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3/4 深夜のぼやき 恋

好きなライターの日記を読んで「恋に対する興味深さ」を考えた時の覚書。



恋、感情の動きとしてめちゃくちゃ活発であるため恋をしている時は自然と(生活が)活発になる

ただ長く恋をしないと活発化の代替ができるようになる(ここは個人差あるけど)ので、恋しなくても人生楽しくなる どっちが良いんだろうな

恋しなくても人生楽しいと他者に依存せず自分本位で動けることが多くなるけど、その分恋すべきという世の風潮に対立することになるのでどうしても一般的な「普通」からはみ出てしまうことになる 普通の生き方をする手段として恋愛はかなり有用
……っていうのが嫌すぎるという話 一人で生きるのも誰かと生きるのもどっちも良いし人の人生なんてどうでもいいスタンスが普通になってほしい 普通ってかスタンダードな考え方

私の趣味性格全てが異性に対してウケが悪いのは分かっていて、けど酒も一人旅もアニメもゲームも同人も日記も全部大好きで大切だから それを「普通の生き方」に収束させるために自分をそっちに迎合しにいかねばならない屈辱感は凄いな

男オタクが「女性は皆42キロでギャルはチョーカーを着けている」というような共通幻覚を見ているのを女は笑うけど、女オタクだって大概男に対するバイアスはステレオタイプのまま更新されない場合が多い

そういう、「自分は男性のことを何も理解していない」という自覚も含めて男性に対するコミュニケーションが億劫になるしだからと言って別に進んで理解しよう!ともならない 生活に支障が無いから 



以上がTwitterに書きつらねたツイート群。

恋に対するめんどくいなという気持ちは、もうここ数年ほどずっと抱えている。
別に結婚できなくてもいいし一人で生きていくのに対して抵抗感は無いが、その主観的な結果ではなくそれに付随する社会的な評価を考えると、どうも憂鬱になってしまう。普通からはみ出したくない。
でも「普通」に収束するためにいろいろ努力するなんてバカらしいと思うのだ。可愛らしい趣味を覚えてマッチングアプリのアカウントを作って、と考えるだけでウッとなる。嫌すぎる。
ただ、生き方に対してあんまり人に怒られず幸せになりたいだけなのに。
でもあと10年もしないうちに、恋愛社会の迎合ベルトコンベアに乗せられてしまう可能性だってあるのだ。嫌すぎる!!

前にイコラブの新曲の記事でも書いたけど、世間一般にある「恋愛するべし」という風潮に対してなんだかなーと思っている。
何なら恋というよくわからない感情を皆当たり前に理解し飲み込めると思っているならそれはちょっと思い込みが激しいのでは、とすら思う。

子供を産まない若者が話題となっているが、正直いいことだと思う。「産まない」というのは自由な選択の結果だ。別に産みたくないけど産まないと社会や親に何とか言われるか分からない、という消極的な理由から生まれてきた人間だって、きっと日本には1000人近くいるだろう。
暗黙の了解やしきたりを重要視する国民性の中でノーを言い、自分の気持ちを尊重する選択ができるようになることは凄く良いことだと思う。賢明だ。
しかしこれは「産まない」という自己決定の論にのみ当てはまるもので、「産めない」という言葉については話が変わってくる。自由な選択ができる社会の中で環境が原因でその選択を諦めるしかないのは本当に良くない。マジで。

恋愛についてもこうならないものか、と思う。
仮に子供産まないことにしたんだという話をしたら、「そういう時代だもんね」という返答が返ってくるかもしれない。でも恋愛は? 恋人の有無や恋愛事情について聞かれた時、別にもう考えてないかなと答えると「若いのに勿体無い」と返ってくることが多い。勿体無いって何なんだ、と思う。私の若さの価値は恋愛にしか光らないのか。そんなはずはない。私は他の光り方を知っている。

恋愛とかじゃなくて、この人と一緒だったら人生もっと楽しくなるよねという人と一緒にいれたらそれで充分なのではないのか。それは恋人じゃないと、婚姻関係にないと、恋の感情がないといけないのか。

う〜ん。
恋愛、苦手だ。どうしても社会的な他者の目の存在を無視できない。
そんなもの考える暇もないくらい人を好きになれば良いのだろうけど、大人になったらそんな「ちゃお」みたいな恋愛はできない。社会、結婚。その影をどうしても無視できないし、無視したとしてもそれは意図的にだ。

「ちゃお」みたいな恋愛、したいな。食パンくわえながら角を走ってたらどうにかなるのかな。

不毛すぎる。お酒飲んで一人旅楽しんで同人誌即売会行ってニチアサ見て人生最高!って言いながら一人で死んでも別にいいんだけどなーと思いながらも、そんな「はみ出しもの」になる覚悟は、なかなか決まらない。

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