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私の処世術 その1

サラリーマン5種競技 ご存知ですか

私は、とある化粧品会社のベテラン営業の方から「中嶋君、サラリーマン5種競技やろう、参加するか?」と誘われたことがあります。私が担当していた頃の化粧品業界は百貨店や直販店を中心に販売する制度品と呼ばれていた化粧品メーカー、二次流通を通してスーパーや小売店で販売する一般品と呼ばれていた化粧品メーカー、そして家庭を中心に訪問販売をメインにしていた化粧品メーカーに分類されていました。私は一般品と呼ばれていた化粧品会社を複数と訪販化粧品会社を担当していました。当時、お客様には大変申し訳なかったのですが、競合されているメーカーさんを同時に担当していました。もちろん守秘義務を徹底して守り抜いた営業をしていました。化粧品営業は大変な仕事のようでした。ひと月の半分以上が出張の日々、担当エリアは分かれているのですが、東北や北海道担当の営業さんは各地の旅館やホテルを転々とされていたようです。しかも競合の化粧品会社の営業さんと呉越同舟なんて日常茶飯事だったと聞いています。ここで営業さん達、昼間は競合との紳士協定?や腹の探り合いで自社商品の拡販に精を出され、夜は同宿のよしみで膳を囲み、一杯の盃を酌み交わされていたようです。

先ずここで新人の営業さんは上司や先輩だけでなく競合他社の営業さんに鍛えられる絶好の機会を持たれるわけです。これが大事なことです。実戦ビジネスと営業教育受講が同時に出来る出張なのです。バイヤーさんと良好な関係を築き、自社製品の店頭販売スペースをどれだけ多く確保するかが営業としての仕事だったようです。私がお付き合いをさせていただいた営業さんは皆さん素晴らしい方々ばかりでした。営業的にも人間的にも学ぶところを多く持たれた方々でした。お客様との付き合い方、競合他社営業さんとの付き合い方、自社の後輩への教育、時には競合他社の新人教育をすることもあるなど、いろいろと教えていただきました。業種は違っても営業とはこう言うもの、営業はどのような人にも好かれ、偶には一目置かれる人になければならないと教えられました。Kさんからは同業での営業を中心に教えてもらいましたが、異業種の営業はどんな営業活動をしているのかを最初に教えてもらった貴重な経験でした。

化粧品会社の営業さんのことからスタートしましたが、やはり印刷営業ですから宣伝部や営業企画部・販売推進部の方々と仕事をするのが本業?です。ここでも素晴らしい方々に巡り合いました。当時、担当者は年齢が私より少し上の方が多かったような記憶が残っています。何年経ってもいつも一番年下の営業でした。前職の会社を辞めるまで出入りしている各社の営業さんは同じ人、と言うことはずっと変わらず年下の男の子でした。各部署担当者には担当者の上長の方や先輩同僚も多数いらっしゃいます。おかげさまで担当者との関係が良く、自分で言うのもおこがましいのですが仕事上での信頼も得ていましたので、特に上長の方からもずいぶん目をかけていただきました。担当者の進言も相当あったと聞いています。

宝はもうひとつあります。それはお客様に出入りされている他業種の営業さんと仲良くさせていただいたことです。広告代理店、什器製造会社、店頭ツール・ノベルティ企画制作会社、カメラマン、包材印刷会社、容器製造会社、さらに大手雑誌社の営業さん等本当に多くの営業さんと知り合い、各業種の業務ポイントについて広く浅く教えてもらいました。もちろん営業とはから始まり、人との付き合い方、それこそ喫茶店での立ち振る舞い方まで指導してもらいました。これは今でも大いに役立っています。担当させていただいたそれぞれの化粧品会社で同じように異業種の人脈を持つことが出来たのは幸運でした。化粧品会社に出入りされている代理店でも規模は違いますし、店頭や什器を扱われる会社も顧客に合わせた提案や商品を持って来られます。化粧品会社をお客様に持つ協力会社仲間が増えた頃でした。それだけ私の引き出しが増えたことになりました。


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サラリーマン5種競技 ①麻雀

さて、ここからタ本題に戻ります。サラリーマン5種競技って何?と思われる方がほとんどだと思います。私も最初は「何のことですか。やったことありません」と返答しました。それに対する回答は有無を言わせず「参加しろ」でした。化粧品会社を支える営業のT課長さん、W課長さん、B課長さん、マーケッターのY課長さん等からお誘いを受けたのが始まりです。

地方から戻られると夕方に営業に行っている私やPOPや什器の営業さんを捕まえて、「今日は5種競技の1種目をやるぞ」「6時集合」です。お気づきかと思いますが1種目目は麻雀です。今、何かと話題の麻雀です。皆さん地方営業で夕食後することがないのか、卓を囲んでいらっしゃるベテラン強豪の雀士の方ばかりです。ここで私は鍛えられました。その後、あちこちでお誘いを受けて囲んだのですが、自信はありました。因みに営業さん以外の方々とは私や先ほどのPOP屋さん、プラスチック屋さん、企画屋さん、広告屋さんに営業企画や宣伝制作の方々と毎晩の如く卓を囲んでいました。現在の会社に入社するまでの10年間は毎晩、会社の同僚かこのお客様か、ときには別のお客様からお誘いを受けて常連の江古田・四谷だけでなく銀座・高円寺などでもやっていました。この競技は勝つことはもちろんですが、読む力を養う競技です。そして競技者の性格などを見抜く力もつきます。さらに自分の長所短所もわかるようになりました。その日のコンデションにもよるのですが、強気や弱気の虫が出入りします。自分とも戦わなくてはならない競技?は多くありますが、これほど楽しいし、きつい競技?は私の中ではありません。人間関係構築には最良の場でした。

年一回、お客様主催の大会もありました。金融関係・雑誌社・原料関係・TVラジオ局関係・そして普段のレギュラーメンバーなど総勢50名前後のそうそうたる顔ぶれのハイレベルな大会でした。参加者の中には麻雀メーカーの全国大会で3位になった人もいました。その大会で一度優勝したことがあります。優勝トロフィーは未だに飾ってあります。レギュラーメンバーに助けられての優勝と言われましたが、決して八百長でないことだけは言っておきたいです。ただ、「アイツには一度くらいは勝たせてやろう」が仲間の人達の合言葉だったと後から聞きました。並みいる強豪を撃破して、実力で勝ち取ったと思っていますが、仲間の皆さんの熱い応援もあったからこそだと感謝しています。

余談ですが、独身時代は池袋線桜台の雀荘からの出勤が続き、お客様との卓囲みが始まると四谷の雀荘が多くなり連チャンでした。いったい何時、自分のアパートに帰っているのとよく聞かれたものです。着替えのためのアパートでした。結婚してからもこの生活はしばらく続きました。連夜の翌日帰宅が続きましたが、よく嫁さんは我慢したものだと感心しています。メンバーも心配はしてくれるのですが、されど毎日の如く誘ってくるのです。嫌いではないので、これも仕事だと自分で割り切って囲んでいました。都合の良い解釈でした。いまでは大いに反省しています。

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サラリーマン5種競技 ②ボーリング

次の競技は当時まだまだ人気だったボーリングです。これは中年のおじさんばかりではカッコ悪いので、お客様の女子社員の協力?も得て開催していました。これは単純にハンデなしのスコアゲームなので勝敗がはっきりしていました。この競技では時には圧勝でした。若さの勝利でした。今じゃ、100も出せないボウラーに成り下がっています。言い訳と取られても仕方がないのですが、腰痛持ちには最も適さないスポーツだと思っています。16ポンドのボールを軽々投げていた頃が懐かしいです。中山か矢島か中嶋とまで言われたものです。これはハッタリですが、歳がばれますね。


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サラリーマン5種競技 ③ゴルフ

3種目目はゴルフです。結婚したての頃のゴルフはきつかったです。何がといわれると家庭経済問題で、カミさんに稟議を通すのに苦労しました。当時はクラブも高価だし、プレー費なんて土・日には目の玉が飛び出すほどでした。そうそう行っていられません。素質もあるのですが、練習代にも事欠く私などは勝負にならなかったです。少々のハンディキャップなど何の足しにもならなかったものです。行先不明になったボール代の補充も大変でした。ゴルフボールは消耗品と同じで行く度にコンスタントに支出増でした。コンペが度々計画され、毎回、幹事をやらされます。幹事になった以上、欠席は出来ません。断れない自分が情けない、されど幹事に指名されることの嬉しさと有難さもありました。何度幹事したことか、回数とコース覚えきれないくらいしましたね。ある時、Y課長さんから「中嶋さん、名門ゴルフ場巡りをしようよ」のお誘い、断れません、結果、ものすごい出費でした。私如き、名門もそうでないコースも全く同じ、違いがわかりません、かえって車やゴルフ道具で人定めをされ、名門ゴルフ場巡りでは不快な思いで、怒りながら帰ったこともありました。


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サラリーマン5種競技 ④ビリヤード

4種目目はビリヤード、いわゆる玉突きです。当時は多少自信もあり、東京に出てきた時、会社の近くの江古田でN大芸学部の学生が試合を申し込んで来ました。服装から田舎者と見られたのか、それとも素人と見られたのでしょう。ペアマッチで私と同期のM君でコテンパンにしてやりました。「なめんなよ」です。しかしこの競技も隠れハスラーがいるもので、5種競技メンバーの中にどうしても勝てなかった人がいらっしゃいました。年齢には関係なかったですね。

最近はビリヤード店が減ってきているようです。昔は街のあちこちで営業していたのですが、寂しいですね。京都の友人の話になりますが、彼は関西アマの大会で優勝か準優勝かを忘れましたが、賞品でハワイ旅行をゲットしました。ずいぶん昔の話で、当時のハワイ旅行は値打ちがあり、それだけその大会は格がある大会と言われていたようです。そんな彼に鍛えられた私ですが、しかしいつまでたっても上手くなれないのがビリヤードです。


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サラリーマン5種競技 ⑤パチンコ・競馬

最後の5種目目はパチンコです。実は競馬はパチンコ競技の代替開催としてよくやりました。途中からはどちらが代替か分からなくなりました。基本的には中央競馬でなく地方競馬が対象でしたので知らない馬ばかりの競馬、的中率と配当額は最悪の数字でした。もちろん配当を計算すればマイナスでした。平日の午後、営業と称して公営競馬に行ったものです。メンバーは皆さん営業ですから時間は作れます。もう時効だとお許しねがいますが、水曜日は公営競馬の重賞が開催されます。そこでお誘いがあり、競技だからと自己弁護して大井へ直行、重賞だけを買います。スタンドの柱の陰から観戦するのですが、ある時Tさんに思いきり注意を受けました、そこに立っているとテレビに映るからヤバイよと云われ、あわてて移動したこともありました。手軽に出来るパチンコ競技?も楽しかったものです。

話は変わりますが、大手出版社の編集部ではこんな合言葉があり、実際に声をかけられたことがありました。「中嶋さん、片手で昼飯を食べに行こう」と誘われました。片手で昼飯とは何のことと思いながらついていきました。片手にお箸、もう一方の手でパイをつまむと言うことです。昼休み時間も厭わず勝負です。びっくりですが、皆さんは片手で昼飯食べることは手馴れていて、上手いものでした。それに、ちゃんと片手で食べられるものを注文されていました。勉強になりました。

それと同じで、昼休み、昼飯を急いで食べ、参加者そろってパチンコ店へ急行します。ひとり1,000円を持って勝負です。最後に誰が一番玉を多く持っているかの勝負です。これも勝敗はハッキリしています。この競技も自信はありました。キャリアと技術がものを云いました。当時のパチンコ、ハッキリ覚えていませんがまだ全自動でなく、片手でハンドル、もう一方の手で玉を入れる機械だったと思います。記憶違いでしたらお許し下さい。おかげさまで多くの種類の景品交換が出来ました。数え上げたらきりがないくらいで、昼の30・40分の短時間の割には良い景品をゲットしています。T芝製ウォークマン、ウインドブレーカー数種、ライター、壊れやすい腕時計、目覚まし時計、折畳傘、ポータブルラジオなどを集めました。タバコはもちろん、時にはお菓子類を多数交換し、こっそり受付の女性に渡すこともありました。その時には、応接での打合せで普段出ないコーヒーが出たりしたものです。

10種競技も検討

サラリーマン5種競技と言うと聞こえはいいのですが、実にくだらない遊びでした。仕事もしないで遊んでばかりではなかったのと批判されていると思います。ここにもう少し頭を使う将棋や囲碁も加えるべきだという方もいらっしゃいました。そこで、サラリーマン10種競技も検討し、一部の人達で始められたこともありました。結局、頭を使う、神経を使うような競技?は好まれませんでした。どうも専門性が高い競技はサラリーマン社会では競技人口が少ないかもしれませんね。そういう競技?を好まれている方、どうも申し訳ございません。我々営業はギャンブルと仕事がマッチしていないと興味が持てないのでしょうか。しかし、5種競技を通して皆さんと心が通じ合う、とっても良い関係が築けました。遊び(競技)を通して人間関係が築け、結果的には後々の仕事の場でも活かせました。今回紹介させていただいた営業の方々は直接発注には関係のない部門でしたが、しかし仕事が始まると陰から応援をしてもらったこと、問題が起きた時などは「いいよ いいよ 気にするな」とかばっていただいたものです。

人(人間)を好きになることが一番

人を好きになる、そうすれば人からも好かれやすくなります。人を好きになることが営業活動には絶対欠かせないと信じています。嫌いな人、腹が立つ人、無口な人、自慢ばかりする人、けなしてばかりいる人、怒ってばかりいる人と世間には多種多様な人がいます。営業活動の中では弁が立つとか、機転が利くとか、計算が正確で速いとか、経済や政治に詳しいなど活動に不可欠の要素がいっぱいあります。でも、まずはお客様を好きになり、次に何はなくとも好かれることが営業にとって一番必要ではないかと思います。そうなれば必ず成績はついてくると信じています。自分がそうでしたと自信を持って言えます。もちろん営業として政治経済から始まり、専門知識やトレンドな事柄や動向を知っておくべきです。私の知識吸収の方法は次号で書いてみようと考えています。

私のやり方は皆さんから見れば信じられない馬鹿げた方法です。そんなやり方で得た知識なんて役に立たないかもしれませんが、十分通用してきたとのではないかと思っています。人と接する機会を出来るだけ多く持ち、お互いに自分をさらけ出すお付き合いの場を持つことで、いつかその人のことが大好きになります。大事なことは、「この人と仕事をしたら楽しいだろうな」と思える人と巡り合うこと、そして楽しみながら一緒に仕事をしていくと、必ず好きな人の区分に入って来られます。相手の方も自分を嫌いな人の区分には入れないと思います。これで円満にビジネスが続きます。とは言うものの、最初の段階で嫌いなタイプと思い始めると最後まで修正しきれません。こういう場合は必ず仕事上で失敗した経験が多くありました。偉そうなことばかり言っていますが、私も欠点だらけの営業です。未だに修正出来ず、自己矛盾と嫌悪に陥っています。

酒の席だとかその他多くの場でお客様と交流することが出来ます。競技?終了後、反省会と称して飲み会が必ずあります。それも大切な場でもあります。しかし、5種競技を通して営業として先ず人と如何に付き合うか、この人はどんな人かと見極めることを学びました。学校では教えない、これほどくだらない?教育と競技は他にはありません。実戦教育だったと言えるほどのものでもありません、もしかしたら私だけが有意義だと感じているだけかもしれません。それなら書くなと思われるでしょうが、コンテンツ不足の私です。大きな心でご容赦願います。

トップがお読みなれば、きっと激怒されるのではないか、後輩達が先輩の悪いことだけを真似するのではないかと危惧されるでしょう。仕事もせず、遊んでばかりが営業と勘違いする後輩も出てくるかもしれません。今の時代にはそぐわないオールドスタイルの営業なので、参考にならないかもしれません、でも、仕事も遊びも全力でやりました。しかし無駄に遊んでいなかったことだけはご理解ください。必死の若手営業マンの当時の日常はこんなものでした。

次号では、処世術その2で、情報やサービス、そして新しい技術をどうして吸収したかを紹介したいと思います。私だって精神論一辺倒の営業ではありません。時には真面な事も喋れます。じゃ、どうして身につけたのと思われるでしょう。自己流の身につけ方を紹介したいと考えています。ただし、毎号通りの内容になります。そこはよろしくお願い申し上げます。

                    土山印刷株式会社  中嶋恒雄

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