2019.03.21 - 最果タヒと横浜

3月21日。木曜日。春分の日。

10時には家を出て、11時開場の最果タヒの展示会を見に行こうと思っていた。

しかし起きたのは10:30。まあそんなものだろうと思いながらゆっくりと準備をした。冷蔵庫に昆布のおにぎりがあったので、レンジで600W 40秒で温めたところ、なぜか下ばかりが温められていて、ひっくり返して600W で30秒、追加で温めた。どうやら少し温め過ぎたようであった。冷蔵庫に入れたおにぎりはパサパサというか、米と米がくっつき合う気配が見られなかった。シンプルに、乾燥していた。食べた。

この日も本当に喉が痛く、頚椎ヘルニアの薬と花粉症の薬に加えて、マルチビタミン・ミネラルと、更にのど痛に効く錠剤を飲み、出かけた。

絶好の自転車日和であって、近くのインスタ貼えするオムライスを提供する喫茶店を自転車で通り過ぎて、駅に向かった。休日はいつもこの店は行列なのだが、店員があまりに愛想が悪いので、俺は好きではなかったのだった。しかし連日行列。なぜ?

横浜に向かう途中の電車の中。「モンスターエナジー」を片手に持った、サングラスをかけた若者が乗って来て、タブに指をかけて、開けた。瞬間、高麗人参と甘ったるい匂いが鼻に入ってきて、そうそう、モンスターエナジーってこういう匂いだったなと思いながら、私は『動画2.0』を読んでいた。

桜木町駅に着くと、強風が吹いていて、とても良い所だな。強風が吹くこと以外は。と思ったのだった。

無事、最果タヒの展示会に到着した。

「読む」という行為は受動的なものではなく、むしろ、ずっと能動的。あなたが、なにかを見つけ出し、言葉を変容させること。それが、読書なのだと思う。
出展:最果タヒ展

とても良いと思った。読むという行為は、能動的なのだ。ということだった。

そしてきっと、生きるという行為。行為というか、営みというか、生きるということ。それもきっと能動的であるべきなのだと思った。受動的ではなく、与えられているものだけで過ごすのは生きているとは言えず、きっと、もっと自分から能動的に、やろうやろうと、能動的に何かを得ようとしなくては、きっと生きているとは言えないのかもしれないと思った。

昨日は、何時間 生きていましたか。
出展:仲畑貴志さんのコピー

きっとこれは、何時間能動的であったか。ということなのだろうと思う。

あまり自己啓発的なことを書くつもりはないのですけれど「やらなきゃ」ではなく「やろうと決めた」と思ってやらなくてはいけないのだろうと。

そういう、能動的でいることがきっと、豊かであるということなのかと思ったのだった。

強風の中、どうしてもコーヒーが、アイスコーヒーが飲みたくなった。同時に喉が痛いので、コンビニで龍角散ののど飴を購入。その後スタバへ。

『動画2.0』を読み終え、とにかく「発信だろう!」ということで、こうして日記を書くことにした。

現在23:30であるが、ビールを飲みたい。あと、仕事をしなくては。

いやいや、仕事をやると決めたのだ。俺は。能動的に能動的に。

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