだろうに、それでも「加害された」と思うには充分だった。それまで、彼女に対しあまりにも信頼を預けすぎていた。彼女は私の味方でいてくれると、本当に心の底から信じていたのだ。

 アイドルや大森靖子関連について話すTwitterアカウントで彼女の変貌を嘆くツイートをしていたら、いつの間にか彼女にブロックされていた。破門である。破門されたなら仕方が無いので去るしかない。私も大森靖子をブロックして、アカウントを消した。

 今でもたまに、大森靖子の音楽を聴くことがある。
 もう今となっては「私のことを歌っている」と思うことはほとんど無い。中学生・高校生だった私は大人になって、腕を切ることも、親から暴力を受けることもなくなった。
 でもたまに、本当にたまに、彼女の音楽を聴いていると、いま目が合ったな、と思う瞬間がある。大森靖子をかつて聞いていたという人と出会うと泣きそうになってしまう。あの曲たちに救われた記憶だけがはっきりと残って、どうやって彼女と距離を置いたのかは思い出せない。

 間違いなく、私の人生に影響を与えた歌手である。けどそれは必ずしも良い影響ではなく、むしろ呪いのように私の人生を蝕み続けている。大森靖子との出会いが今の自分にどう表れているのかは分からないけど、もう切り離せない存在になってしまった。
 大森靖子を知らない私は、きっと私ではないです。大嫌いだけど、彼女は間違いなく、私の神様でした。


文章


 文章をコンスタントに書くようになったのは大学生になってからのことで、きっかけは「鬼滅の刃の二次創作をなんでもいいから作りたかったから」だった。もし私が絵を描くのが得意だったならば、文章を書くことなく今頃絵をザカザカ描いていたことだろう。
 では大学に入学するまで一切文章を書くことはなかったのかと問われればそうでもなく、元を辿れば小学3年くらいの頃から趣味として小説を書いていた。小学生から今まで、影響を受けたものを改めて思い返してみるとどうしても避けて通れないものが二つある。どちらも書こうと思います。

 1:「黒魔女さんの小説教室」の話


 石崎洋司の小説「黒魔女さんが通る!」をご存じだろうか。青い鳥文庫でシリーズ化されており、私が小学生だった頃には大旋風が巻き起こっていた。私が小説を書き始めた、正真正銘のきっかけはこの作品である。「黒魔女さん」を読み小説家を目指した小学生が、当時日本にどれほどいただろう。どんな図書館であろうと、「黒魔女さん」が全巻揃っている本棚を私は見たことがなかった。

 そんな「黒魔女さん」の作者である石崎洋司が、作家を目指す少年少女たちのために青い鳥文庫のホームページで連載していたのが「黒魔女さんの小説教室」だった。読者から寄せられた悩みや実際に読者が書いた「黒魔女さん」の二次創作を石崎洋司が紹介し、添削し、小説や文章全般を書く上でのテクニックを教示してくれる。とにかく分かりやすく、それでいてハイレベル。小説を書く人が陥りがちな罠と解決方法が丁寧に解説されている。私が小説を書くときは基本的に「三人称的一人称」をベースに書くことが多いが、この「三人称的一人称」という視点・技法を初めて知ったのはこの本がきっかけだった。

 そして、このコーナー連載をまとめた「黒魔女さんの小説教室 チョコといっしょに作家修業!」という本。この本は私が10歳の時のクリスマスプレゼントだった。

 かれこれもう10回以上は読んでいる気がする。小説で行き詰まったとき、なんとなく文章がのっぺりしてしているような気がするとき、まず頼るのがこの本だ。「小説教室」と銘打たれた本なので小説にフォーカスした文章術が多く紹介されているが、魅力的な文章を書く上での基本とも言えるようなこともしっかり解説されている。

 私は、文章のイロハをこの本で勉強した。小説に興味がある人はもちろん、小説に興味がなくても、読んで楽しい! と思える文章を書きたい人は必携の一冊だと思う。おばあちゃんになっても、きっとこの本を読み返しながら文章を書くのだろう。文章はリズム。感情描写は先回りせずに丁寧に間接的に表現。大事なことは、全て石崎洋司先生が教えてくれた。

 オススメです。現在は文庫版が発売中。Kindleでは電子書籍でも読むことができます。児童向け小説のスピンオフだからと侮るなかれ。

 2:太宰治の話


 私が書く文章の土台が石崎洋司先生によって作られたことは前述の通りだが、ではそれだけで今の文章スタイルを確立したのかと問われれば答えは否である。土台の上に、たくさんのインプットを重ね、それぞれが複雑に絡み合い、長い時間をかけて私の文章スタイルは作られた。と思う。たくさん本を読んでそれぞれ真正面から影響を受け、忘れ、影響を受け、忘れ、影響を受け、忘れ。これを繰り返して、少しだけ残った偉大な作家たちのエッセンスを水で薄めたような文章を、私はずーっと書いている。
 その中でも特に影響を受けているのが太宰治だ。

 多くの電子辞書には和英辞典と同じように青空文庫が収録されていることをご存じだろうか。高校時代、私はしょっちゅう調べ物をするフリをしてひたすら電子辞書で青空文庫を読んでいた。国語の授業も数学の授業も、全部眠くて退屈だったのだ。青空文庫を読んでいる間だけは眠たくならなかったので、どうせ話を聞かないのなら眠らん方が良いだろう! と舐めた態度で青空文庫を読んでいた。

 いわゆる文豪と呼ばれる作家の作品を一通り読み漁り、いちばん読みやすかったのが太宰治だった。「パンドラの匣」という作品が特に好きで、何度も読んだ。「パンドラの匣」は他の太宰作品に比べると知名度こそ低いが、読了後の満足感は随一だと思う。新潮文庫版では「正義と微笑」と共に収録されている。ちなみに「正義と微笑」もオススメです。
 言文一致が進む中、戦前~戦後の口語的表現の最先端を進んでいたのが太宰治なのだと思う。「人間失格」や「斜陽」などに代表される仄暗いイメージが強いけれど、太宰の文章はすっぱりと切れた竹のように気持ちがよく、それでいて丁寧で、読者を見据えた文章なのだ。文章の中に、筆者のまなざしを感じる。

 言文一致とは一体何なのか、という問いに対して、私は「文章にリズムを見出すことなんじゃないですかね」と思っている。文語的表現とは、つまり口に出した時のことを考えられていない文章。そして口語的表現とは、口に出す言葉と変わらない文章。日本人は口に出した時のリズムを、思うより大事にしている。インターネットで何度も話題になる「文章のリズム」とは、まず声にしてみないと分からないのだ。
 太宰の文章は、ポエティックに軽やかで、リズミカルな文体が多い。「ろまん灯籠」「愛と美について」「おしゃれ童子」とか。「パンドラの匣」もそうだ。わりと短く、単調にならない文体を繰り広げられるので、一気に読み進めてしまう。憧れる。私が書きたい文章って、こんな感じだよなぁと思う。ちなみにこれはあくまで個人の感想なので、太宰を真剣に研究している人からすれば全くの見当違いかもしれない。でも私は太宰の文章をこう評価しています。まるで隣で語られているように思えるくらいリズミカルな文章だなと、そう思っています。

 完全に太宰を模倣しているわけではないが、ロールモデルとしてまず挙げるのは彼の文章だと改めて思う。パンドラの匣が連載された1945年と2024年では、文章を評価する指標はまるきり違う。しかし太宰の文章には新鮮な「今」があって、だから彼は現代でも評価され続けているのだと思う。どんな時でも新鮮な「今」を感じられるような、そんな文章を書けるようになりたい。初めて青空文庫で彼の文章を読んでから、その憧れが揺らいだことはありません。





 以上です。
 こんな調子でいかがでしょうか。私を形づくるもののほんの一部を紹介したけれど、私の輪郭のようなものが見えてきていたら、嬉しい。途中で隙あらば自語りの「隙」無しバージョンのようなものが挟まったが、それも含めて自分である。全部ひっくるめて、今の私になっている。そして今の私の最先端の感情を綴っているのが、あのnoteです。
 これからも見守っていただけると幸いです。これから書くトピック・文章・思考それら全ての背景にこの文章に綴ったものたちがあるのかと思うと、ちょっと面白くなったりするのかな。なってたらいいな。いつも読んでくださって、本当にありがとうございます。



本当にご依頼ありがとうございました!超楽しかったです!!

こんな感じでエッセイ・小説・コピーライティング・漫画にちょっと挟むポエム・帯文など言葉にまつわるものならばなんでもご依頼受付中です!!!!

二次創作公認プログラムが終わっちゃったので二次創作以外で。Twitterには二次創作公認プログラムを使って受けたブルアカの二次創作ご依頼の作例を載せてます。

記事にskebのリンクをうまく貼れないのでプロフィールページから飛んでいただけると!何卒よろしくお願いします🙇

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