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2023/04/06 ピカソとその時代展と「おおきに」

昨日の分の日記を書かないまま寝落ちしていた。気付いたら朝でウケた。

昨日は大阪2日目の話を書こうと思っていたんだった。これから書きます。

まずは、国立国際美術館で開催されていた特別展「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」の感想から。

国立国際美術館は地下にある
英題では「その時代」が「His Time」になっている

めちゃくちゃ良かったー!
表題にもある通りピカソがメインなのだが、彼が影響を受けたセザンヌや、彼と交流が深かったクレーやマティス、ジャコメッティなどの作品がピカソと関連付けられながら展示されている。

美術展の一番最初にある「はじめに」、読むの好きなんですよね。どういった思いでこの美術展が開催されるに至ったのかを知ると、展示品を見るにも少し気合いが入る。

展示作品の多くが収蔵されているベルクグリューン美術館は2025年までかかる大改修工事を行なっているらしい。美術館の発起人となったベルクグリューンは世界中を旅して周り、様々な美術品を買い付け、芸術家たちと交流を深めた。旅と共にあった彼が集めた作品たちが世界を旅することに必然性を見出しているのに、良いな、と思った。
こうして些細な文脈を繋ぎ合わせ解釈を生み出す行為は素敵だなと思う。

一番最初に紹介されているのはポール・セザンヌだった。ピカソがメインの展覧会でなぜセザンヌ? と思うが、ピカソのキュビズムを語る上ではセザンヌのポスト印象派は避けて通れない。「ピカソとその時代」という題名を掲げるに当たって、まず前提を作ったのは間違いなくセザンヌだ。
ピカソやクレーなどこの展覧会でメインとされる画家たちは皆セザンヌの影響を多大に受けている、という解説を読み、良いな……と思った。私もセザンヌが大好きだから。

ポール・セザンヌ「舟にて」1900-06年
パブロ・ピカソ「丘の上の集落(オルタ・デ・エブロ)」1909年

こう見ると、確かにセザンヌの影響を受けてるなー! と実感する。セザンヌのポスト印象派がキュビズムに繋がったのは事実だけど、それはそれとしてセザンヌの柔らかい色彩とピカソの画風(も時代と共に大きく変化してこれといった画風を定めることはできないが)をあまり繋げることができなかったのだ。こうして見ると、ああめっちゃ影響受けてんなぁと思う。セザンヌとピカソのハイブリッド、ちょうど真ん中という感じがする。

パブロ・ピカソ「窓辺の静物、サン=ラファエル」1919年

これめちゃくちゃビックリした。
一番びっくりした。「ピカソってこんなに爽やかな絵も描けたんだ!」と驚いた。ピカソに失礼だけど、意外すぎた。
自分の勝手なイメージの中で、ピカソは人物をよく描いている印象がある。静物・風景を描くこともあるんだ……としみじみ思った。そりゃあるよなと思いつつ、翳りのない爽やかな窓辺の中にも彼のキュビズム的な画法が見受けられて良かった。テーマとしてはありふれたものでも、やっぱりどこかにピカソらしさがある。

パブロ・ピカソ「座る女」1938年

これも凄すぎる。抽象化しすぎだろ。
ここらへんになってくるともうだいぶ「私たちがよく知るピカソ」になってくる。かの有名な「泣く女」は1937年に描かれた。この時のピカソはとにかく女性を描きまくっていたらしい。「泣く女」もそうだけど、彼の愛人だったドラ・マールさんをモデルに女性を描きまくってる。凄い。
マジでどこが座ってんのか、どこが顔なのか、どこが女なのか分からなさすぎる。どこがおっぱいかだけはわかる。胸がそこでいいのかよ。

次はクレーだ。ピカソの友人。

パウル・クレー「青の風景」1917年

クレーの絵はモチーフを描いたものが多い。
ピカソのようにモデルなど「存在するもの」を描くのではなく、クレーは心象風景を多く描いている。

パウル・クレー「モスクの入り口」1931年

これ四角ひとつひとつに水彩で色をつけてる。ヤバすぎないか?考えるだけで気が狂いそうになる。

心象風景を描きながらもその表現技法にはピカソのキュビズムの影響が顕著に表れている、みたいなことが解説文に書かれていた。文章を控えてないからあまり覚えてないが、表現したいものは異なるのに技法は同じなの、まさに「その時代」という感じで良いなと思う。

パウル・クレー「封印された女」1930年

かと思えばこんな絵もある。怖すぎ。
黒の水彩絵の具で汚すことで女の「封印」を表しているのだ。小野不由美の小説に出てくる絵かよ。

次はマティス。

アンリ・マティス「室内、エトルタ」1920年

マジで良い。難しいことを考えず、素敵! ときっぱり言い張れる良さがある。布団に丸まっているのはマティスの娘であるマルグリットらしい。可愛い。
解説にある、「窓は内部と外部をつなぐ重要なモティーフだったと画家自身が語っている」っていうのすごく良いな。これを踏まえた上で先ほどのピカソの「窓辺の静物、サン=ラファエル」を見ると、この考えが受け継がれているのだ……と実感できる。ピカソは1919年、マティスは1920年。必ず何かしらの影響があったのだろうと分かる。

アンリ・マティス「縄跳びをする青い裸婦」1952年

ずっと本物を見てみたかった作品だったので見れてとても嬉しい!
切り絵の作品だ。マティスは切り絵に興味を持ち、途中から切り絵の作品が多くなる。中でも有名なのがこの「縄跳びをする青い裸婦」で、近くでよく見ると本当に紙でできてて感動した。美術品によく言われる常套句「こんなの俺でも作れるわ!」の真骨頂だと思う。パッと見た感じ私にも作れそう。でも、実物を見ると「絶対私には作れないな」と思える。不思議だ。

最後はジャコメッティ。

アルベルト・ジャコメッティ「ヴェネツィアの女Ⅳ」1956年

見たことある! という方もいるのではないだろうか。この作品ではなくとも、似たようなやつどっかで見たことある! という人は多いだろう。
マティスの裸婦の流れをめちゃくちゃ感じられていいなーと思う。ここまで、セザンヌからピカソ、クレー、マティス、ジャコメッティと続いてきたけれど、そのどれもが断片的でなく、連続の末に生まれたものなのだと分かる。「その時代」に生まれた作品なので当然と言えば当然だが、それでも独立した良さを持つ画家の作品を一堂に集めた時にここまでの「つながり」を感じると興味深く思う。

いいなー。
芸術文化・メディア文化に関する講義の中で、この「つながり」についての言及を論文から読み取ったことがあった。全てのメディアは繋がっており、再登場を繰り返す、みたいな感じ。それを作品を通して体験できて良かった。

今回選んだポストカードはこの3種類。上からマティス、マティス、ピカソ。マティスって本当に線が柔らかくて明るくて、めちゃくちゃセザンヌを感じる。好きなんだろうな。

自室の壁も賑やかになってきた。

行った美術館や展覧会のポストカードを集めて壁に貼り、ミニ美術館を作っている。ここだけではなく、あと二か所くらいポストカードを貼っている壁がある。
勉強している時や作業に追われている時、ふと壁を見ると素敵な作品で埋め尽くされていて嬉しく思う。もっと増やしたい!


そんな感じで国立国際美術館を後にした。ちなみに本命のラテンアメリカの民族芸術展は普通にスケジュール的に無理だった。次回に期待。


せっかく大阪に来たんだから鉄板焼き食わないとウソ! と思い立ち、面接を受ける企業の近場にある小さな鉄板焼き屋に行った。

焼きうどんを頼んだ
おでんも頼んだ

本当はお好み焼きを食べたかったけど、結構時間がかかるとのことで断念。「お好み焼き食べてて面接遅れました」とか最悪すぎるからな……。
焼きうどん、ありえないくらい美味い。美味すぎる。焼きうどんをハフハフ食べながら店員さんのおばちゃんを呼んで、「おでんのつくねとじゃがいもください」と言う。じゃがいものおでんってめちゃくちゃ美味しいのにレアだから、見つけたら絶対食べておきたい。
おでんも美味すぎる……こういう店のおでんってなんでこんなに美味いんだろう……。

食べ終わる頃にはサラリーマンで店がいっぱいになってきたので、早々とお会計をした。なんと焼きうどんとおでん合わせて770円。サイコーすぎる。
店を出る時、おばちゃんに「おおきに!気ィつけてな!」と声をかけられた。

大阪の人って本当に「おおきに!」っていうんだ……!

最高。
もうこの言葉だけで大阪に来た甲斐があるってもんよ。

おばちゃんのおかげで面接も頑張れた。
大阪楽しかったなー! 面接に受かってたらまた行けるので、受かってますように。その時にはぜひラテンアメリカの民族芸術展にも行きたい。

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