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ドルフィンポートをめぐる15年


昨年から年明けにかけて鹿児島市のドルフィンポート跡地に県体育館を整備する議論が新聞紙面を賑わせていました。


1960年に建てられた県体育館は築60年以上でとても古い建物です。かつてはバスケットボールのプロチームであるレノヴァ鹿児島がホームアリーナにしていましたが、床の場所によってはボールの跳ね方がちがうほどの老朽化がすすんでおり、建て替えの議論が歴代の知事たちによって何度もされてきました。


簡単に振り返ります。2008年、当時の伊藤知事が県庁の東側に総合体育館整備を表明。その後、それとは別に2013年にスーパーアリーナ構想を打ち出します。場所は営業中ではあったが県の所有地であるドルフィンポートの敷地でした。伊藤知事は官僚時代にさいたまスーパーアリーナの着工に関わっていたこともあり、個人的に思い入れがあった政策だったようです。しかし、当時の県政は上海への県費をつかっての県職員の「研修」も問題になり、不成立とはいえリコール運動までおこり、2015年アリーナ構想は白紙撤回することになります。その後、三反園知事時代にはドルフィンポート跡地に高級ホテルを誘致しようと模索もあったようです。(2020年9月15日朝日新聞)三反園知事は新総合体育館を鹿児島中央駅西口に進めようとするも、やはりこれも断念します。その後、県庁東側に決め、隣地取得を目指し、譲渡協議を開始しました。しかし、現在の塩田知事が譲渡協議を中止し、県庁東側の白紙撤回を表明したのが、2020年の8月です。

ここまでの動きをまとめると、体育館の老朽化による新設に絡めて、(利権や思い入れがあったのかは分かりませんが)歴代の知事たちがいわゆる「稼げるスタジアム」のようなことに固執したことで、県体育館は60年以上経った今でも新築着工はもちろん、議論も進まなかったと言えるでしょう。


1月12日の新聞記事によると、塩田知事は新総合体育館の基本構想案をまとめる検討委員会からの、ドルフィンポート跡地に体育館を整備することに全会一致で決定した構想案を受け取りました。鹿児島市長の下鶴氏がサッカースタジアムも併設することを、自身の選挙公約から一貫して訴えていましたが、18日の塩田知事の新聞紙でのインタビューによると、下鶴氏から何も具体的にはなく「協議するなら早く整理して、構想を聞かせてほしい」とばっさりと一刀両断だったのは笑えました。


私の個人的な印象では、今回の塩田知事の動きとそれに関連した決断と方向性は評価できると思います。先にも書いた、これまでのいわゆる「稼げるスタジアム」のような火事場泥棒的な大きな構想でもないようですし、妥当な着地点に落ち着けたようにも思います。これからの県議会での議論にも注目したいと思います。


以上のようにドルフィンポートをめぐる15年近くの議論はこのまま落ち着くのでしょうか。かつてドルフィンポートができる前は、同所に大手企業のイオンやドンキホーテが進出する動きがあったようです。それを地元の企業である山形屋が中心となって、さまざまな店や施設が集まる場所にしたのがドルフィンポートと言われています。しかし経営的に厳しかったのか、借地の更新はなく他の企業による具体的な提案もなかったため閉鎖になったと、ある代議士から取材で聞きました。


ドルフィンポートは大手企業進出に対して、地元の歴史ある企業が中心となって抵抗したが、結果的に破れたようにも見えます。かつての自民党の大物議員であった故・加藤紘一氏は自身が進めた大店舗立地法の改正を晩年には後悔したといいます。今回のドルフィンポートをめぐる一連のニュースは、地元の企業が撤退したあとに、いわゆる「稼げるスタジアム」のような大規模な構想でもなく、イオンモールなどの大手企業の進出でもなく、県の体育館に話がおちつくとしたら、この結果はこれまでのこの地域社会を取り巻く環境の変化を象徴しているようにも、私には見えました。



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シラスでドルフィンポートについて長く話しました。


ドルフィンポート跡地から考える鹿児島の政治


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